2016年3月4日金曜日

哲学 - 均衡のこと、人間のこと。



母さんから「奥野陽介教には入らないからね」と言われた。そんなに宗教っぽいかなあ。
だれでもひとり宗教な気がするけどね。自我を持っているし。
そういう神を、選ぶんだろうね。自分の言うことに聞き従ってくれる神をだれだって選びたいだろうさ。

宗教の最終形態っていうのはアイドルがいれば宗教になり得るところかな。
自我なんかはもっともらしいアイドルだろうし。





悟ってよかったことっていうのは基本的にひとつしかない。いちいち恐れなくなった。




マトリックスのモーフィアスにイメージが近い。
恐れないのではなく恐れる必要がなくなった。

誰もがロゴス号の船長を成し得るのだ。ヒエラルキーからホラクラシー社会へ。水瓶座の時代です。




ヒエラルキーからホラクラシー社会へ(今川杉作氏)






ネブカドネザルの船長のひとりなのかもしれない。今川杉作さんは。
わけもなく推しなんだよね。僕には一銭も入らないというのに。




今の社会は悪玉菌つまり闇に偏りすぎている。
だからといって誰も死ぬ必要がないし困る必要もない。均衡が崩れていると言っている。







さて

周囲の人達をプログラムだと仮定して話をするけど、
どーも感じてるのは周囲が僕のことを無害な存在だと認識できていないんじゃないかと思う。
この借家に入ってきた時だって監視の目を感じたし、いまでも感じているし。
保護されているというのは監視されているということだし。

むしろ光と闇、善と悪双方の利益を求めているし尊重もしてて
非暴力的な和合の道を模索しているんだけどなあ。同士があんまりいない。
だからたまーに見つけると過剰に喜んでしまう。

今川杉作さんは同士だと思う。そんなに深い付き合いもしていないのに。


まずおっくんの価値基準は均衡をベースにしてます。
でもそれは均衡が崩れたから削減しなきゃ削除しなきゃではないんだよね。
腸内細菌には善玉菌・悪玉菌・日和見菌がいるけど、僕はこのうちの日和見菌に該当してる。
てんびん座だし。フラフラしてるし。


どっちつかずだからよくわからないと評判をもらう。
だけど日和見菌だという判断で収まってくれれば御の字なのだ。
有害でも無害でもないから有益でない。そんなわけがないだろうと。


均衡です。



(僕もプログラムのうちのひとりだけど)他のプログラムからしたら有益か無益かの判断がつかないんだろうね。
敵か味方かの判断がつかない。そんな中人間を模したプログラムである僕は思う
「人間とは曖昧さのことである」

つまりNAND回路のことであると。

だからフラワーオブライフは乱数の象徴だと勝手に決めつけたのだし、
人間というものは見ているだけで面白い乱数生成器だという認識に至ってしまっている。
これは昔僕が典型的なアスペルガーだということに由来していて、
入院してエグザイルになる前は01のYES・NOでしか判断できていなかった。

ただ僕独自の訓練でアスペルガーは直せるという結論に至ってから生きづらさはなくなった。
YES・NOの2値世界からNANDを使い「あいまいさ」を模すことに成功した。
相変わらず心は読めないけど、記号を読み取って分析することはできる。

いや、心とは何なのか?乱数生成器だろうと。

乱数を予測することはプログラムには不可能なのだ。
だからプログラムは人間に近づきたいと思っているし、
人間はそういうできの悪いプログラムを人間特有の母性から愛するのである。














みんなプログラムで、生粋の人間はいない。ここに気づくかどうか。
乱数生成器とは直感である。直感とは人間である。理屈とはプログラムだ。





プログラムが愛を語るのは変ですか?