2016年5月31日火曜日

僕のツイートからおとぎ話 - 1


アプリメーカーの「あなたのツイートからおとぎ話を書いたらこうなった!」
http://appli-maker.jp/analytic_apps/37070
がおもしろいので、乗っけてみた。




昔々とても霊的でおもしろい娘がいました。
 母親は早くに亡くなっていたのですが、お父さんが再婚することになり、新しいお母さんと二人のお姉さんが出来ました。
 ところが彼女たちは大変な動脈硬化だったのです。
 彼女たちは娘をいじめ、「薬事法」と呼んで馬鹿にしました。

 ある日のことです。やかたの小保方さまがお嫁さん選びのはち会を開く事になり、薬事法のお姉さんたちにも招待状が届きました。
 しかしもちろん薬事法は一人でお留守番です。悲しくなった薬事法はシクシク泣き出しました。
 すると薬事法の目の前に、薬事法のおばあさんが現れました。
「おまえはいつも仕事を頑張っている良い子だね。見ていたよ。ご褒美に私がはち会へ行かせてあげるよ」
「本当?」
「ええ、本当よ」
 すると薬事法のおばあさんは魔法でカボチャを危険すぎるに変え、ネズミを絶対的に変え、ボロボロの服まで綺麗なアセンションドレスにしてくれたのです。
「いいかい、薬事法。私の魔法は12時までしか続かないから、それを忘れないでおくれ」
「わかりました。行ってきます」
 こうして薬事法はやかたに出かけて行きました。

 さて、やかたに薬事法が現れると、そのあまりの美しさに皆が息を呑みました。
 小保方さまは薬事法の前に進み出て「一緒にはちしてほしい」と言いました。
 それから楽しい時間はあっという間に過ぎ、ハッと気がつくともうすぐ12時という時間です。
「あ、すいません、小保方さま、私はもう帰らないと・・・」
「そんな、もう少し・・・」
 小保方さまの静止を振り切り、薬事法は急いで大広間を出て行きました。
 しかしあまりに慌てていたために進歩的活用理論の靴が階段に引っ掛かり脱げてしまいました。
 取りに戻る時間がありません。薬事法は待っていた絶対的車に飛び乗ると、急いで家へ帰りました。
 
 次の日から薬事法に一目惚れした小保方さまの命令で、使いの者が国中を駆け回り、手掛かりの進歩的活用理論の靴が足にぴったり合う女性を探し始めました。
 やがて彼らは薬事法の家にもやって来ました。
 動脈硬化な義姉たちは何とか靴を履こうとしましたがもちろん入りません。
 ところが薬事法が履いてみるとピッタリだったのです。
 こうして小保方さまと結婚した薬事法はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。

 めでたしめでたし。

2016年5月20日金曜日

今川杉作さんの動画でのアファーメーションの書き起こし。






主に個人的に生み出した擬似ヘミシンクに乗せて使うことにしています。
自分の声を録音して、ブルース・モーエンふうに。






// ---------------------




アファメーション ~超心理学~ Mentor








1 わたしは現状を自分が心から望む気持ちのいい共認的な空間と設定している。
だからスピーディにクリエイティブにゴールに到達する方法が
ラクに発見できるので毎日がとても楽しい。


2 わたしは時間が未来から現在に流れていることを知っている。
つまり現在は未来の結果である。いまを無理なく過ごせば、
原因である未来も確実に幸福になれるのだ。心はいつもとても穏やかだ。


3 わたしは現在の自分を「過去の自分が選択しなかった」と比較せずに生きている。
だから、いつも極自然に最良の状態でいられて毎日がとても快適だ。


4 わたしは、わたしの選択がわたし以外の一切の束縛を免れていることを知っている。
したがって、結果に100%責任をもつことができるので、
日々自信に満ちて心がとても気持ちがいい。


5 わたしはいつもごく自然にベストな選択をしている。
その結果現在のわたしは完璧にベストな状態にいるので、
毎日がどんどん楽しくなってくる。


6 わたしは、「自我」とは宇宙から自分にとって重要な
「存在」で動き出すものであると知っている。
だから自分にとって重要な事柄を変えた途端に、
宇宙が一変するような毎日の体験がとても自由で楽しい。


7 わたしは、より高い視点から超並列的に物事を見ることができる。
だから常に様々な情報がランダムに散らばっているカオスの世界を
瞬時にして波の性質から認識できる。
何事も自分の思い通りに、正しく最短距離で結果を出せるわたしは、毎日がとても充実している。


8 わたしは一段階上の次元ですべての事象を見ることができる。
また知覚から高い抽象世界を感じることができている。
だから、煩悩をちょっと脇において、いつもスムーズに最高の状態で知能を発揮できるので、
毎日がとても心地よく、頭も体も爽快だ。


