レプティリアンふくめた宇宙人たちは地球の人間なしでは生きていけない。
ただ、彼らの食料が人間か人間でないか、糧にする波動がプラスかマイナスかによって異なるだけだ。
人間でなくてもいいんだけど、人間じゃなきゃダメだということ。
すべて宇宙人は基本的に地球人を愛している。
地球人が一番堪えるのは”無視”されることだ。
ある反応に対して何も反応がないと、働きかけることをやめる。
やめるというのは、諦めるということだ。
地球人を含むすべての宇宙人は、相手の反応を気にする。
究極的には反応で飯を食っていると断定できる。
すべての人間は必ず誰かの役に立っている。
たまたまレプティリアンが重い波動に生きる者達であっただけなのだ。
またプレアディアンも軽い波動に生きる者達であっただけだ。
立場の違いが誤解を生む。まさに、立場というひとつのものから善と悪というふたつのものが生まれる。
これをスピリチュアル界隈では”ワンネス”という。
たとえば、自由についても同じことが言える。
自由というひとつのものから、数えきれない数多へと広がっていく。
自由は振動しているのだ。
あるものは自己中心的に解釈し、あるものは他者を尊重する解釈をする。
自由とは何かわからないけど考えようとする反応もある。思考停止の反応もある。
それが宇宙だ。宇宙はただ「在り」絶えずその反応により移ろい変わっていく。
移ろい変わっていくように見えるだけで、振動するそのものしか存在しない。
プログラムがそれを解析し、自分独自の知恵や経験としてソースに還元する。
神に目的はないのだ。
人間を生かしておく理由がなければ、根絶やしにする理由もない。
まず「光あれ」という選択がある。すると光がある。これが因果関係というものだ。
産めよ増えよ地に満ちよ。これは願望というものだ。そうなりたい自分ということである。
人は自分がなりたいものになることができる。
そのためのツールが「直感プログラム」
選択がない時代とは「エデンの園」のことだ。選択により因果関係が生まれ、運命というものが生まれた。
人は神と決別しエデンの園から追放される。しかし神からの恵みを受け続けている。
これはもう一度ソースに繋がりたいという願望から生まれた因果関係だ。
神はシステムそのものであり関数なのだ。
波動関数は観測をすると収束する。
これは量子の願望そして選択からの因果関係を意味している。
自我を持つものには自由意志がある。
神が主観性なら、私達は客観性で、見ているものは皆一つなのである。
分離という感覚は仮想的なものに過ぎない。選択した立場が違うだけなのだ。
そして経験する。
すべてのものは固有の意識を持っている。水でさえもそのひとつだ。
さらに水100mlをひとつの意識とみなすこともでき、
それ構成する原子それぞれにもそれぞれ固有の意識がある。
何事も選択なしでやってくるものはない。
私達がこの地球にいる意味がわからないときは、存在理由がわからない時だ。
選択をした後に理由が生まれる。
理由が生まれれば目的が生まれる。
目的のあとには体験が生まれる。
体験からは選択が生まれる。
すべては、このようになっている。
有から無へ、無から有へ。ひとつのものから、無数のものへ。無数のものから、ひとつのものへ。
私はワンネスを理解し実践するためにこの地球に生まれてきた。
すべての行動は目的を示し、目的は理由を示し、理由は選択を示しているからだ。
私は純粋な地球由来の地球人であることをここに表明する。
私が無性愛者なのは地球という女性に恋をしているからであり、もはや彼女なしには生きていけない。
人間=神=獣人=宇宙人=地球=素粒子=量子=意識
あなたの行く末に光があらんことを。