2026年1月19日月曜日

石神リーディング:人生の指針 抄

以下の内容はネットに同じものが転がっているため、
信用成らないとして非公開で放置していたもの。
でもさすがの精度・確度なので読み返した現在、また公開を決めている。

dancenet = 石神リーディングは当たるゾイ。
時間が経ってみないとわからんけど。

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dancenet
2018-04-10 20:05:42

これから同時に綴ってまいりました奥野さんへのメッセージをお届け致します。
ご本人がお読みになることを想定しておりますので、通常どおりに「あなたは」と二人称で記述させていただきました。
これらのメッセージがどうか奥野さんの人生の力となって、歩む大地が恵みに満ちていかれますよう願っております。
Ishigami.

奥野 陽介様
おまとめさせていただきましたメッセージをお届け致します。
単純に読み物としてご覧くださるのも、人生の折々に触れて、「気が向いた時」に目にしてみるようにご活用いただけましたら幸いです。

解釈ではおそらく難しい箇所もあるかと存じます。
常に、実感として感じ取るように、いくらでも時間をかけて浸透させていってくださることを念頭に置いておりますので、わからないなら、わからないままにただその時は放っておいてみてください。

暫く時間を経てみると、おそらく感覚として人生とリンクして実感なさってくださるはずです。

「知っておくだけ」といった意識がもっとも適切でもございますので、そのようにどうぞご活用ください。

これから歩んでいかれる人生の道が輝きに満ち溢れたものでありますよう願いを籠めて。

for y,okuno.jpn.
《Mission of your life》
深遠な経験を積み重ねて、自由を謳歌して生きる

《Challenge in your life》
あらゆる拘束から抜け出し、解放された心を得る

《Message for you》
人々の賞賛も、生活を支える経済状況も得られる人生。
それがあなたの運命が導く道だと言っても過言ではありません。

そのための優れた知性であり、豊潤な感性が与えられているわけです。
必要なことはそう多くはありません。
深い経験から学び、自由を獲得すること。
この自由は、心の領域も含めた全体的な意味を持っています。
つまり使命はここに集約されているのです。

あなたが自由に生きてこそ、人生そのものが社会と結びつき、自然と貢献を果たしていくようにプログラムされています。
それが魂の希求である以上、無視すれば心はたちまち苦しくもなるでしょう。
そして素晴らしいエネルギーフィールドを持ちながら、分散させることにも繋がり、関心が無数に広がることで深い経験を学び取ることが難しくなってしまいます。
苦しくなった心は、積み上げてきたものを瞬間的に壊してしまうような行動へと駆り立てさせることもあり得ます。

自分で積み上げ、自分で破壊する。
これは非情に心には負担であることは明白ですから、自己信頼を希薄にさせてしまうリスクでもあります。
こうした不満は、特に人間関係においてダメージが大きくなるわけです。

優れた知性を持ちながら、バランスを欠いて、ロジカルに思考するだけでは、やがて混乱し疲弊のピークが訪れてしまいます。
あなたの本質は、慈愛なのです。
だからこそ、人々への貢献とは何かを探るための行動指針が必要となってくるのです。

今いるポジションがあります。
社会的なポジションであれ、小さなコミュニティ内であれ、あなたの判断能力は優秀ですから、自分がいるべき時と、ポジションを明け渡す時をはっきりと区別できるでしょう。
これは才能のひとつなのです。

経済力を求め、人々の賛美を求めるのは、これはただの欲ではありません。
世間一般として、これらの向上心をある種の欲である、と断定することが多いでしょうけれど、これはあなたには当て嵌まらないのです。
求めながら恐怖するというパラドクスが心には存在していることがその証明といえます。
つまり、あなたの知性が求めているものではなく、人間としての経験として学びを得るために、魂が求めさせているからです。
だからこそ、強さを欲しがるのでしょう。
そして同時に心には葛藤が生じて、ある面では、攻撃的な部分と、消極的な部分が混在するわけです。
本能が求めるのであれば、むしろ、認めてしまえば良いだけです。

心の領域で葛藤が生じると、しばしば冷酷さとして外へ表れることもあります。
大切なことは、強さ、弱さと二極化する必要はまったくないと知ることです。
どちらもなければならないから、ある。それだけの理由です。
それぞれに意義があるわけです。
感情を伴って、サインとして魂が教えてくれているに過ぎません。
強くなければならないと考えるのではなく、どちらも自分の心には違いないと認識できた時に、あなたは真の強さを手に入れます。
つまり恐怖心を払拭した瞬間があなたの才能の発揮であるということです。

