2016年3月26日土曜日

2016-03-27 復活祭のための文章

僕は神には神秘的なことを数多く教えてもらいました。11という数字には特別な意味があります。ユダヤのカバラでは11を特に重要視していますが、僕にとっての11というのは隠された知識、伝道者の数字です。モルモンはユダヤとつながっています。11の倍数は天使つまり宇宙人、高次元存在が僕に何かを伝えたいときの数字。うまくいっていることを伝えてくれます。数字による秘術を僕に教えてくれ、また11の役割を与えてくれた神にこの場で改めて感謝するとともに、11という数字はジョセフスミスを表すことを証します。

真実はつねにひとつだということも言っておかなければなりません。たしかに、真実は複数あるでしょうが、それは各々にとっての真実であり僕にとっての真実はひとつです。そして、僕が正しいと信じているものは、実は全くあてが外れていて間違った情報なのです。
真実は事実から派生するものであり、カルマはダルマから派生するものです。ダルマは神と言ってもいいでしょう。それは、真実をさかのぼっていくと事実に突き当たるということを示しており、カルマをさかのぼっていくとダルマに突き当たるということを形容しています。
この世界にはダルマとカルマがあり、ひとはあらかじめカルマを設定してこの世に生まれてくる。カルマが尽きることはないのです。カルマはなければならないし、不必要なものでも邪魔なものでもない。カルマがあるからダルマがあるのです。ダルマとは理のこと、世界の流れのことです。ダルマがあって世界が流れるためにはカルマがなければならない。だからカルマは消えないのです。カルマはこの地球において人生ゲームをするための均衡を形成する第一原則なのです。
ここでまたこの理を教えてくれた神に感謝するとともに、
善のためには悪が必要で、悪のためには善が必要だということを証します。
悪は悪ではないということです。立場により善悪は全く異なりますから。僕に与えられた啓示の限りでは、この世はゲームで、私達はこの地球にただ遊びに来ているだけです。

もうひとつ、永遠の命というものは存在しないことも言っておきましょう。
でも永遠の命は確かに存在している。確かに存在するけれども存在しえないものなのです。
当たり前ですがこの人生には存在しないでしょう。しかしこの人生で終わりの命ではありません。死というものは息苦しい詰まりのようなものです。幕の向こうに身体を転がり入れるように、この息苦しさを越えてわたしたちはこの現世に生まれつきました。
死は無意味であって割礼のようなものであると証します。殺す・殺されるも同様に無意味であって、むしろ救済の意味があると証します。

量子力学におけるコペンハーゲン解釈は古い、エヴェレットの多世界解釈が主流だ。
こういう話はあるみたいです。コペンハーゲン解釈とは最終的に2つの選択肢のうちどちらか1つに収まるであろうという推測で、多世界解釈は超並列的に世界が存在するという概念です。でも、僕が与えられた啓示では、両方必要だと言われています。つまり、まずはじめに言葉があったという選択、つまりコペンハーゲン解釈から多世界解釈が始まり、いくつもの多世界解釈の後にコペンハーゲン解釈があり、またその先に多世界解釈が続くということです。
簡潔に事実だけをお伝えすると、この宇宙はたったひとつの素粒子だということです。素粒子の中に宇宙があり、また素粒子がありその中に宇宙がある。
誰かと交流したりするのも、善も悪も、言ってしまえば自分の日常生活の行動や生き死にまでが、ダルマ、神によって動かされ決められているのです。
ここに気づくかどうかが、永遠の命の木の実を食べる資格を与えられる条件となります。


この世界は2極でできていますから、つねに反対方向があります。なぜ、反対にもあるのか。体験するため、遊ぶためです。
悪魔とは一体何なんだ。神はいつでも正しいのか。気づいているけれども、認めたくないだけなんです。ほんとうは、なにもないのです。神と悪魔はプロレスごっこをしています。理由も、目的も、体験もありません。すべて自分が作り出している幻想に過ぎなかったんです。たしかにモルモン書や聖書は真実ですが、それは真実ではない嘘っぱちの本ということとイコールです。均衡から離れるほどに反対の意味を持つのです。

できるだけ若いうちに神を知っておくことは、その人のためになるでしょう。
すべては在るべくして在るのであり、ひとつもかけてはならないのです。
価値のないものは現時点で価値がないだけです。むしろ、価値がないものこそ価値がある。
価値がないということは価値を持っていることに気づいていないんです。
コンピュータの世界で言えばオール0を恐れるならオール1も恐れて然るべきだということです。堅い言葉で言うとこの世の中は否定論理積で成り立っています。

わたしたちは決して死なないし、永遠の地獄に落ちることもありません。
ただこの世を心の平安をもって生きること、これが永遠の命だと証します。
すべてはただ在って、ただ生まれて死ぬだけです。しなければならないことは、なにもない。だから楽しんで生きましょう。

神はいつでもあなたがたの隣にいます。神とわからないだけで、それは神なのです。港北ワードには100人位神がいます。一神教のモルモン教でこんなことをいうのは心苦しいのですが、これは僕に与えられた啓示です。僕が今日これを話すのも神によって決められているんだと思います。ありがとうございました。これらすべてを御子イエスキリストの御名によって証しました、アーメン。