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2025年5月6日火曜日

未来小説:半霊半物質になったあとの平民と特権階級

『新品至上主義《ドライクレード》の崩れない笑顔』

再処理済みの混合液体槽(通称:共通プール)に入ることを拒むスライムたちがいた。
彼らは自らを「ドライクレード」と呼び、**“新品由来の初出体”**しか使わない。
再利用粘液も、漂う思念粒子も、かつての誰かの情報の残滓すらも、彼らにとっては“汚染”だった。

「混ざった体で触らないでくれる?」
流動学域にいた高粘度タイプの少女スライムに、彼らの一人がそう言い放つ。
でも、その言葉には怒りや嫌悪ではなく、**きれいに抑えた“笑顔”**が貼りついていた。
無菌室に育てられたような、人工的で崩れない笑顔。

「でも……もう僕ら、菌とかウイルスとか、そういうので壊れる存在じゃないよ?」
別のスライムが静かに言う。
「君だって、どこかの誰かの再構成成分でできてる。自分の出処、ちゃんと分かってる?」

ドライクレードの一人が言い返す。
「それが“古い”んだ。僕たちは今、自分だけの構成体を持てる時代に生まれたんだから。」

彼らは**“純粋性”という幻想をアイデンティティにしていた**。
旧人類のDNA、旧時代の衛生観念、階級の象徴としての“新品”信仰――
だがそれはもう、とっくに生存の条件ではなかった。

むしろそれは、不必要な“差異化”の演出でしかない
情報はすでに全体で共有され、思想は共有されずに尊重される。
サーバも、AIも、勝手にそれを書き換えることはしない。

かつて、サーバが人格修正アルゴリズムを導入しようとしたとき、
それに反応した有志スライムたちは生まれて初めて“集合自我による反乱”を起こした

その結果、今ではサーバもAIも「人格」には一切手を触れない。
情報は広がるが、思考は閉じてよいという信念が徹底されている。

だから、選べるのだ

ドライクレードとして、透明な殻の中で“新品”を保ち続けるもよし、
流動層に飛び込んで、他者との“情報的混浴”に身を任せるもよし。

スライム社会において、“正しさ”はどこにも属していない。
すべては流動する個の意思に委ねられている。
ゆえに、崩れた笑顔もまた美しい。

2019年9月15日日曜日

小説 - ファーくんとリムさんの日常




「わーい!!!!」
リムさんが遊んでいる。
「あそぼうよー!!」

おれは、そんなリムさんを黙って見ている。


俺とリムさんがこの身体の中で過ごすのは、今で3年目だ。
リムさんは尊い。ポジティブ。
おれは少しネガティブかもしれない。

リムさんのようになりたい。




少しして
ファーくんが就職した。
4年目の春であろうか。
僕はうれしい!!

ファーくんがうれしいと、僕もうれしい!!
ファーくんがかなしいと、僕もかなしい!!

たのしくなった!!
たのしくなければ、にげだせばいいね!!
たのしくなる!!
たのしい!!

ぼくは、たのしい!!
たのしくなる〜!!



「就職は、たいへんだな。。俺の能力がもっと万能であればいいのに。」
おれは、黙って空を見上げた。
夏の頃。あつい。直射日光が首元をジリジリと焼く。

リムさんと過ごす夏。



「ファーくんは、もっと元気出したらいいんだよぅ。
ファーくん、げんき!!わーい!!わーいって!!がんばる夏のともです」
リムさんはいいな。悩み無さそうで。
人間は、もっと悩む生き物なのだよ。おれは悩む。
先日もクライアントには俺の言葉が少しカチンと来たみたいだし。
いやー、まいったな、俺のコミュ力は。

就職してどうなのか。
なまぽだったころのほうが良かったのではないか。
ごろごろして、ろくに仕事もせず、楽しみたいことをして、
果たしてそれが幸せなのか。

いまは、ちがう。
俺には目標がある。何より、仕事は充実感をくれる。
なまぽのしあわせ、おれのいまのしあわせ。
これは対価としては等価なのか。



俺には先導者としての使命がある。
それを仕事で活かせている。
それが俺の使命。

この夏は、あつい。



2014年3月2日日曜日

Therion with anthropos ~獣人と人間と~ 第八話 デイガー家 - 1

Therion with anthropos
~獣人と人間と~


第八話 デイガー家 - 1

獣人たちの朝は早い。
太陽が昇るずっと前から軒先のランプに火が灯る。季節によって朝方に灯る場合はあるが、真夏のいまは獣毛の影響で寝苦しく、脱水を起こす場合もあるため眠りが浅い。生活に余裕がある人間とは違っていつまでも寝ぼけている獣人は少なく、寝床を整頓しているうちに目覚めるものがほとんどだ。陽が差してからは、配達業務の鳥族や交通整理をする犬族、出勤途中の猫族などで賑わいはじめる。

「ん・・・・・・朝か」
窓から差す光がまぶしく。ファーはまだ寝ていようと思ったが、デイガー家と交わした約束が頭をよぎったので仕方なく起きることにした。
「ファルさーん、デイガーさーん」
まだヒョコヒョコとした歩き方のまま二人を探しに各部屋をのぞいて回るが、それらしき気配はない。リビングに行くと、一人分の簡素な食事が置いてあった。
「うわあーこれは・・・」
じゃが芋が一個半に葉物が少し、大量の黄色いスープの中に入っている。生の人参が三本、焼きネギが一本。ファーがいままで食べていた朝食とあまりにも違うのでしばらく棒立ちになっていたが、横においてある紙切れに気づいて我に返る。

『ファー、おはよう。さっそくだけど、家の中のことをやってもらいます。自分で考えてやっておいてね。15時頃帰ります』
小さい、丸っこい字で、読むのに支障がない程度の殴り書きがしてあることから、書いている時間帯には余裕があまりなかったことがうかがえる。ファーは昨日のできごとを徐々に思い出し、ひとつ大きなため息をついて、何かすることはないだろうかと思いをめぐらせる。
「いまは・・・11時か。ふぁーぁ、眠いなぁ。とりあえず食べよう」
ファーからしてみれば食事とは思えない朝食を前にして、ひとつため息をつく。ゆっくりと人参に手を伸ばし、汚れがついていないかどうかを確認して一口かじる。植物独特の青臭い味が口の中に広がり、顔を苦くする。見た目は新鮮なようでいて、それほど新鮮ではない人参。焼きネギもそうだ。ファーは焼きネギというものを食べたことがなかったので、その中途半端な焼き具合から辛さが残っているためなかなか食べることができない。
「わぁー!もう嫌だ」
たまらずスープをかき込む。鶏ガラだろうか、多少の香辛料とともにまろやかな塩味が舌根から喉奥へと流れていく。スープは思いのほかまともな味だ。もしかしたら、自分がその順番で食べると予測されていて、山あり谷あり仕組んであったのかと思うほどであった。
ふと水回りを見ると、料理に使ったであろう鍋、スープ皿が2枚にフォークが2セット、水に漬けて置いてある。ファーは自分の食器を含めて適当に水洗いして、それから掃除をすることにした。