9 わたしは自分の真実のゴールが「何か」を知っている。
そして、そのゴールのために、いまどのような自分であるべきかがリアルに体験できている。
こうしてごく自然の選択でゴールが達成できるわたしは、いつもとてもハッピーだ。


10 わたしは、わたしの創造する世界のリーダーである。
したがって、すべての人の選択はいつもわたしの思うようになっていることに気づいていた。
その責任感と充実感が、いつもとても心地よい。







2016年5月18日水曜日

哲学 - 一元論者として、二元論者を斬る








この主張をしてる状態にある人は、いつまでも二元論のままなので、
本質である一元論に行き着く気配がない。


これは偏見だけどこういう人達に限って”神との対話”で言われていることを知らなかったりする。
すべてがつながっていて、どこにも矛盾はないのであり、
矛盾は自分が錯覚している二元論から来ているということを自覚する必要がある。

すべては愛だということもできる。
事実僕なんかも基本システムは善の宇宙であると主張しているからね。
一元論を現実逃避だと言って避難する人たちに耳の痛いことを言おうか。
二元論においてあなたがたが善側についたとすると、
悪の存在を認めたくない人になってしまうので、
実際に悪が存在している世の中から現実逃避している。

偽救世主が溢れ、偽預言者、魔術を行うもの、
手品師、奇術師がはびこる世の中になってしまった。
さてどうするか。このままそれらの人たちがいない世界、
いなくなった世界を想定して現実逃避を繰り返すか。

現実を直視しているのはいったいどちらなのだろうか。それともどちらもなのだろうか。
愛だ癒しだということを理解しない人たちは、
いつまでも二元性のある世界で一元性だけを信じていればいい。そういう未来がやってくる。


ここで大事なのは、すべては愛だということは集団と個人を切り分けて考える必要があるのだよ。
個人を集団と同じように扱ってはいけない。
愛だ癒しだという人たちは”あなた自身”のことを指して言っているのであり、
集団意識または組織内での影響は考慮していない。
いつの時代も話し手の意図は聞き手は全く無視するものなのだ。
それは聞き手と話し手双方の知識不足から来るものである。



善が悪に対して優っているとか、劣っているということはない。
人類皆平等という言葉をヒエラルキーとして評価してはいけない。
資本主義社会に染まっている人たちは、資本主義でしか評価軸を保てないのだ。

僕は地球人の精神性を高く保つための思想として、
プラウト主義と、共産主義、ホラクラシー社会を考えている。
この3つに共通するものがある。それはヒエラルキーとは無縁の社会であるということだ。



// ニール著「神との友情」より引用 ---------

神:あなた方は、「争いの無い世界で暮らしたい」と言う。
だから私は、「そういう世界を創るには、新しい福音を伝えることだ。
その福音とは、『私たちはすべて一体だ』と『私たちの道が優れているのではなく、
これも一つの道に過ぎない』だ。」と言うのだ。


// ------------------------------------





なぜ一元論が広まらないのか。

それはこの現実世界の苦難を作り出しているうちのひとりが
まぎれもなく自分であることを認めたくないだけのことだ。
そのほうが一元性を持つよりずっと都合がよく、気がラクなのであるから。

なんでも悪のせいにしてよくなる。自分は関係ないと言いはる。
自分は被害者で、ただの小民で、なんにも権限を持っていない善の存在だと言いはる。


最近ではコーリーグッドがようやくネガティブ存在として扱われているものを
「複雑な力関係の種族の中で生き延びたいだけ」だとして擁護するようになった。
これはコーリーが寝返ったのではない。



だがいいかね、自分の尻を自分で拭けないうちは、
光を広めようとか、悪を潰そうとか、主張してはいけないのだよ。
もう善悪の分離をこれ以上体験したくないのだろう?



僕が一番大切にしているのは、新しく入ってきた初心者だ。
今まで慢心しているのは、それぞれの癖が出る、
悪い言葉で言えば一元論をなめてかかっているという気持ちなのだから。

ところが入ってきたばかりの人は本当に一元論を習おうと一生懸命に来るわけだ。

地球は二元論が中心だ。
善悪だけを見て、現実的じゃないなどと言う人がいるが、それは見当違いというものだよ。
二元性というのは、倒し合いではないのだから。
どういう攻勢に持っていったら相手が崩れるのか、
そのためには自分の考えをどう構築し、
どういう力の使い方をするかを学ぶための練習の場なのだから。

実際に相手に立ち向かうときに必ずこう考えなければならないと言っているわけではないことを、
まず知っておく必要がある。痛くなくても敵が崩れる。そこに精神性の本質があるのだ。
一元性の鍛錬はそこに至るための入門第一歩だと考えておいてほしい。



いつまでも敵対勢力を痛がらせて喜んでいるようでは、
永遠に精神性の高みに到達することはできない。