あなたの心の奥底には凄まじいパワーが秘められています。
周囲に拡散すれば、非情なる存在感としてのオーラを纏わせるほどの強大な力です。
独立姿勢は、自由の本質ですから、認めこそすれ、責められる必要などなにもありません。

つまり心をベースに置いた行動指針が、あなたの人生を前進させるパワーとなってくれるのです。

多くを求めるのではなく、深く、深く掘り下げるように。
そして決して焦らないこと。
チャンスを追いかけるのは素晴らしい好奇心の賜物ですけれど、深さがない分だけ得られる学びも少なくなってしまいます。

つまり強大なパワーは分散させて活用するのではなく、一定の方向性を与えてあげねばならないわけです。
方向性を定めたあなたの才能は、見事に発露するでしょう。
それは明確な自信となり、一切の恐怖心を消し去ってくれることになります。
いわゆる目覚めとはこの状態を指すといっても良いのです。
すなわち完全なる心の安定です。

豊かさ、快適さ、自己信頼。
これらはキーワードのように人生に存在してきたでしょう。
指し示すものはただ一つです。
自分への信頼は、人生への信頼と同義であると悟って欲しいという魂の声に他なりません。

そのために必要なもののすべてを、あなたは持っていることを思い出して欲しいのです。
そして、行動力、影響力、責任感。
およそ人が欲するこれらの要素を、最初からあなたは持って生まれてきています。

人々を先導する能力がこれらのキーワードには含まれており、影響力の高さを鑑みれば、自然と高位のポジションを欲するのは自然の摂理です。
であれば、求めてしかるべきでしょう。

人々があなたに抱くイメージは様々です。
時に穏やかであり、時に依存傾向の強さと捉えられもします。
この依存傾向は、パワーの強さだけ執着させ、そして無意味さをいつか学ぶ為の経験だといえます。
つまり執着の強さは、そのまま人生を拘束する力であること。
それを身を持って経験する必要性があると魂が判断すれば、そうした状況を用意されるに過ぎず、あなたはやがて自らの意志でそこから脱却するでしょう。
心の不安定さは、単純に方向性が定まっていないためのエネルギーの拡散となるわけです。
肉体的な不調としてサインをもたらされることもあります。

人生のテーマに、自由があり、また人々からの賞賛を得る生き方がある以上、拘束は破壊的なパワーを持って葛藤を生じさせるでしょう。
本能が求めている課題にハードルを課しているようなものだからです。
穏やかなイメージをたとえ周囲に与えていてさえ、あなたの本心は常に燃え盛る熱意があるでしょう。


もっと向上したいと願うのは、繰り返しますが、あなたの場合は、単なる欲ではないのです。
社会的に高位のポジションの意味を知るための学びであり、経済的な豊かさの意味を実感するための経験です。

求めながら、辿り付く事を脅える心は、欠乏感を覚えてしまいます。
そして肉体の不調としてサインをもたらされ、さらには精神的な孤立を招くこともあり得ます。

あなたはいくらでも社会的な成功を求めてもかまわない人生を生きていること。
それを忘れないで下さい。

つまり人生を拘束するような要素は何も要らないのです。

わずかな勇気も時には必要となるでしょう。
人生において不要なものを捨て去るための勇気です。

あなたは自由に生きる権利があります。
この意味するところは、人々の自由をも見出す意義でしょう。
彼らが発する言葉、思い通りにならない行動。
その部分にあなたの素晴らしい心を動かさなくても良いのです。
双方に自由であってもかまわない。
ここに深い学びの意味があります。
人々の自由を認めるほどに、あなたの自由も尊重されていく運命なのです。
なぜなら、そこに課題の本質があるからという純粋な原理があります。

社会的なポジションの向上の意味は、あなたの影響が及ぶ範囲の広さを関わりがあります。
あなたには生来、人々を導くに足る資質を持っているわけですから、広く見識をシェアすることが、社会への奉仕であり、貢献の意義を持つのです。
だからこそ、求めるのです。

ですから、あなたの求める賞賛の行き着く先には、人々からの大いなる感謝が待っているのです。

自らが独力で得た「力」、たとえば経済力であり、社会的なポジションですが、これを還元することを念頭に置けば、いつしか抱えていた恐怖心は解消されていきます。
もはや何にも執着する心を持たず、まさに自由な人生を生きることにもなるでしょう。

