2015年9月8日火曜日

「信じないで聞いて」と僕は言う




涼宮ハルヒの憂鬱のキャラソン 「つまらない話ですよ」と僕は言う

>知らせたくない思いと知ってほしい問題が矛盾の波にのまれておぼれそうな毎日でも
>まあ、心配は余計ですか重い気持ちなら多少はわかりますよ 退屈でしょう?
>危険は魅力な引力 認めないと反論されてもいいのです
>ここに集まる意味などないと偶然で片付くなら僕も平和を楽しめそうだと考えているでしょうね
>残念話はおそらく伝わらない



オカルト界隈ではハルヒは有名。
僕が考えるところ、ハルヒは哲学と近しいものがある。

量子力学は東洋思想とかぶっているところがあるので、
まあ、あまり考えて突き詰めると頭もおかしくなるんだろうなというところ。
おそらくどころじゃなくって99%伝わらない話なんだけど、そういう畏怖の体験は僕も持っている。
2015年の目標は「生きること」なんで、死なないだけよかったじゃないかってね。


知っていくことは罪であるけれども、知らないでいることもまた罪である。
それは知っていることに対しての罪であるから、ソロモン王のいうように、
ひとはその日の下で労することに何の益があるかとか、
生きているものより死んだもののほうがさいわいだとか、
まだ生まれてないもののほうがよっぽどいいとか、
そんな結論に達するんだろう。


なんだ、かなり散文になってしまったな。
ものごとには全部意味があるけれども、
意味がないと思っていれば意味がないし、
意味があるとして付与してみれば意味があるというもの。

この点では、現実は自分が作り出しているということができる。
ただ、見てはいけない世界をも当然見ることになる。