皆さんこんにちは。この場で証することができてとても光栄に思います。
スピーチが苦手なので文書にて失礼します。
11月ですね。僕は5月頭から今の今まで、神には神秘的なことを数多く教えてもらいました。
たとえば、11という数字には特別な意味があります。
ユダヤのカバラ数秘術では11を特に重要視していますが、
僕にとっての11というのは伝道者の数字です。
くわえて、11の倍数は天使が僕に何かを伝えたいときの数字。うまくいっていることを伝えてくれます。
数字による秘術を僕に教えてくれた神にこの場で改めて感謝するとともに、
11という数字はジョセフスミスを表すことを証します。
それから、真実はつねにひとつだということも言っておかなければなりません。
たしかに、真実は複数あるでしょうが、それは各々にとっての真実であり僕にとっての真実はひとつです。
真実は事実から派生するものであり、カルマはダルマから派生するものです。
それは、真実をさかのぼっていくと事実に突き当たるということを示しており、
カルマをさかのぼっていくとダルマに突き当たるということを形容しています。
この世界にはダルマとカルマがあり、ひとはあらかじめカルマを設定してこの世に生まれてくる。
カルマが尽きることはないのです。カルマはなければならないし、不必要なものでも邪魔なものでもない。
カルマがあるからダルマがあるのです。ダルマとは理のこと、世界の流れのことです。
ダルマがあって世界が流れるためにはカルマがなければならない。だからカルマは消えないのです。
ここでまたこの理を教えてくれた神に感謝するとともに、
善のためには悪が必要で、悪のためには善が必要だということを証します。
悪は悪ではないということです。そもそも立場により善悪は全く異なりますから。
もうひとつ、永遠の命というものは存在しないことも言っておきましょう。
でも永遠の命は確かに存在している。確かに存在するけれども存在しえないものなのです。
当たり前ですがこの人生には存在しないでしょう。しかしこの人生で終わりの命ではありません。
死というものは息苦しい詰まりのようなものです。幕の向こうに身体を転がり入れるように、
この息苦しさを越えてわたしたちはこの現世に生まれつきました。
ここに、死は無意味であって割礼のようなものであると証します。
真実はわかる人だけわかればいいんです。聞く耳を持たない人にはわからなくていいんです。
傲慢に聞こえるかもしれませんが、それが真理です。
最後になります。これは専門用語になってしまいますがお許しください。
量子力学におけるコペンハーゲン解釈は古い、エヴェレットの多世界解釈が主流だ。
こういう話はあるみたいです。でも、僕が与えられた啓示では、両方必要だと言われています。
つまり、コペンハーゲン解釈から多世界解釈が始まり、
いくつもの多世界解釈の後にコペンハーゲン解釈があり、またその先に多世界解釈が続くということです。
簡潔に事実だけをお伝えすると、この宇宙はたったひとつの素粒子だということです。
誰かと交流したりするのも、善も悪も、言ってしまえば自分の生き死にまでが、
ダルマによって動かされ決められているのです。
ここに気づくかどうかが、永遠の命の木の実を食べる資格を与えられる条件となります。
この世界は2極でできていますから、つねに反対方向があります。なぜ、反対にもあるのか。
悪魔とは一体何なんだ。神はいつでも正しいのか。気づいているけれども、認めたくないだけなんです。
できるだけ若いうちに神を知っておくことは、その人のためになるでしょう。
すべては在るべくして在るのであり、ひとつもかけてはならないのです。
価値のないものは自分にとって価値がないだけです。むしろ、価値がないものこそ価値がある。
価値がないということは価値を持っているということです。
コンピュータの世界で言えばオール0を恐れるならオール1も恐れて然るべきだということです。
わたしたちは決して死なないし、永遠の地獄に落ちることもありません。
ただこの世を心の平安をもって生きること、これが永遠の命だと証します。
楽しんで生きましょう。
ありがとうございました。これらすべてを御子イエスキリストの御名によって証しました、アーメン。