2014年2月23日日曜日

【まとめ】グノーシス主義について








・この可視的宇宙は間違っている
・故にこの宇宙を司っている神は悪しき神である(反宇宙論)
・可視的宇宙の内部にある、ほとんどすべては闇であり悪である
・正しく作られた宇宙<プレーローマ>が存在し、その宇宙のすべては光であり善である(善悪二元論)

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・この宇宙に存在する我々の肉体は悪であり、我々の魂は善である。(善悪二元論)
・我々は魂の秘密を<認識>することにより、魂の檻である肉体から解き放たれ、プレーローマへと帰還しなくてはならない。

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極端に禁欲的だったり、逆に放埓的だったりする戒律

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「わたしは ネオエクスデス
すべての記憶 すべてのそんざい すべての次元を消し そして わたしも消えよう 永遠に!!」

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『私はこの宇宙に生まれてくるべきではなかった』という極端な結論に至るための推論を、反宇宙論は容易にしてくれます。

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奥野陽介2014年2月19日 16:53
端的に、そしてかなり辛辣に言えば、現実逃避のためのマニュアルなんだろうな。
悲しみを呼び寄せる哀しみのための哀しき思想。なんか、そんな気がした。

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「肉体の内側に本来の精神的存在としての自己が存在する」という思想であると簡単に述べておく。そうした認識は実践において知識(グノーシス)の重視、肉体の軽視となって現れる。

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反宇宙的二元論は、「唯一神が創造したこの世界になぜ苦しみが満ちているのか?」という疑問に対する一つの回答として、当時の知的階層に受け入れられた。

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【 両派の聖書 】 正統派 グノーシス派
天地創造の物語        旧約聖書 旧約外典
イエスの言行録  新約聖書 新約外典

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(全能の神が、こんな災いだらけの不完全な世界をつくるわけがない)

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・悔い改めても、善行を積んでも、意味はない。
・唯一、真理を「知る」ことによってのみ、救済される。

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正統派によれば、
・イエスは、この世界を創造した神の子である。
・イエスは、人間の罪を背負うために降臨した。
一方、グノーシス派によれば、
・イエスは、この世界を創造した神の上位にある。
・イエスは、秘密の知識を授けるために降臨した。

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グノーシス主義はプラトン哲学を起源とする

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マニ教は、3世紀頃、サーサーン朝ペルシャのマニによって開かれた。教義は、
「ゾロアスター教+ユダヤ教+キリスト教+仏教+グノーシス主義」

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正統派が「悪」とするものを讃え、それをテコに反論する

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僕らが善だろうと思っていたものが、じつは悪だった。
悪からの脱却は、知るという手段のみでなし得る。
知ることにより、僕らの魂は救済される。

また、死ぬ人間と不死の人間がある。
目覚めることによって、死ぬ状態から不死の状態へと移る。
これは一時期ブームだったアセンションの定義と同じ。



ニューエイジ思想はグノーシスも混ざっている。
ニューエイジ思想の中には、悪魔サタンを神聖な大天使扱いするものも。
サタンの星は金星。サタンの到来でこの地球はアセンションすると言っている。
完全にグノーシスですな。

知らず知らずのうちにグノーシス主義に染まっているライトワーカーもいると思う。



正統派 = 作る楽しみ
グノーシス = 壊す楽しみ



などと揶揄することもできよう。










僕がいまいちわからないのは、知ることで救済されるというのは
どの程度までが救済の範囲なのかということだ。
それこそ「プロビデンスの目」の持ち主しか救われ得ないというのなら、
地球上ほぼすべての人間は救われ得ない。僕とあなたは救われ得ない。
僅かな可能性にかけてみようなどと脳筋な考えを抱くまでもない。

アマゾンS3が絶対にダウンしないくらい、僕もあなたも絶対救われ得ない。
それほどプロビデンスの目は厳しい。北欧神話で言うと
ミーミルだけがプロビデンスの目を持っていた。

Amazon S3の耐久性は99.999999999%。こんなに高い耐久性がいらない人向けのオプションが登場 - Publickey : http://www.publickey1.jp/blog/10/amazon_s399999999999.html

話を戻そう。
知るということで、どれほどまで救済され得るのか。
部分的に救済され得るのか、一括として救済され得るのか。
しかしながら一括と言えど上位概念は存在するので、
一括すら部分的と言うことができる。

どの程度まで知れば、救済され得るのか?
闇雲に知ることで救済され得るのか?

僕の持論では、真理というものは1つであって1つではない。
真理は10人いれば10通りあるからだ。
対して、事実は1通りしかない。
だから、真理ばかり追っていては、いつまでも救われ得ないということになる。



さて、どうなのだろうね?

僕は宗教アレルギーなので宗教の矛盾を指摘する素養はあると思っている。
救われ得ないんだったら、グノーシス主義は僕にとっては無用である。
それは僕にとっての真理だね。グノーシス主義から外れた僕が真理を知っていれば、
僕は救われ得ることになる。
ところが、他者にとってみれば、グノーシス主義の教則に照らし合わせると僕のは真理ではない。
結局、僕は救われ得るのか?救われ得ないのか?
そんなシュレーディンガーの猫のような話になってしまう。


「僕の中では真理」ということで括って反論することもできる。
だがこれは詭弁であり、さっきも言ったように真理はn通りもあるので、
相手にも同じことが言える。水掛け論だね。

事実を知ればいい。
事実に色を付けてしまうと、つまり解釈をしてしまうと、
それは真理になる。



このへんでどうかな。