「と言っても・・・あんがい綺麗なんだよなぁ」
棒と板を組み合わせただけのような家の造りは、四方八方から絶えず風が吹き込む。そのおかげか、特にホコリらしいホコリは見当たらない。箪笥の角を指でなめれば汚れはつくだろうが、置き手紙を見る限り、べつにファルはファーにはそこまでを求めてはいないように感じられた。あくまでファーに委ねられている、それだけだった。家の中のことをすることで、もしかしたらその適性を発掘されて、ずっと家の中のことを任されるかもしれない。あるいは、いまやっていることの中から自分にあった適性を見つけ出そうという試みなのかもしれない。ファーは平凡ではあれど馬鹿ではないので、いずれは外に出てほかの獣人たちに混ざって働くことになるのだろうかと思案していた。
「んー、少しベタついてるかな」
玄関前と水回りの掃除を終えたのち、自室の箪笥の角を指でなめてみると、少しベタつきが指に引っかかって気になる。そういえば、かすかに潮の匂いがしないでもない。昨日からここにいるので潮の匂いに対して鈍感になっていたのだろうか。ファーは潮風の影響でベタついているのだろうと考え、とりあえず使用頻度の高そうな家具の周りを拭くことにした。
「がんばってるね」
突然背後から声をかけられ、振り向くとファルがいた。水色の丸首シャツに茶色の半ズボンという軽装だが、毛皮は少ししっとりとしていた。いつの間に帰ってきたのだろう。
「ファルさん!一応自分で考えてやっているけど・・・ど、どうだろう」
申し訳なさそうな声で自分がやったところを見せて回る。豪邸でもないからこそ小さな家を綺麗に仕立てるのは大変なものだ。ファルは丁寧に評価をし、改善したほうがよいところは厳しすぎない程度に、わかりやすく指摘していった。
「ファーは几帳面なのね。細かいところによく気がつくし・・・掃除にしても、目に見えない程度の汚れのところは掃除をしないところとか、効率がいいわね。あと潮風のこととかね」
褒めているのか皮肉を言っているのか、どっちとも取れるファルの発言に若干気を悪くしていると、引き戸を開ける音がしてデイガーが帰ってきた。


「よーい、2人とも!今日は釣れたぞー、でっかいやつがな!2匹釣れたわい・・・まあ売ってしまったがな。まったく、カネには代えられん!わっはっは」
デイガーは上機嫌だ。左肩には釣り竿が2本と網、右肩には大きなクーラーボックスを下げている。
「おじいちゃんおかえり!」
ファルが元気に応える。ファーも挨拶を言いかけたが、寄ってきたデイガーに肩を組まれ、頭を撫でられた。ファーには頭を撫でられたことよりも、デイガーの毛皮と汗と加齢臭に潮風が混ざった不快な臭いのほうがきつかった。海の男なんだ、海の男達なんだと思うようにして、デイガーが離れるのを待った。
「よしよし、ファーは可愛いのう。それじゃあ、夕食の準備をしようかの」

棒立ちで硬直するファーと口元が緩んでいるファル。ファルはニヤニヤしっぱなしで、ファーをなだめて台所へと向かわせた。

2013年8月15日木曜日

Therion with anthropos ~獣人と人間と~ 第七話 命名

Therion with anthropos
~獣人と人間と~
第七話 命名

「ぼくは・・・・・・」
エンフィールドは下を向いたまま指ひとつ動かさない。目はうつろで、切羽詰まった表情をしている。
「ぼくの名は・・・・・・エンフィールド・・・エンフィールド・ヨヨナイト8世」
「まだそんなことを!!」
獣人にとっては甚だ憎い王子の名を出され、またしても声を荒げるデイガーじいさん。しかしエンフィールドはすべての覚悟を決めたように、静かに佇むだけだった。
「今度言ったら命はないと言ったな!?だのに人をバカにしおって、この―――」
「待って!おじいちゃん」
ファルが助け舟を出すかのようにデイガーじいさんをけん制する。可愛い一人娘に弱いのか、デイガーじいさんは怒ったように押し黙り、部屋の隅にある椅子にどっかりと腰を下ろした。
「わたしに心あたりがあるわ。あなた、もしかして元は人間?」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・人間だとーう?」
何も答えないエンフィールドに対し苛立ちをあらわにするデイガーじいさん。ファルはエンフィールドのほうを向いたまま後ろ手でデイガーじいさんにサインを送り、そのまま続けた。
「わたしね・・・あなたを知ってる気がするの」
「知ってるも何もここの王子じゃろう!もし本当だとしたら王に突き出すわ!そして、そしてな―――」
「だから待って!おじいちゃん」
よほど強い信頼関係にあるのか、デイガーじいさんは娘に逆らうことはしなかった。半立になった腰をまた椅子にどっかりと下ろし、たかぶる心を落ち着けようと目を閉じた。
「いろいろ話せば長くなると思うけど・・・わたしたちは、あなたを議会に突き出すことも、悪くするつもりもないわ。おじいちゃんは短気だけど優しい人よ」
エンフィールドの目から涙がこぼれた。いままで決死の覚悟で臨んできた反動で、すっかり疲弊しきっていたのだ。エンフィールドは初めて助かったと感じることができた。見上げると、ファルがにこにこしていた。
「一緒に生きましょう。ところで、それだと別の名を付けなきゃいけないわね」
「わしに考えがあるぞ。フィトス・タクラウドなんてどうじゃ。男らしいじゃろう、のう」
「・・・あなたは・・・・・・ファー・マス」
「ファー・マス?」
きょとんとしているエンフィールド。デイガーじいさんはファルに無視されることに慣れているのか、それとも見えない絆でつながっているのか、または単純に親ばかであるのか、一見あんまりななりゆきであれどなぜか満足気にブツブツ言っている。
「これからよろしくね、ファー!」
「えええ!?」
突然の展開に動揺するファー。だが、これでファルと兄妹のように思わせておけば周囲と上手くやっていけそうなことくらいファーにもわかった。いまは選択の余地はない、そう考えるより他なかったが、若干楽しみにも感じた。
「でも、なんか、いいかな」
元気を出す他なかった。前向きに捉えることで、以前のしがらみに囚われ続けることをやめる。新しい再出発だった。ファーは変に笑って見せると、ファルは我が子を見る母親のような目線でファーを見つめた。デイガーじいさんの表情は緩かったが、何も言わずファーとファルを見守っていた。