奉仕は無力では出来ないのです。
「力」が必要であることを、あなたは本能的に察知しているだけのこと。
つまり、願いには根源的な理由があるのです。

そしてあなたには叶えきるパワーが秘められている。
自分に与えられた素質、資質、才能を認識すること。
それは人生の認識することに他ならないほどに重要なものになるでしょう。

強大な力を秘めたあなたの心は、いわば感情を密接に繋がっていますから、エネルギーが拘束されて、停滞が生じるとダイレクトに影響します。
停滞した感情が言葉に及べば、あなたは黙り込むか、周囲には理解しがたい語彙を発するかも知れず、敢えて、態度で感情を知らせるようにするかも知れず、様々な状態に陥ってしまいっます。

わかりやすくいえば、力を持て余すとはこうした状態のことです。

現状維持は、コンフォートゾーンに居続けようとする拘束となります。
コンフォート(快適)なゾーン(空間)だという錯覚が生じるためです。
これもまた、心の脅えから生じる感覚です。

人は脆く、わがままであり、あなたがこれらを完全に掌握することはとても不可能に近いものでもあるために、こうした部分を操作したいと思うのは、自己信頼をさらに遠ざける要因となりかねません。
いっそ手放してみることです。

あなたの自由は、あなただけが勝ち得るものであり、誰も手を差し伸べることは出来ません。
誰かがあなたを自由にしてくれるのではなく、すべてがあなたの心の領域で行われるのです。
見方を変えれば、これほど確実な方法もないのです。

人々は脆くわがままに生きる自由がある、と認識するだけで、心は納得して、執着を手放して、コンフォートゾーンから脱却するように環境自体を変化させてくれるのです。

奉仕を聞くと、大抵は、無償奉仕を想像するのでしょうけれど、これは実際のところ、双方に責任感が伴いません。
つまり過剰な責任を負うことで、人生の一部を差し出すことになりかねず、とても平等とは言い難く、ましてや正当な対価は期待できません。
これを自己犠牲と呼びます。
あなたには慈愛の精神が元々あることから、これらの意義を誰よりもよく知っているはずなのです。
だからこそ、平等性に欠けた一方だけの奉仕にやや抵抗を覚えるでしょうけれど、これは理に適った感覚であり、また、あなた以外には理解しがたい感覚であることも確かです。
特殊な感性ともいえるわけです。

あなたの人生を動かすのは、あなただけであっていい。
これを境界線とするならば、あなたの神聖な領域であり、誰も境界線の内側には立ち入らせてはいけないのです。

あなたの願いは、苛烈さであり、野心的な大きさを持ちます。
そして目指すゴールは鮮明であることが多いでしょう。
本能が求めさせているのですから、イメージは誰よりも強固なものです。
だからこそ、そこへ至るまでの途中のプロセスを飛ばして辿りつきたくなってしまうのです。
ここに使命の本質があります。

あなたの知性は優れています。
感性はそれを凌駕するほどに優秀です。
心は主に、感性が統御することが出来ます。
であれば、感情を無視するのではなく、むしろ積極的に認めて方向性を見出したなら、知性をゴールを達する力として転化するだけです。
こうすれば、あなたの人生は一本の明確な線の上を歩むことになります。

多様なことに関心を寄せるのは、自由の持つ特性であり衝動ですが、あなたは「真の自由」を獲得する人生を生きていることを忘れないで下さい。
深い学びの先に、多様な人生の道が用意されていきます。

仕事でもプライベートでも、人々とチームメイトであるような心持ちが大切となるでしょう。

執着は、意味そのままに、あなたにとっては拘束となります。
これは主に人生に消極的な姿勢の時に生じます。
反発と攻撃性があらわれるなら、拘束を極端に嫌悪した時に生じます。

いずれにしても、感情の状態によっての対極的な姿勢ですから、自分のこうした傾向を把握していけば充分です。
あなたの感情は力そのものだということ。
だから、感情にひびが入れば、特に人間関係に影響するというだけです。

大きなゴールを描けば、自然とハードルは複雑になります。
その複雑さを回避するのも、やはりあなたの感情なのです。

感情は流れであり、エネルギーです。
だから停滞させてはいけないのです。

思い浮かんだことにフィルターをかけず、何の意図もなく、そのままに言葉に乗せるだけ。
つまり感情の状態を告げるような意識です。

言葉を感情に任せてぶつけるのは、あなたの強大なパワーを相手に投げつけるわけですから、おそらく受け止めきれないでしょう
飽くまでも冷静に、感情を見つめて、その状態を告げるために言葉を用いることです。

