ブロガーはいいよね。なんか奥野には肌感覚でブロガーが一番あっている。コメントをオンにしてないから、とやかく言ってくる輩が居ないし、アメブロは独自のコミュニティがあって面倒だし、Noteはあそこはカネとるための場所でしょ。
ブロガーは検索上位にはアガらないけど、まあ見られるっていうことよりも、なんか書くっていうことのほうが大事で、見られるとかはあんまりどうでもいいっていうか、見られて、世界が書き換わるわけじゃないから、書いて、空間に出す、鍵つけないで全世界中に撒くっていうのが、そう、世界が俺向けに書き換わって、俺の人生が進んでいくってえことだよと。
ブロガーでの記事1本は10とか8とかしか閲覧数つかないけど、俺は、それでもいいと思っている。閲覧数目的で書いてないし、むしろありのままの奥野をさらけ出すことによって、相手に不快感を与えて、その不快な反応を示されたことで喜ぶ、という岡本太郎的スタイルである。こんなクソみてえな不快なやつがいるんだなあ!というのを示してもらって、それで、奥野自身が生きているということなのである。
アートなのである。奥野さんはスゴイですね、いいこといってますね、では、アートではないのである。そんなキレイな言葉だけで奥野は語れないのである。クソみてえな一面もあるときはあるから、それをネットではあえて全面に出していくと、こういうことなんだな。