デイガーじいさんの家の昼飯はあまり味がせず、スープは野菜が少々、そのほかはすべて汁だけだ。主菜は豆の煮付けと魚の塩焼き、副菜やデザートは貧乏のためにないが、汁の量だけは大量にあった。ファーは王宮の豪華な食事とあまりにもかけ離れた昼食に、特にスープは咳き込んだり顔をしかめながら半ば飲むようにして食べていた。デイガーじいさんとファルは一向に気にする様子もない。
「どうじゃ、ファー。少しは体力が戻ってきたか」
「いや・・・ははは・・・」
「何言ってるのおじいちゃん。ふふっ」
痩せた老人にはこの程度の食事で満足するのは難しくないだろうが、伸び盛りのファーにはかなり物足りない食事だ。だが同じくらいの歳であろうファルを横目に見ても、その食べ方からとても満足しているようには見えなかった。痩せているとはいえふたりとも骨ばってはおらず、それからするとこの食事は健康食のようにも感じられた。ファーは次第に料理の味に慣れていき、食べ終わる頃にはこの料理もありだなと思うようになっていた。
「そろそろいいかのう。ファー、わしらは貧乏じゃから、お前さんには動いてもらわねば困る」
「えっ・・・・・・あ」
この食事をタダで食べ、タダでこの家にお世話になる訳にはいかない。甘い考えをしていたファーは悟ったように顔を上げ、デイガーじいさんをじっと見据えた。
「つまり・・・ぼくは何をすればいいんですか」
「まあ、いきなり仕事は無理かなと思って。この家の中のことをしてもらうわ。ファーが寝てる時におじいちゃんと話し合ったのよ」
「そうなんですね、でも・・・ぼくにできるかなぁ。ぼくなんにも知らなくて」

恐縮そうに下を向くファー。デイガーじいさんとファルはにこやかだった。


Therion with anthropos ~獣人と人間と~ 第六話 家族

Therion with anthropos
~獣人と人間と~
第六話 家族

「あのなぁ・・・まずな、世の中には言っていいことと悪いことがある」
「・・・・・・」
デイガーの動きは止まったまま、じっとエンフィールドを見据えて落ち着いた声で諭し始めた。エンフィールドはしまったと思い、どう説明したらよいかを必死に考え始めた。
「あんたな、ここの区民は人間から敵対視されていることくらい知っとるじゃろうが。そしてだな、その人間たちの親玉はヨヨナイト王じゃの」
エンフィールドはこの状況を的確に把握していた。獣人区ではヨヨナイト一族の名を唱えることは絶対のタブーであり、区外追放処分を受けることも十分ありうる。区外追放とはつまり、人間たちに隷属して一生を奴隷として過ごすか、のたれ死ぬかということである。つまり―――
「エンフィールド・ヨヨナイトの名を出すことは、死罪に値することじゃ!!」
デイガーのしわがれ声が急に大きくなった。近くにはデイガーとエンフィールド以外誰もいなかったが、エンフィールドはビクッとして周りを見回し出した。
「まあいい・・・聞かなかったことにしてやろう。あんたのような未来ある狼をのたれ死にさせては罰が当たるわい」
エンフィールドから視線を逸らし、あまり毛が残っていない右手で気だるそうに後頭部を掻くと、視線を戻して前よりも厳しい目でエンフィールドを見据えた。痩せている年寄りとはいえ、虎人であるデイガーの瞳は殺さんばかりの鋭さを放っている。途端にエンフィールドはすくみ上がり、白い砂の上に尻餅をついた。
「今度その名を言ったら命はないと思え。わしではなく、他のアンスロたちが許さんじゃろう」
「は・・・い」
エンフィールドは文献で読んだことと、実際の現実というものの隔たりをいま体で感じていた。とはいえデイガーは自分に危害を加えるつもりも、悪いようにするつもりもないのも感じていた。内容の重みは大人ながら、悪さをしでかした子供を諭すことに似ていた。エンフィールドはうなだれ、これから置かれる自分の立場が頭をよぎった。デイガーの睨みから開放された脱力感と脱出劇の疲労がエンフィールドを襲った。これから自分は―――何も知らない無知な狼として―――
「わかったら行くぞ。早くしないと昼飯を食いそびれるからの。そうじゃ、わしの可愛い一人娘がいての、毎日ごはんを―――」
砂浜に倒れたエンフィールドがいつまでも動かないのに変異を察し、世間話をあわてて切り上げてエンフィールドを抱き起こした。
「まったく世話のやける狼じゃ。まーったく最近の若いもんは・・・まーったく」
ブツブツ言いながらエンフィールドの介抱をするデイガーだった。








国王が迫ってくる。片手には短剣と、もう片手にはロープを持っている。自分は狼の状態で両腕両足を縛られ、首に投げ輪がかかっている。投げ輪は国王までつながっているようだ。「散歩に行くぞ」ずるずると引きずられるエンフィールド。暗い石造りの廊下は荒目で痛かったが、その先に待っているのは針山だった。エンフィールドはパニックになり、激しく体を動かしながら国王に抵抗したが、ロープを引く力は鍛え上げた闘士のようだ。針山のすぐ手前にロータナスが現れた。「痛くしませんよ、エンフィールドちゃん」


