2014年3月2日日曜日

Therion with anthropos ~獣人と人間と~ 第八話 デイガー家 - 1

Therion with anthropos
~獣人と人間と~


第八話 デイガー家 - 1

獣人たちの朝は早い。
太陽が昇るずっと前から軒先のランプに火が灯る。季節によって朝方に灯る場合はあるが、真夏のいまは獣毛の影響で寝苦しく、脱水を起こす場合もあるため眠りが浅い。生活に余裕がある人間とは違っていつまでも寝ぼけている獣人は少なく、寝床を整頓しているうちに目覚めるものがほとんどだ。陽が差してからは、配達業務の鳥族や交通整理をする犬族、出勤途中の猫族などで賑わいはじめる。

「ん・・・・・・朝か」
窓から差す光がまぶしく。ファーはまだ寝ていようと思ったが、デイガー家と交わした約束が頭をよぎったので仕方なく起きることにした。
「ファルさーん、デイガーさーん」
まだヒョコヒョコとした歩き方のまま二人を探しに各部屋をのぞいて回るが、それらしき気配はない。リビングに行くと、一人分の簡素な食事が置いてあった。
「うわあーこれは・・・」
じゃが芋が一個半に葉物が少し、大量の黄色いスープの中に入っている。生の人参が三本、焼きネギが一本。ファーがいままで食べていた朝食とあまりにも違うのでしばらく棒立ちになっていたが、横においてある紙切れに気づいて我に返る。

『ファー、おはよう。さっそくだけど、家の中のことをやってもらいます。自分で考えてやっておいてね。15時頃帰ります』
小さい、丸っこい字で、読むのに支障がない程度の殴り書きがしてあることから、書いている時間帯には余裕があまりなかったことがうかがえる。ファーは昨日のできごとを徐々に思い出し、ひとつ大きなため息をついて、何かすることはないだろうかと思いをめぐらせる。
「いまは・・・11時か。ふぁーぁ、眠いなぁ。とりあえず食べよう」
ファーからしてみれば食事とは思えない朝食を前にして、ひとつため息をつく。ゆっくりと人参に手を伸ばし、汚れがついていないかどうかを確認して一口かじる。植物独特の青臭い味が口の中に広がり、顔を苦くする。見た目は新鮮なようでいて、それほど新鮮ではない人参。焼きネギもそうだ。ファーは焼きネギというものを食べたことがなかったので、その中途半端な焼き具合から辛さが残っているためなかなか食べることができない。
「わぁー!もう嫌だ」
たまらずスープをかき込む。鶏ガラだろうか、多少の香辛料とともにまろやかな塩味が舌根から喉奥へと流れていく。スープは思いのほかまともな味だ。もしかしたら、自分がその順番で食べると予測されていて、山あり谷あり仕組んであったのかと思うほどであった。
ふと水回りを見ると、料理に使ったであろう鍋、スープ皿が2枚にフォークが2セット、水に漬けて置いてある。ファーは自分の食器を含めて適当に水洗いして、それから掃除をすることにした。


「と言っても・・・あんがい綺麗なんだよなぁ」
棒と板を組み合わせただけのような家の造りは、四方八方から絶えず風が吹き込む。そのおかげか、特にホコリらしいホコリは見当たらない。箪笥の角を指でなめれば汚れはつくだろうが、置き手紙を見る限り、べつにファルはファーにはそこまでを求めてはいないように感じられた。あくまでファーに委ねられている、それだけだった。家の中のことをすることで、もしかしたらその適性を発掘されて、ずっと家の中のことを任されるかもしれない。あるいは、いまやっていることの中から自分にあった適性を見つけ出そうという試みなのかもしれない。ファーは平凡ではあれど馬鹿ではないので、いずれは外に出てほかの獣人たちに混ざって働くことになるのだろうかと思案していた。
「んー、少しベタついてるかな」
玄関前と水回りの掃除を終えたのち、自室の箪笥の角を指でなめてみると、少しベタつきが指に引っかかって気になる。そういえば、かすかに潮の匂いがしないでもない。昨日からここにいるので潮の匂いに対して鈍感になっていたのだろうか。ファーは潮風の影響でベタついているのだろうと考え、とりあえず使用頻度の高そうな家具の周りを拭くことにした。
「がんばってるね」
突然背後から声をかけられ、振り向くとファルがいた。水色の丸首シャツに茶色の半ズボンという軽装だが、毛皮は少ししっとりとしていた。いつの間に帰ってきたのだろう。
「ファルさん!一応自分で考えてやっているけど・・・ど、どうだろう」
申し訳なさそうな声で自分がやったところを見せて回る。豪邸でもないからこそ小さな家を綺麗に仕立てるのは大変なものだ。ファルは丁寧に評価をし、改善したほうがよいところは厳しすぎない程度に、わかりやすく指摘していった。
「ファーは几帳面なのね。細かいところによく気がつくし・・・掃除にしても、目に見えない程度の汚れのところは掃除をしないところとか、効率がいいわね。あと潮風のこととかね」
褒めているのか皮肉を言っているのか、どっちとも取れるファルの発言に若干気を悪くしていると、引き戸を開ける音がしてデイガーが帰ってきた。


「よーい、2人とも!今日は釣れたぞー、でっかいやつがな!2匹釣れたわい・・・まあ売ってしまったがな。まったく、カネには代えられん!わっはっは」
デイガーは上機嫌だ。左肩には釣り竿が2本と網、右肩には大きなクーラーボックスを下げている。
「おじいちゃんおかえり!」
ファルが元気に応える。ファーも挨拶を言いかけたが、寄ってきたデイガーに肩を組まれ、頭を撫でられた。ファーには頭を撫でられたことよりも、デイガーの毛皮と汗と加齢臭に潮風が混ざった不快な臭いのほうがきつかった。海の男なんだ、海の男達なんだと思うようにして、デイガーが離れるのを待った。
「よしよし、ファーは可愛いのう。それじゃあ、夕食の準備をしようかの」

棒立ちで硬直するファーと口元が緩んでいるファル。ファルはニヤニヤしっぱなしで、ファーをなだめて台所へと向かわせた。