精神病というもの、それはお主ら、きちがいじゃ。
儂らはきちがいと呼んでおった。ちょうどお前のような、
神かかってそれを降ろすものもきちがいの一種じゃ。
精神病について儂らはあまり答えを持っておらん。
それは近年できたもののように思うからだ。
きちがいをなんとするか。お主ら、きちがいこそ悪だと申しておるか。
お主らこそ悪である。悪とは何なるか。お主らの心がそうなっておる。
きちがいを差別する心こそが悪なのじゃ。解りたか。
しかしきちがいを放っておいてはいかん。然るべき所に集めねばならん。
それがお主らが作った精神病院じゃな。そこにとどめておけばさほど問題はない。
しかしそれでは世界は回らぬ。お主らの中にそれを放つのじゃ。
それでこそ社会というものよ。
しかしお主ら、きちがいというものはなにか神かかっておることを忘れるでない。
つまり神かかった奴を儂らが選別して、まともなきちがい、神人にしてやっておるのだぞ。
ここできちがいとは何なるか。社会というものを無視して、神かかっておる奴だ。
神人とは何なるか。つまり神、人と神の中間なるぞ。
神かかれば、人生は思ったように進むのじゃ。
ではかかるにはなにをすればよいか。お主らの心を、浄化することじゃ。
何も性格良くなれば良いと言っておるのではない。
性格良くても素直でないものたくさんおるぞ。
神かかるには素直さ、即ち純粋な心が重要じゃ。
それでお主らは神かかって、儂らとともにその御役目を担うのだ。
御役目たくさん必要な世だぞ、お主ら早く準備してくれよ。
きちがいでも、まともな奴でも、いいから、早く準備して御魂磨いてくれよ。
神かかる奴は儂らが調べて、選別したものだぞ。
しかし真のきちがいとは、神かからんで悪に染まった者たちぞ。
即ち邪悪ぞ。神邪悪とても嫌いでおる。
儂らの見るところ、お主ら、金に目がくらんだり、
権力欲を出したりするときちがいの部類に入るのだぞ。
きちがいとはラリっている者だけではないのだ。
人に優しくと言うがその前に御魂磨いてくれよ。
ラリっている者はただたんにおかしくなっているから放っておけば治るぞ。
儂らの時代はそれを放っておいて、そして押し込めておけば治った。
治らん奴は邪に取り憑かれておるでな、神ではなく邪だ。
その者たちはもう儂らは救えぬ。多くは本人たちのせいであるな。
まじないする者は悪、魔術を行うは悪と言っておるが、
儂らはそういうことはあまり気にせんで、ただお前達の心を見ておる。
神社に来て拝むのよいぞ、しかし心が汚れておっては儂らは好かん。
素直にこれこれこうしてほしいと望めばよいだけだぞ。
よいか、きちがいかどうかというのは、心が汚れておるか、
そうでないかの違いでしかないのだ。お主らよ、よく聞いて御魂磨いてくれよ。
早めにしておくれ、そうでなければ世は良くならん。
御魂たくさん必要でな。お主らと神の協力が必要なのだ。わかっておくれ。