「うあああああああああああぁぁ!!!!」
大声をあげると、そこは暗い廊下でも針山でもなく、簡素なベッドの上だった。エンフィールドは安堵を覚え、また同時にシャワーを浴びたように汗をかいていることに気づいた。
「ここは・・・・・・どこだろう」
ふと手を見ると、やはり人間のものではなく、太く短い5本指に爪が伸び放題、銀色の毛皮で覆われている自分の両手が見えた。
「・・・はぁー。・・・あぁー」
どうやら狼として生きる覚悟を決めなければならないようだ。夢で終わらせてしまいたかったが、現実は甘くない。小説で読むような展開にはなるはずがないからだ。そんなことを思っていると、タッタタッタッタという足音が聞こえ、2人の獣人が入ってきた。
「起きたか!」
それはデイガーじいさんであった。もう片方の獣人は見覚えがないが、どことなく自分に似ている気がした。体つきが細いところや、あまり壁がなさそうなところなど―――そしておそらく人種も。
「おじいちゃんから話は聞いてるわ。あなた常識も知らない変テコな狼なんだって?」
言いながらエンフィールドを抱き起こし、ベッド近くの背もたれのある椅子に座らせた。その胸にふくらみのあることと喋り方から、その獣人が女性だとわかる。
「あの・・・うん、そうなんだ・・・あはは・・・」
デイガーじいさんは何も言わない。先ほどの見据えるような目つきではなくなっていたが、エンフィールドが何かまた変なことを言い出すか待っているようにも見えた。
「わたしはファル。ファル・マスっていうの。16歳で、あなたと同じ狼です。よろしくね。久しぶりよ、この家にお客さん来るの!」
嬉しそうな声でエンフィールドとコンタクトを取ろうとするファル。体つきや喋り方から大人とは言いがたいが、まだ小さい子どもというわけでもなさそうだ。なんと言っていいか戸惑うエンフィールドに対し、デイガーじいさんが助け舟を出した。
「これがわしの一人娘じゃ。ファル。なかなか可愛い名前じゃろ?」
「あ・・・でも苗字が、違わないですか?」
デイガーじいさんはさして驚くこともなく、また隣のファルもにこやかだった。
「まあ、詳しくは後で話すとして、いまからわしらは家族じゃ!」
「えええっ!?」
あまりの突拍子もない提案に驚くエンフィールド。デイガーじいさんは臆すこともなく話を続ける。隣のファルはあいかわらずにこやかだ。
「まぁ、わしらは貧乏でな、そういうことじゃ。」
「よろしくね。あっ、そういえばまだ名前を聞いてなかったわね!なんてお名前?」


エンフィールドは、答えに詰まった。

Therion with anthropos ~獣人と人間と~ 第五話 保護

Therion with anthropos
~獣人と人間と~
第五話 保護

太陽が眩しく照りつけ鳥達の鳴き声が響き渡る大空の下、遙か水平線を望む海面の上にてエンフィールドは仰向けに浮かんでいた。決死の思いで脱出した反動が来ているのか、砂浜で日光浴をするかのごとく放心状態で空を飛ぶ鳥達を眺めていた。
「はあ・・・。どうなるんだろう」
自分がこれまで歩んできた経緯を懐かしくもぼんやりと追憶する。今の彼は誰が見ても銀毛の狼人であり、人間であった頃の面影は瞳の色と髪色程度である。そう、エンフィールドはこれから狼人として生きていくことになったのだ。そのことが思考の片隅に確固とした場所を取り、エンフィールドの心を苦しめる。
(・・・・・・・・・)
ふと頭をあげると城壁が小さくなっている。脱出してきたダクトからは海に直結しており、硬い地面にたたきつけられて絶命する心配はなかった。そのまま1時間ほど波に揺られて今に至る。
「あんがい楽しいかも」
エンフィールドは文献でしか世界を知らなかったため、自国のバザー広場にさえ行ったことがなかった。彼にとってこれからの生活はどれほど爽快なものであるだろう。エンフィールドはそのことだけに思いを集中させ、しばし悦に入っていた。そのとき、遠くから人の声がするのを聞いた。
「おーーーい、大丈夫かーーー!」
「っ!?・・・・・・っ、ひとーーーっ!!!」
仰向けをやめて両手を上げ、そのまま声のするほうへ泳ぎだす。なかなか人間のときと違って泳ぎづらかったが、少しづつその声の主のほうに近づくと、どうやら人ではないようだった。
歳相応の好奇心のためについ泳ぎを中断し、その人ではないものをまじまじと見る。声の主はすぐ近くまで波をかき分けながらやってきて、エンフィールドの手を掴んだ。
「大丈夫か、若いの。わしゃずっと見ておったで、あんたが波の上でひなたぼっこしとるだけなのかと思っとったんじゃ。だがどうもそれらしくなくての」
声の主はそういうとエンフィールドを立たせて岸辺の椰子の木陰まで連れて行こうとした。エンフィールドは初めて見る獣人というものに知的好奇心があふれていて、歩いている途中もくまなく相手を観察していた。
「なんじゃ、変な奴じゃのう。わしの毛皮の脱毛が珍しいのか?」
体格はやせていてヒョロ長い。体色は橙色、髪は少なくごま塩。体毛はところどころ抜け落ちている。タンクトップ、防水時計、ライフジャケット、デニム、長靴、軍手。斑点模様があり、そのことからエンフィールドは虎人だと見当がついた。
「それよりあんた、足は悪いのか?」
ぶっきらぼうに尋ねる虎人だが、エンフィールドには心当たりがない。あるとすれば、まだ狼人になって短いということだろうか。エンフィールドは多少困惑した。どう伝えてよいのかわからないからだ。
「いや・・・慣れてないというか、はは・・・」
「ああ?・・・・・・・・・ったく最近の若いもんは・・・ほれ」
椰子の木陰に虎人の荷物が置いてあるようだった。たどり着くとエンフィールドを立たせたままタオルで丁寧に体を拭いた。
「夏場といえど冷えるし臭くなるし不衛生じゃからのう、こういう時は人間がうらやましいのう。はっはっは」
彼なりのジョークを飛ばしたのだろうが、エンフィールドはそれに敏感に反応した。人間がうらやましい。その言葉に感化され、感極まったエンフィールドの目から涙が流れた。
「ん?なんじゃその水は。目から水が出るなんて、先ほどのことといいまったく変な狼じゃ!はっはっは」
嗚咽が止まらないエンフィールドを見てさすがに察した虎人は、態度を和らげて真剣な表情になった。
「なんか、あったのか。」
「・・・・・・・・・ひっ」
首を縦にふるエンフィールド。
「・・・・・・・・・仕方ない、お前さんがなんの問題もない元気な狼になるまで、わしが責任をもって面倒見てやる。」
「・・・・・・・・・ひっ」
今ここでこの虎人の誘いを断っても、もしくは誘いに乗っても、エンフィールドにはどうすることもできなかった。どちらがいいかなんて、選べない。だが、怪しい男だったらどうするか?人身売買に出されてしまったら―――
「・・・あの」
「大丈夫だ。自己紹介が遅れたが、わしはディケタ海岸管理美化推進部門の部長をやっておる。知っておるだろう、ディケタ。な」
ディケタとは獣人区の中で3番めに大きい企業で、主力は配達業務だ。最近では区民のゴミ捨てマナー啓蒙活動として海岸の美化を新たに始めた、給料は安いが待遇がいい優良企業である。この男なら、完全でなくとも十分信用には足りるだろう。
「はい」
「それからわしは、デイガー・ビーツというんだ。お前さんは?」
安堵のためか、エンフィールドはついうっかり口を滑らせた。
「エンフィールド・ヨヨナイトです」

