2024年2月5日月曜日

超最強☆貧民スープ

貧民飯シリーズなので、いわゆる料理研究家リュウジさんの虚無シリーズと似ている。でもこれは更にその虚無を、広げたような感じで、いわゆる究極である、手間の無さを考えたら、リュウジさんのは一応あれは虚無といいつつ軽く料理しているのである。なんだ、ちゃんと料理しているじゃないか。という感じなのである。

さて、超最強なので簡単に言うと100Pで580円などで売っている業務用味噌汁とかでもいいのだけど、あれもまあいいんだけども、100均でキャンドゥなんかでも塩コショウが売っている、塩コショウをパパッと適量コップにふりかけて、そこにお湯を入れる。これが最強☆とんがりスープなんですわと。これけっこう飲めるのである。

味噌汁とかって日本人なら必ずって言うレベルの汁だけども、まあぶっちゃけ味噌汁とかはあんまり必要ではないのである。何が必要かと言うとそれは塩だから、塩分最低限取れてればいいと、味噌汁飲んで元気になってる人というのはあれは塩分なんじゃないんでしょうかねえいということで。

価値が分かる人にだけ、分かられていればいい。

 奥野が閲覧数を目的にしてないのは、ごく少数の、奥野の価値をわかっている人間と仲良しだからというのがある。

奥野は、怠け者で、とてもやる気がないが、そう、やる気がないっていうか、やる気があるっていうのは奴隷として奴隷商人に遣っていただくという意味であり、だからそれをしたくないから、やる気がない。やる気がないふうにしてそれがデフォであるように見せて、その生活をせしめているのである。

まあつまりやる気がない人間なんだけど、魂の経歴のようなものを考えた場合、奥野にはいろんな可能性や、または積んできたものがわかる~みたいな人がたまにいるのである。そういう人と仲良しになっているっていうのはデカイ。

もし、奥野がほんとうに取るに足らないやつで、何もやる気がなく、何もセンスがなかったら、それは本当にクソで、閲覧数8とかだったら、それこそ自殺モンであろう。まあ奥野はどんだけ苦しくてもリスカ程度で自殺はしないんだけども、まあ、わかってくれる人が少ないなれどいるっていうことが、とても人生をそれだけ下支えしてくれているのである。

そのふたりというのは、名前を言うと良くないかも知れないが、キクチさんと、世界の光さんである。まあとくにキクチさんには見せるもんは見せたんで、彼はそれだけ見て、ああ僕はこれでわかった、でもこれは秘密にしたほうがいいよといって、光さんは、なんとなくボヤッと奥野さんは普通の格じゃないねといってくれているが。

2024年2月4日日曜日

2024-02-04 ひさしぶりにブロガー書いてみる。

 ブロガーはいいよね。なんか奥野には肌感覚でブロガーが一番あっている。コメントをオンにしてないから、とやかく言ってくる輩が居ないし、アメブロは独自のコミュニティがあって面倒だし、Noteはあそこはカネとるための場所でしょ。

ブロガーは検索上位にはアガらないけど、まあ見られるっていうことよりも、なんか書くっていうことのほうが大事で、見られるとかはあんまりどうでもいいっていうか、見られて、世界が書き換わるわけじゃないから、書いて、空間に出す、鍵つけないで全世界中に撒くっていうのが、そう、世界が俺向けに書き換わって、俺の人生が進んでいくってえことだよと。

ブロガーでの記事1本は10とか8とかしか閲覧数つかないけど、俺は、それでもいいと思っている。閲覧数目的で書いてないし、むしろありのままの奥野をさらけ出すことによって、相手に不快感を与えて、その不快な反応を示されたことで喜ぶ、という岡本太郎的スタイルである。こんなクソみてえな不快なやつがいるんだなあ!というのを示してもらって、それで、奥野自身が生きているということなのである。

アートなのである。奥野さんはスゴイですね、いいこといってますね、では、アートではないのである。そんなキレイな言葉だけで奥野は語れないのである。クソみてえな一面もあるときはあるから、それをネットではあえて全面に出していくと、こういうことなんだな。