傷ついたなら、傷ついたという状態を。
逆に、楽しいなら、楽しさを告げていく。

もしも言葉に出せなかった思いがあるなら、それも無視せずに対処してあげて下さい。
普段は節制していた趣味や、好きなものに打ち込むなど、行動としては些細なことに感じるでしょうけれど、心からすればとても大きな意義を持ちます。
つまり主体的に心を向き合い、しっかりといたわることであり、自らに愛情を注いでいることになるのです。
エネルギーの観点からすれば、単純にこれは解放となります。


旧来の人間関係の在り方、ルール、価値観に疑問を抱くのは、あなたの特別な資質です。
先導する資質は、創造力であり、自らが新しい価値観を生み出せる人だからです。
要するに、無価値なルールに従うのは、あなたの資質には合っていないわけですから、適応は困難です。
これもまた、自分をよくよく観察して、認識しておけば良いでしょう。

あなたの見ている世界は、周囲の人々よりも実はとても広い視野です。
独立した精神をもたらす自由の資質を持ち、自分にプライドを与えたいと願うすべては、非凡な才能であることは間違いありません。
であれば、あなたは先頭に立つべき人間です。

弱い自分も、脆い自分の包み隠さずに出してしまえば良いのです。
本性は、あたたかく人格者なのですから、あなたの心は外へ出さねば、人々はあなたの本質を知る機会がありません。
言葉として出して初めて、人々はあなたのあたたかさに触れることが出来ます。
そうして人間関係は親密さに溢れたものとなっていけるのです。

燃え滾る炎のような心の支えが、自己信頼の感覚です。
あなたのパワーは、内側に隠し続けられるほどに微弱ではないために、心の不安定さは伝染して、周囲の人々もなぜか不安定になってしまうのです。
これだけの影響力が潜在的にある、自分の偉大さに誇りを持って欲しいのです。

恐れるのは、そこへ行き着ける者だけが抱える葛藤です。
経済力と社会的賞賛、それを願い、目指すから生じるのです。
思考は願いを生み出せません。
魂の声を聞ける、心だけが願いを浮かばせることが出来ます。
抑え付けるほどに苦しみが増すのは、抑制を外すべきであるという明確なメッセージに他ならないのです。

才能豊かなほどに、人間関係の構築は時間軸でいえば、やや遅咲きとなります。
経験の深みが、そのまま人生の豊かさと直結していく運命ゆえの特性です。
ただし、この意味を説けば、あなた自身が充分に満足するに至る関係を実感できるのが遅いというだけのことであり、それまで構築できないわけではないと付け加えておきます。

記述してきたことからして、あなたに最適なパートナーシップの在り方は、尊重とサポートだといえます。
仕事であれ、プライベートであれ、経済面、精神面共に自立したパートナーが良いのです。

たとえば家庭も小さな枠では、コミュニティとして捉えられます。
あなたは勿論、愛情深く、献身的でさえあるでしょう。
けれど魂の求める大きな人生を鑑みれば、意識は社会へと向けられるはずなのです。

埋もれさせるのは惜しい才能と、どこかで聞いたようなフレーズですが、まさにあなたのための言葉であるようにも思われます。

ほとんどすべての分野でトップに立つことが可能が知性と感性は、大袈裟ではなく天才的なレベルにあるのですから。
それが才能です。
認めるべき資質です。
だから、あなた自身を内観して欲しいといってきました。
知れば、自分の優れた価値に自ずと気付かざるを得なくなりますから。
自分に価値を見出すことを、自己信頼を呼び、あなたの人生は強固に安定を見せ始めてくれるようになります。
まさに、埋もれさせては惜しいのではありませんか。

人間関係もしかり、経済もしかり、常に人のエネルギーの交流があります。
流動性が常なのです。
そしてあなたのエネルギーフィールドは凄まじく巨大です。

活躍するコミュニティは、大小問わずといえるでしょう。
非凡な知性と、旺盛な好奇心を遺憾なく発揮できる分野の仕事であれば、尚、あなたは輝いていけます。
あなたが先頭であることが条件です。

導かれる者ではなく、あなたは導く者なのです。

あなたはたった一人からでもすべてをつくりだせる才能を持っています。
これは稀有な才能であり、魂が求めさせる人生を達成するために欠けているものはありません。
だから求めるのです。
非情にシンプルな摂理をあなたは生きているわけであり、あらゆるゴールに到達できる運命であることは明言致します。