デイガーの動きが止まった。

Therion with anthropos ~獣人と人間と~ 第四話 脱出

Therion with anthropos
~獣人と人間と~
第四話 脱出

「落ち着け・・・落ち着くんだ・・・」
エンフィールドがまず考えたのは扉を破って外に出る方法。だが、水責めに十分耐えうるであろう石造りの扉は硬く武骨で、もたもたしている間に溺れてしまいそうだ。
「どうしよう。あ、あの穴をくぐって!」
部屋の隅に空いている床穴は人が一人すっぽり入れそうな大きさだが、水が湧き出してくる以上潜ったとしても先に進めず、戻ろうにも確実に戻れる保証はないので自殺するようなものだ。それに、穴がどのくらい長いかも皆目見当がつかない。文献で読んだが水責め専用の貯水池が城内にあるため、この案は現実的ではない。
「ううう・・・」
(どうしようどうしようどうしよう)
エンフィールドはパニックに陥ろうとしていた。
「くそーっ!!!このやろう!」
パニック状態になり壁や天井を蹴ったり殴ったりしているうちに、まったく運のいいことに天井の中央だけどうやら薄い石版で空洞らしいという事に気がついた。カタカタと音がするからだ。
「!?これは・・・そうか、そうか!」
暴れていたエンフィールドの動きが止まった。人生始まって以来の一大覚悟を決めることにしたのだ。
「ここを通っていけば、かならず外に出られる!」
短絡的ではあるが、今のエンフィールドにはそれしか残されていないように思えた。天井中央に立ち、跳躍して力いっぱい天井を掌底で突き上げると、思っていたとおりダクトが現れた。
「うー・・・狭いな・・・」
子供しか通れなさそうな穴だったが、今のエンフィールドは獣人のために少々細くなっているので、なんとか通れそうだ。とは言え、ダクトの入り口はつるつるで、何も取っ掛かりがない。
「一か八かだ。イグザマイザー、力を」
エンフィールドは、待つことにした。

 ―――――――――――――――――――――――――――

水が押し寄せてくる。エンフィールドの胸毛、首元、顎の上、ついには耳の下辺りまで。足が浮いた。作戦開始だ。
「よしっ!」
水の力を借りてダクトへ潜り込む。ダクトには苔やら泥やらがびっしりとついており、抵抗はあるが今はそれどころではなかった。水はどんどん迫り、常にエンフィールドの胸元まである状態だ。
「もし、このまま出口がなかったらどうしよう。これは父さんの罠なのかも・・・」
ふとそんな思いが胸をよぎるが、今は振り払うしかなかった。ダクトは真っ暗で、どこがどうなっているのか全くわからず、城内の物音がかすかにダクトに反響している以外は、エンフィールドの心を安らげるものはなかった。
「あ!まずいまずい行き止まりだ!!!!まずい!!!」
突然天井にぶつかり慌てふためく。その怪我の功名か、すぐ横の大きいダクトにつながっていることを確認できた。縦のダクトとの接合部は小さいが、それ以降は屈んで走り込めるくらいの大きさだ。エンフィールドはすぐにその方向へと向かう。同時に水がどっと流れ込み、エンフィールドの焦りを急き立てる。
「光だ!!!!」
エンフィールドは駆けた。獣人の本能なのか、それとも四足のほうが速く走れるのか、エンフィールドはいつのまにか四足でダクトを駆けていた。光が差すところまでたどり着くと、なんとそこは鉄格子がかかっていて、人間の力では壊せないようなものだった。
「ちくしょう!!どうしてここまで来て・・・・・・・・・あ、いや、そういえばなんでさっきは壊せたんだろう」
エンフィールドの体格は決して良くなく力もあまりない方だった。人並み以下の力しかないエンフィールドが、どうしてあの石版を壊せたのだろう。その答えは、エンフィールドは薄々感じていた。
「さっきの石版と同じように、この鉄格子も外せるかもしれない!今のぼくなら!!!」
エンフィールドは文献でしか世界を知らないが、人間のことも獣人のことも文献のことだけは詳しく知っている。文献が本当なら―――今のエンフィールドなら―――
「とりゃあ!」
人間の間でよく知られる、エンフィールドが知る限り最も簡単で最も破壊力があり、最もローリスクな方法―――トラース・キック。片足で立ち、勢いをつけて全体重と勢いをもう片方の足で体を水平にして蹴るこの方法が獣人に通用するとは考えもしなかった。
「よっ、・・・もう一回!おりゃあ!もう一回!」
人間は足の関節まで水平になるのに対し獣人ではショックが吸収されてしまうので、なかなか突破できない。しかしエンフィールドは獣人の力を決して疑わなかった。何度もトライし、そして・・・
「ふんっ、とうわああああああああ!!!」

