たとえば、貴方がたは、私達が◯◯神社の神だ。と出どころを明らかにしていただけでも低級霊と判断するのですか?
低級霊と判断する基準は一体どのようなものですか。貴方方の心が、それだけ高いということでしょうか。残念ですが、貴方方は低級霊よりももっと低いのです。
メッセージ、神託といいますか、それをもらって嬉しい!となるのが普通でしょう。貴方方に降ろしている神が、低い方々の面倒を見ているのですよ。それなのに、貴方方はこの神託は質が低い、あの神託は◯◯だと言っている。
私達が貴方方に罹って物申すときは、その時点でその者たちに言える最大のことを申しているだけです。貴方方のコミニティは非常に狭いのですから、与えられているそれをよく反芻し、よく吸収するべきです。
いまはこういう時代ですから、私達のこういう霊言はありふれています。よいですか、決して思い上がってはいけません。日々の米に感謝、命があることに感謝、どんなに貶されようとも、言葉があることに感謝なのです。
人を恨んではなりません。嫉妬してはいけません。よくない言葉や、愚痴、不平不満を持ってはいけません。貴方方はこれだけのことも守れないで、何が霊言ですか。そのことすら守れない貴方方が、私達のことを指してやれ低いだ、高いだと言っておるのです。
良い音楽を聞き、良い言葉を使い、良い思考を持ち、常に心身を祓い清め、そうですね、お香とか、あるいは神聖な言葉、祝詞、あるいは雅楽などもいいでしょう。祓い清め給うということは禊とか、貴方方が毎日入っているシャワーなどを指すのではありません。
部屋を清潔にしろと人は言いますが、そんなもの、あまり重要ではないです。大切なのはあなたの心なのです。部屋の中がいくら汚れがないといっても、あなたの心が汚れていては、どうにもなりません。その心を育てるために、掃除をしろと言っているのです。
よく私達のところに来る人間たちは、なにか形式張ることを好みますが、私達は貴方方の決めた形式にはあまり興味ありません。貴方方の心が重要なのです。心が綺麗かどうかなのです。純粋でいろとか、感謝の心を持てとか、散々言っているでしょう。
自分が偉いと思うのではなく、自分は地球上で何の価値もない、最下等の人間だと思うくらいでないと、神の事は務まりません。べつに奉仕をしろと言っているわけではないのです。貴方方の心が、神々から遠く離れているのです。何度もいいますが、心が綺麗かどうかなのです。
肉体には何の価値もありません。貴方方が、その乗り物を通して、より高くへ昇っていけるための装置なのです。ですから、この奥野は人間たちを神の駒だと言っていましたが、それはそうではなく、つまり、貴方方と私達は本来イコールなのです。
私達の心と貴方方の心が遠く離れてしまったがために、皆苦しんでいます。心が重要で、貴方方が私達に捧げる物すべては重要ではない。祝詞も、宣り方が重要ではなく、心が神に向いていればそれでよいのです。
ですから、この時代にあって神の事を成すべき全ての人間をより集めるために、私達はこのような者たちを使い、それを広めて、集めています。いずれ乱世になり、そのときのために、こうして今からスカウトをしているのです。
光と闇と貴方方は申しますが、現実に起きているのはそのような単純なことではないです。光のような闇、闇のような光といいますか。その戦いは、まだ続いており、私達もすべてが判るわけではないのですが、貴方方の心が私達と一致している限りは、貴方方に平安があるでしょう。
心が大事なので、貴方方は是非そのようであってください。以上、ありがとうございました。 神