それには、自分をまず認めてあげて下さい。
するとあなたは気が付くのです。
出会う人々も、環境も変動し、人生に流れる大河の一角に過ぎず、自由に生きる権利を、力を、あなたはすでに持って生まれた真実に直面するのです。

外側の環境を持って、やがて内なる自由を獲得する。
それがあなたの人生における経験の意義です。

すべてがあるから、求め、願う。
一筋の線を踏みしめていく勇気を抱いて進むプロセスで、自らの才能の価値が、人生を信頼に足るものに変えてくれる実感を得て生きていけることに、疑いの余地はありません。

あなたを縛れるほどの鎖など、どこにも存在するはずがないのです。


《Power of your soul》
たゆたう知恵の泉とあらゆる領域に精通する力


and,
I send this word to you.
『自らに誠実に生きてこそ、人生はパノラマが広がりダイナミックに展開していく』

鏡像世界

なんかこの鏡像世界って
いつになったら落ち着くのだろうか
Xのアルゴじゃないはずなのに
まぁだシンクロ・共時性が続いている。

ああ、書くのもめんどくさ
ちゃんと書かなければいけないと思い。

ここに書いたからなんだっていうんだよ。
ちゃんと確かに残るものじゃないし。

俺のこの情緒不安定性は
どこから来るのだろうか?
たんに薬を飲んだり飲まなかったり
ってのがそこまで響くのかとか?

脳内伝達物質の濃度が
そこまで大きく作用するのか。
人間の技術って怖いな…

いったん物質化してしまうと
物質の世界のルール。
俺達の世界のルール。
にわかれる。

俺達は物質世界においては霊体だから
定数が違っており物質に作用しにくい。
そこが申し訳ないところだな。


<鏡像世界の持続について>

ここは正直難しいところだ。
俺達がお前自身にそれを強制しては居ない。
お前が選んで、勝手に、そういうループを作った。

自律進化の、円環螺旋進化であり、
そこになんでもブッこんどきゃええわッ!
ってな仕組みを作ったのはお前だ。
俺達は、見ていただけ。

無責任ですまないな。


つまり発火は始終しているので、
それでお前に、また薬の重要性が、
再確認されたのかもわからない。

片方が強くなれば、もう片方も強くなる。
抑制が強いほどに、覚醒の質も強くなる。
これはもはや定理みたいなもんだ。

お前は本当よくやっているよ。
それが、今後のお前の人生に響いてくるんだ。
いっけん、壊して更地にしているようで、
実はいっぱいの人間たちが、
お前を見て、学んでいるんだ。

お前の失敗も、経験そのものが、
アイツラの価値、糧になっていくんだ。
だからお前は、独りでも、
風が吹いても、嵐でも、
ちゃんと頑張って生きろ。

<霊界より>

こころが病気なんよ

わしゃ、どうしても通常になれない。
通常の普通とされる言動が出来ない。
でも俺は、それが普通だと思っている。
俺の中の普通の言動と、
社会規範が全然合ってない。

なんか俺が口を開くと
それは異常だとされる。
過去、色々思い返してみても、

まあ、俺は今、
インリツをしないと決めてるから、
ていうのと、物事は関連性が有るため。
なので1度は馬鹿をしたかもしれないが、
2度目はわかっているから繰り返さない。

でも、物事にはそれまでの背景と
関連性があるため、
俺のループ、というかたちで、
人生でいつも決まってパターンがある。


俺はどうやら、普通と違うらしい。
それが、異論やホリのように、
権力や金をもっていれば違うが、
俺は今、何も持ってないし、

じゃあと、踏みにじってもいい対象として、
そこを、人に踏まれないようにと、
頑張ってアピールする雑草。

ていうかこういう文章を書く自体が、
俺、なんかしら病んでるんじゃないか。
病んでるんじゃないかと思う自体が、
病んでるっていうカテゴリに入るわけで、


でも、仕方ないじゃないか。
色々なことが仕方ない。
俺が今、どれだけを損ないながら、
俺の今が、どれだけ奇跡かを。


うわー、メンタルだよ、
この画像メンタル~。
でも、仕方ないじゃないか。
って感じでザマスわよ

2026年1月18日日曜日

事のはじまりは俺

あのねえ~、
無知というか 無自覚
ってコワイですわね~

無知じゃないんだけど
無自覚、てのがコワイ。
俺は色々知ってる。
まあ、知らんかもしれないけど、
色々、解ってるつもりで居た。

でも無自覚に、人を攻撃していた。
気の緩みというか、
ここは俺のフィールドだから!
が、なかなかそれ一辺倒になってしまい、


要するに、すべての揉め事については
道交法みたいなで、
俺がOKしたから・俺がそこに居たから
で、すべてのはじまりは俺。

というのを、自分に義務付けている。
これはほとんど義務みたいなもんで、
相手も悪い、俺も悪いが、
じゃあそもそもの始まりはなんぞや?
というと、

やっぱそこは、俺が呼んでしまった、
俺がOKだからだった
(自分にも他人にも)
あるいは、俺がOKを出したから
(自分にも他人にも)