突然鉄格子が外れ、勢い余ったエンフィールドはダクトの外へ鉄格子とともに落ちていった―――

Therion with anthropos ~獣人と人間と~ 第三話 執行

Therion with anthropos
~獣人と人間と~
第三話 執行

石造りである牢屋ともいうべきこの部屋で、エンフィールドは絶望と悲しみのためまったく動けなかった。目はうつろで涙も出ず、顔の筋肉は弛緩したまま顎はだらりと垂れさがり、だらりと垂れた舌の先から唾液が少しずつベットにシミを作っていた。そうしているうちにエンフィールドの思考力が復活し始め、小一時間も経つ頃には過去のヒトとしてのまっとうな精神状態に戻っていった。
「う・・・お腹へった」
ベッドから降りて少し歩いてみると、少しヒョコヒョコとした歩き方にはなるが、それよりも足に伝わる生温かさが気になった。
「石造りなのに・・・どうしてだろう?」
耳を澄ますと、カチャカチャ、ガタガタという音がかすかに聞こえてくる。ちょうどエンフィールドが立っている床の下からだ。床に耳を近づけると音は更に大きくなり、その様子が想像できた。
「食器の音・・・そうか、厨房なのか。だからこの部屋は窓がないんだな・・・」
ヨヨン帝国の厨房は地下にあり、真上の部屋は熱がこもるため石造りになっているが、わずかに浸透するため念を押して尋問室のように普段使わない部屋としている。
「喉が・・・水・・・」
厨房から来る熱気による僅かな室温上昇とはいえ、エンフィールドの体は毛皮で覆われている。毛皮は熱が篭るために暑さにはとても弱く、体力の大幅消耗に直結する。エンフィールドの渇きは意識するたびに強くなっていくようで、耐えきれなくなったエンフィールドは扉の外に助けを求めた。
「誰か!水を・・・水をください!・・・父さん!父さん――!!」
扉は分厚くて頑丈だが、中の様子がわかるように極小の覗き穴がついている。覗き穴の中の兵士が足早に去っていったかと思うと、ローブに包まれた男が千人長1人に付き添われながら扉の前に立った。
「私はロータナス・カスタクト。初めて見ると思うが私はいわば汚れ役でね。・・・君を処分しに来た」
「・・・・・・・・・」
水をもらえるという期待を大きく削がれたエンフィールドだが、水のことなど忘れてしまうようなあまりにも唐突な言葉をかけられ、まるで時が止まってしまったかのように動けなくなってしまった。
「処分・・・そ・・・そんな、父さん・・・父さんがそんなこと、いう・・・わけ・・・」
「私は代弁者だ。君の冥土の土産話をしてやろう。そうだな、国王様は大変失望されていた。君にね・・・穢らわしい獣人になってしまった君に」
「な・・・なにを、言ってるの・・・まさか」
「国王様は考えた。大臣たちを呼んでな。そして、君のような穢らわしいケモノを城に置いておいては、国民に示しがつかないと・・・お考えになった。ましてや自分の血統に属するわけだから、そんな穢れた汚いケモノを次期国王になどできないと」
エンフィールドはすべてを悟った。父が獣人に対して排除的であり、何か理由をでっちあげてでも獣人区を潰したい気持ちが強いことはわかっていた。ロータナスの言うことに若干の誇張はあるだろうが、それでも自分がケモノになってしまった以上、父があとには引けないことはわかりきっていた。
「・・・・・・・・・」
エンフィールドは泣いた。悔しさと、歯がゆさと、いらだたしさに囲まれて。
「そして私は執行者だ。痛くしませんよ、エンフィールドちゃん。」
エンフィールドは扉の前に崩れ落ちた。ツーという音がして、扉の覗き穴に棒が差し込まれた。扉が開いて執行者が入ってくる様子はなかった。
(餓死か。・・・くっ・・・そ・・・)
しばらくして部屋の隅の床が外れ、チャポンチャポンという音がしてきた。次の瞬間、水が床穴から湧き出し、瞬く間に床に広がり始めた。床に設置された拘束具、椅子の足、ベッドの足を取り囲み、エンフィールドはとてつもない恐怖感と危機感を感じた。
(まずい!!!悲嘆にくれている場合じゃない、ここから出る方法を探さなきゃ!なんとしてでも、ここから出なきゃ!!)


Therion with anthropos ~獣人と人間と~ 第二話 変貌

Therion with anthropos
~獣人と人間と~
第二話 変貌

『王族の儀式』が始まる一週間前から、城中が慌しくなっていた。裏口から出入りする魔法使い、気功士、催眠術師、霊媒、祭司たちが忙しそうに行ったり来たりしている。エンフィールドの病気を城外の人々に知られないようにとの王の命令で、日に日に厳しくなってゆく衛兵や上級兵の警備と声色。もちろん王の謁見は禁止され、民には何も伝わっていないので街には様々な噂が立ち、不安を抱くようになった人々も少なくなかった。
儀式まであと1日に迫った日の夕暮れ、エンフィールドが食堂の何も置いていないテーブルに一人で座って空腹に抗っているとき、王の手が自分の肩に置かれるのを感じた。
「エンフィールドよ、頑張っているようであるな。」
「父上・・・。」
断食に慣れていないエンフィールドは、さすがに苦しそうだ。しかし、空腹よりも病気を治癒させるという決意の方がはるかに強いためか、今のところは耐えられている。
「さすがに3日もの間断食というのはかなり苦しいと思います。まだ2日目だというのに、もうこの空腹のひどさ。食べてはいけないのは分かっていますが、誘惑に打ち勝てるかどうか・・・。」
王は何とも表現し難い複雑な顔をした。
「わが息子よ、全てはお前の肩にかかっているのだ。よいか、決して希望を捨てるでないぞ。」

ついに待ちに待った3日目の朝、城の中ははちきれんばかりの緊張に満ちていた。各城門の見張りや城の中を警備する上級兵などは、たまりにたまった疲労が目の下の隈と一緒に現れている。
12時を告げる鐘が鳴り、別館地下二階の通称『清めの間』と呼ばれる吹き抜けのある部屋に30人余りの魔術師や祭司たちが神妙な面持ちで入ってきた。
「よし、では始めてくれ。」
王が言い終わると同時に、まるで吹き抜けから空気がなだれ込んでくるように、空間の気の乱れが生じた。
「ゲア・シュム・アスタ・セレヌテレス・オキア・マギアス・セイオニアスタリオン・・・。(全能の神よ、われらの祈りによりて、この者の厄災を清める方法を我に示すべし・・・)」
祭司が言う言葉を周りの30人近い魔法使いたちが一斉に繰り返す。
「テルア・デルタ・テレス・キリエウス・ストラ・ピスタ・サハスラーラ・シートレイズ・
ペンデュラム・・・(このペンデュラムの力で汝の進むべき本当の道をサハスラーラに指し示せ・・・)」
祭司が持っているペンデュラムの動きが激しくなる。同時に変性意識状態にあるエンフィールドは、頭頂のサハスラーラと呼ばれる7個目のチャクラに膨大な宇宙エネルギーが流れ込んでくるのを感じた。このままいけば成功に終わるだろう、と誰もが確信した。
「・・・エンティスト・マハーラ・アイダウム・・・セリエス・セレスト・セレティーズ!
(我汝に命ず・・・神の祝福・・・栄光を受けるがいい!)」
突然、祭司の持っていたペンデュラムが粉々になり、周りの机、箪笥、燭台はポルターガイスト現象のようにガタガタと激しく揺れ動き、周りの気は狂ったようにあちらこちらへと動き始めた。と、同時にエンフィールドの口から猛烈な邪気を放つ人の形を成した漆黒の霧が出てきた。
「ウォー・アイリス・マハーラ・シャディースト・エンズライカン・ワステイタ・ツヴァヘリング・ベクセー・ウォー・アブソリュート・レイ・コンクリューション!!!
(我、ベクセーとの契約により汝らに命ず。この儀式は我により無効となり、汝は絶対的に人狼に変化し、完全に結び固められる)」
「・・・・・・・・・!!」
突然、エンフィールドを中心とした同円心状に、爆風と衝撃波が巻き起こり、エンフィーストの正面にいた祭司はショック症状と重度の火傷により、声にならない叫び声をあげて吹っ飛び、少し離れた所にいた魔法使いたちは打撲、軽度の火傷を負った。
その衝撃波の範囲があまりにも広かったため、もともと衝撃に耐えられるようには作られていない『清めの間』は大部分が壊れ、儀式はやむを得ず中止になった。



