2026年1月17日土曜日

人と自分を比べない

隣の芝生は青い。
皆、他人は羨ましい。
自分は、低い。
他人が、高く見える。

それは、正常なことだけど、
自分が低い、他人が高い状態は、
それは自分も実は高いってこと。

自分が高い、他人が低く見える状態は、
逆に実は、自分が低いってこと。

隣の芝生は青い。
ならば、誰かが成りたかった人生は、
誰かが生きたかった今日は、
実は自分の人生なのかもしれない。


こんな事を言うと、
うるせえ、今の俺が救われてないじゃないか、ええ?
といい出す人がいる。

まあ、その境地になってみたことがないんだから、
俺がいまいくら言っても仕方ないんだよ。
俺もむかし、その概念には反対してたよ。
でもいまなら、きっと、

きっと他の誰かしら、俺のような生き方や立ち位置を、
熱望しても得られない人生を生きてたんじゃないか、
などと思えるんだよ。

だから、置かれた場所で咲きましょう、
鉄の魂は鉄、鉛の魂は鉛にしか成れない。
味噌は味噌壺、糞は糞壺にしか入れておけない。
味噌も糞も一緒にすることは出来ない。

だから、俺の今の人生が、いかにちっちゃく観えたとしても、
それは大いなる誤りであり。
今に満足しましょう、ってのは、別に後ろ向きなことではない。

何かを変えよう、前進しようとする心の動き、
それは仮の、仮のモチベなんだ。
自分が変わらないと居られない、何かにならないと居られない、

そうじゃないんだ。
世界はあるがままでよかったんだ。
あるがままというのはつまり、
誰かに成らない・自分は自分にしか成れない

だから人と自分を比べるのは意味ない。
自分を生きよう。
自分を生きるというのは、
自分の取り分以上を望まないということ。