2025年8月21日木曜日

阿吽のまじない、を、振り返って

俺は阿吽のまじないをかなりの高強度でやっていた。
だからホントの意味で護りが強くて。
本当に護りが強いと世間からはいったん隔絶されてしまう。
なので多少護りが雑だったり運が多少質が悪い良運ならば、有名になりやすい。

有名になるということはそのぶん雑多な悪口も増える。
だからそういう意味ではそれは良運とは言わない。
ほんとに強い運なら、そういう雑多な悪口も消える。
なので人が寄り付かなくなる。

それは学んだ。
で、今俺は、俺に本当に今必要な人間関係が2つか3つと。

でもこれは、阿吽のまじないがそれだけ残してくれたヤツだから。
俺がトラブったり走ったり止まったりしてるときでも、
そいつらは太陽のような暖かさをもって、
まあ、太陽のようなというよりは、これがほんとの縁ってやつなんだろう。

俺の都合で悪くなったから、これで縁は切れます。さようなら。
っていってもなお、そのあと、奥野さんどうしてる?俺は応援してるぞ。
とかいってくれて、そういうのが2人いる。
そいつらとはアッサリ切れなかった。だから俺はほんとに恵まれてる。

ていうかそれは俺が、そいつらに注ぎ込んだエネルギーを、
じゃあこんどは俺がシンドくなってしまったタイミングで、
回収してるって意味なんだけどな。
だから俺の人徳もそいつらに沁みてるんだと思われ。

んでそういうのが、ほんとうの人間関係っていうのが、
数ある人間関係の中からじゃなくて、
たまたまつながったなかで、高確率、35%くらいで本物の縁になるというか。

でもほんとうに、阿吽のまじないやりだしたときは、
もうそれまでの生活基盤も友人も一切失ってしまって。
セカンドライフとかFIREくらいの勢いで始まってしまった。

いうて精神病院閉鎖病棟長期入院からのスタートだったけど、
それが本当に必要な運命だったのかと。

なので今はとても静かなくらしをしています。
誰かにいっさい急かされることもなく。
奥野さんがやりたいようにしなよと、
奥野さんのタイミングにあわせるよと、みんなそういうんだよな。

まあ、これが健常者の社会だったらまた、違うんだろうけど、
俺は、もうそういう、まじない無い殺伐とした社会からは切れてしまったので。
阿吽のまじないのなかは精神性が超高いから、
お互いにリスペクトしあい、の、社会として。

まあもう今は、阿吽の狛犬やってないけどな。
なんか知らんが霊界が、狛犬以外はやっていいけど、狛犬は捨てろとか言って。
生物が永遠に生きてしまうのはよくないってことらしいんだよな。