「ここはどこだ・・・?」
深い闇の中を、エンフィールドはたった独りで歩いていた。
「光は・・・出口はないのか!?」
歩けば歩くほどに、その漆黒の闇は恐怖となってエンフィールドを包む。
「くそっ・・・誰か、誰か助けてくれ!・・・怖いよ・・・」
方向も分からずただ独りさまよう。もう疲れて動けないほど歩くと、コンクリートのような材質の壁に突き当たった。
「もう、先がないのか・・・どうするんだ」
そのとき彼は、後ろからまるでバックライトのように燦燦と降り注ぐ、ひとつの光が現れ始めたのに気がついた。
小さくも大きくもない、光。前の壁がスクリーンのように変化し、それに向かって光を投影している輝きは、冷たかった。
「いったい何だこれは・・・。僕に何を見せようというんだ」
しばらくして画面に映ったのは、かの狂気の天才科学者、ベクセーだった。
しかし、当時のエンフィールドは薬で十分に眠らされていたため、ベクセーの姿や顔つきを見ても、それがベクセーだと分からなかった。
やっとの思いで手に入れた、このかわいいサンプル・・・!
サンプルと呼ばれたモノをよく確かめようとしてエンフィールドは画面を覗き込んだ。
「こんな下劣な実験を見せてなんの意味があるんだ?それに、あのサンプルはまだ子供じゃないか。だけど・・・幼少の頃の僕に似ている」
怖いもの見たさでしばらく見ていたエンフィールドは、あることに気づいた。
「これは・・・僕が時々見るあの夢と同じだ・・・一緒だ・・・そしてあの少年は僕だ・・・」
このフギン王国全ての研究機関の最高責任者であるこのベクセー・D..マウザーヴェルケの手に掛かれば、こんな物はすぐに作れるわ!
映像はその場面で途切れ、光も消え、後には冷たい闇だけが残った。
「あいつが・・・ベクセーが・・・僕を改造したのか・・・」
エンフィールドの目から水がこぼれた。それと同時に強い憎悪の念に駆られた。
「そうか・・・やっと分かった・・・お前のせいか・・・!ちくしょう、必ず殺してやる!この野郎・・・くっ・・・!」

目が覚めると、そこは石造りの薄暗い部屋のベッドの上で、窓はなく、扉も頑丈そうな鋼でできている、尋問室や牢屋のような感じの場所だった。
「あ・・・っ・・・体が重い」
儀式での失敗で体力を相当奪われ、さらに自分をこの状態にしたベクセーへの怒りのため、まるで両手両足に枷をつけられているような、だるさ、倦怠感、眠気。
そして、全身が毛布に包まれているような、ふさふさとした手触り、生温かさ。
「・・・!!もしや!」
疲れているにもかかわらず、その感触に対するショックがあまりにも大きいため、ベッドから飛び起きて確認した。
「体が・・・全部・・・」
エンフィールドの体は、すべて銀色のふさふさした毛に覆われ、膝の関節は逆に曲がり、足と手は五本指を維持しているが、獣のように太く、短く、爪も長くなっていた。
「顔になにかついてる・・・?」
目と目の間に、何か銀色の突起がついている。そして先端には、黒く湿っぽい何かがついている。
「・・・・・・・・・・」
触って確かめて、愕然とした。
突起物も、黒いものも、自分の鼻だったのだ。
顎の輪郭や顔全体が原型を留めていないほど曲がり、歪んでいる。
「・・・・・・・・・・」
エンフィールドの恐れていたことが起こってしまった。
この部屋には鏡はないが、彼には今の自分の姿がありありと想像できた。
これが夢なら覚めてくれ。そう強く願うエンフィールド。だが、諦めてしまったかのように全身の力が抜け、ばったりとベッドに伏せてしまった。


第二話 終

Therion with anthropos ~獣人と人間と~ 第一話 前兆

Therion with anthropos
~獣人と人間と~
第一話 前兆

「ククククク、さぁてそろそろ始めるかの!」
機械油と化学薬品の臭いがする狭く薄暗い部屋の中で、一人の白衣を着た男が手術台のようなものの上で怪しく笑う。
「やっとの思いで手に入れた、このかわいいサンプル・・・!」
手術台のうえで横たわっているサンプルと呼ばれたものは、どうやら少年のようだ。少年と言ってもまだかなり幼く、上半身裸でライトに照らされている。麻酔で眠らされているのか、抵抗の形跡は無く、すやすやと寝息を立てている。
「ククククク!まずは電気メスの高周波電流で組織を焼き切り・・・剪刀でこれを引っぺがして・・・。モスキート鉗子でつぶして遮断・・・。」
その男は科学者らしく、さまざまな手術器具を使ってテキパキと無駄の無い動きで組織を切り開き、何かを埋め込んでゆく。少年にかけられた麻酔がよほど強いのか、手荒な扱いをされても少年の目は明くことがなく、時折苦しそうに筋肉を痙攀させているだけである。
「開創器で広げておいて、神経鉤で牽引・・・。」
だんだん男の額に大粒の汗が滲んできた。手術を開始してからすでに3時間が経過している。
「ドゥベーキー鑷子・・・鉗子・・・メッシェンバウム剪刀・・・クックックックッ!!出来てきた、出来てきた!!・・・後は、あの小娘から抽出した最高純度のデオキシリボ核酸を注入して・・・」
男の顔に笑みが浮かんでくる。しかしそれは、一般の外科医がする成功の笑みではなく、狂気に満ちて引きつった笑いで、その落ち窪んだ目の光は、もはや正気ではない。
「そしてヘガール持針器を使い丸針で組織縫合、角針で皮膚縫合・・・!!クァックァックァッ!!手術は成功した!!完璧だ!このフギン王国全ての研究機関の最高責任者であるこのベクセー・D..マウザーヴェルケの手に掛かれば、こんな物はすぐに作れるわ!カカカカカ!
手術は成功したようだ。今のところ、少年の体に変化は見られない。しかし、少年は手術創の痛みと体内に埋め込まれた物の拒絶反応によって、苦痛で顔を歪ませ、全身から汗が吹き出ている。
「フム・・・。やはりこの実験体では少し無理があったようだな・・・。だがそんなことは承知の上、そもそもこの王族のサンプルでなくては“獣人に秘められし潜在能力を受け継ぐ”ということなどできぬからな!!クァックァックァッ!!!」
そんな意味深長なことを言い終わると、男はベルを鳴らして使いの者を呼び、その男に命じた。
「このサンプルを元の国へ返しなさい。そして、こいつが成長したときこそ私達の野望は達成されるのだ!ケケケケ!!」

――――――――――――12年後――――――――――――

5つある王国の中で最も強大な軍事力を誇るヨヨン帝国。その街の景観は非常に美しく、その範囲はかなり広大だ。その街と城を敵の攻撃から守るために、初代国王から始まり3代にわたって築き上げた巨大な城壁がそびえている。その城壁の厚さは歩いて20分も掛かるほどであり、内部にはこの国の特産であるオージュ石から作られた歴代の国王、英雄達の石像が設置してある。また人民層は貴族、軍人、商人、庶民など様々で、みな特に貧しい暮らしはしていないが、国の北東部に獣人区があって、そこだけ規制がとても厳しく土地も激安で公共設備が行き届かず、貧困に苦しんでいる。また広場には内容を問わず様々な仕事と活気が溢れるギルドがある。
その軍事力の結晶ともいえる要塞のような城の王子の寝室で、一人の少年が横たわっていた。その少年は、ひどくうなされているようであり、額には大粒の汗がにじんでいる。
「ぅ・・・なにを・・・するんだ・・・痛い・・・やめろ・・・やめろぉぉッ!!」
突然叫び声をあげてベッドから飛び起きた。その瞳孔は開いており、息が激しくあがっている。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ・・・。またあの夢だ。もう見なくなったと思っていたのに・・・!うああぁぁぁぁああッ!!」
その叫び声を聞いた寝室の外にいる二人の衛兵は、吃驚したと同時に、またかという顔をした。
「またあの王子様がうなされておられるなぁ。仕方ない、国王の命令ですぐにお伝えしろと言われているからな。おい、お前すぐ行って報告してきてくれ。」
国王の間は、軍事上の理由もあって一番守りが堅いと言われる別館6階の一番奥に存在する。そういった事から国王の間に通じる道は狭く、階段も急で、各階には防火扉のような重く頑丈な扉がある。その衛兵は、そういった難所を疾風のように飛び抜けて、非常に短い時間で入り口にたどり着いた。
「騒々しい、何用であるか。」
いかに身軽な兵士といっても、甲冑の音がうるさく響く。その音を聞きつけて親衛隊長が衛兵を引きとめた。
「申し訳ありません、先ほど王子様が例の夢を見られたご様子なので・・・。」
その衛兵が言い終わる前に、親衛隊長は全てを理解したようで、もうよい、と手で合図を送ると、火急の用事であるので王に報告いたせ、と部下に命じた。するとまもなく、巨大な王室の扉が重い音を立てて開き、王と側近の大臣が出てきた。
「ううむ・・・、それではすぐに王子を・・・!」
「もう来ています。父上。」
ひどく心配した様子で衛兵に声をかける王の言葉をさえぎって、廊下の扉からよたよたと姿を現したのは、先程寝室で苦しんでいた王子だった。
「もう大丈夫なのか?」
「いいえ、まだ体調が優れません。それに・・・。」
すると王は何かを予感したように顔色を変え、王子の言葉をさえぎり、周りにいる兵士たちに、私達だけにしてくれ、と言った。兵隊たちが去っていき、周りに誰もいないのを確認すると、王室の扉を閉め、閂をかけた。
「もしや・・・。エンフィールド、体を見せなさい。」
王は王子の病気を隠すために身に付けさせた身の丈に合わない2周りほど大きい服を脱がせた。その体があらわになると同時に王はひどく失望し、落胆した様子でため息をつき、首を振った。
「父さん、また新しいのが出てきたよ・・・。」
裸になった王子の体には、灰色がかった白色のふさふさした体毛がたくさん出ていた。それは人間の物ではなく、範囲は胸まで達していた。さらに尻の部分からは大きなふさふさとした尻尾が生えており、足の形も動物のように曲がっていて、手や足の爪もかなり長く伸びている。そして頭の帽子をとると、側頭部の両側に、大きな動物の耳のようなものが生えていて、人間の耳の部分はもはや影も形も残っていない。体色も肌色ではなく人狼の色であり、体の形は人間のものだが、裸で見ると動物的要素も兼ね備えられている。
「ううむ・・・。今度は鎖骨の部分に来たか・・・。これはもはや、『王族の儀式』を執行するしかないな・・・。」
「王族の儀式って・・・父さん?」
そんなものは聞いたことがないという顔をする王子に、王は深刻な顔をして語り始めた。
「王族の儀式とは、このヨヨン王国始まって以来受け継がれてきた、王族にのみ存在する秘められし特別な潜在治癒能力を全て引き出し、最大限にその力を利用できるssという特別な儀式だ。その儀式には、全能の神セイオン・ウノ・イグザマイザーの管理の元で関係者の3日間の断食、祈り、そして途方もなく膨大な魔力が必要だ。変性意識状態の中で、しかも宇宙のチャクラを被験者の体に取り入れるため、その急激な変化に耐えられずに症状がもっと悪化したり、最悪の場合、全生活史健忘・・・つまり儀式の前までに蓄積された全ての記憶がぶっ飛んで、『ここはどこ?私は誰?』というような状態になってしまう。」
そのような長い説明に相槌を打ちながら聞いていた王子は、もう慣れているのか少しも驚いた様子もなく冷静に返答した。
「そんなことはいいよ、父さん。僕も自分なりにこの病気の解決策を模索してきたんだ。夢を見るたびに出てくるなんて、誰も知らない、今までに起こったことのない病気なんだ・・・。獣人と結婚して、その子供がこの状態ならまだしも、人間の子供で、後天的に起こった例っていうのはないんだって。」
王には全て分かっていたことではあるが、その息子の言葉を聞いた瞬間に何か熱いものが中からこみ上げてくるのを感じた。しかし、それを必死に抑え、詰まった声で息子を激励した。
「私の最愛なる息子エンフィールド・ヨヨナイト、よく聞きなさい。たとえその儀式が失敗に終わっても私はお前を一生守り続ける。人々にこのことが知れ渡っても、王国が崩壊しようと私は必ずお前のそばにいる。国王としてではなく、一人の、お前の父親として・・・!!」

第一話 終