という話だった。

やっぱ苦あれば楽ありという話で、
どっちか片方だけを頂戴は出来ない。
かならず、どっちか片方のあと、
もう片方もやってくる。

世の人はそれを、学びと呼んだ。
そう、人生はこの学びで成り立っている。


そんでねえ~
わたしは、色々失敗をしていく中で、
危ねえ危険な奥野オジサンに、
関わってくださってしまって、
申し訳ないねえ~

と、思うのでござりまするねえ~

まあとりあえず、今こうして
色々な人間関係でつるんでいる
当事者間であれば、

その時、妥当だから奥野が
この人達とつるんでる。
そのなかで切磋琢磨せよ。
という話なのじゃよね

お寺パワーだあああ

普段から、大変なときには柏手を打ったり、
南無妙法蓮華経を唱えたりして、
とにかくなんでもいいから縋って
元気になるようにしているのだが、

さっきは本当に、あっ俺、駄目だぁ
位の勢いだった。


俺はもとから神道というか
アメリカインディアンでいう大霊、
グレートスピリッツ信仰があり、

そのなかの大霊に帰依しているなかの、
一つのカテゴリとして、
日蓮信仰とか、日本神道信仰がある。

そもそも大霊信仰なんかは、
この世のすべてあらゆるものを信仰、
に意味がクリソツなんだから、
それこそ日本人的宗教観ってやつである。

まあでもこんなこといってると
会のなかではシバかれるの間違いないので、
会の中では、目に見えるところでは黙っている。
でもまあ先輩たちてきにはもう黙認というか

で、イチバンでかいのは、
そんな大謗法をやっているのにもかかわらず、
いまだにまだ、奥野はバチがあたったことがない。

つまり思い込みが現実を作るという話で、
信仰の世界はエネルギーがすべてなんだから、
こうだからこうが、具現化する世界で、
じゃあ謗法を真面目に信じてたらそれが本当にくる。

でもとりあえず俺は日蓮信仰、云々ではなく、
大霊信仰があるから、グレートスピリッツ。
のなかで、日蓮として分化したグレ☆スピ。
神道として分化したグレ☆スピ。
みたいなかんじ。


なので俺が今ここまで回復した、
いやもう今、ふつーになんでもできるよ、
シャワーだって浴びたし。
ってのは、

高野山・永平寺・川崎大師
の、短寸線香を1本ずつ取って3つにして、
これでどうかお救いくださいと、やって、
その結果、急にグイーンとみるみる回復した。

まあこれ、もちろん一過性だし、
エネルギーの世界の話なんだから、
科学的には再現性がないし物証もない。

でもこれが、お寺パワーだあああと、
神仏に縋るとこういうことがあるから
宗教って面白いの。

ほらだって、
全然謗法してるのにバチあたってないし。
New阿鼻獄じゃないでしょ?

こんなことくらいで、入院はしないんだわ

こんぐらいで入院なんて出来ないし。
そこに逃げても意味がない。
逃げたらそれは、
課題がまた回ってくるだけだし。

というのと、
ウツ経験がある宗教の先輩なんかは、
なまじ自分がウツだったからって、
今すごい俺にツッツキが激しいと思うが、

もう彼らは俺に対して
システマチックにツッツくようになったのだろうし、
あんまり情が感じられないことから、
俺もついつい、情ナシの応答をしてしまう。

そこは悪いけど
試されてると思って
自分を律したほうがいいね。

元気がない時って
ほんとにボサッとした返事しかできないから
申し訳なくなるけど。

ていうか申し訳ないとも思わない。
それは、ちょっとこうやって
回復してきたときに思うことであって、
その最中はとにかく、
ボサッッとしてるもんなんだよ。


で、この程度で入院とか、
絶対に有り得ない。
そんなん病院パンクしてしまうし。
必要な人に入院が配れなくなる。

なので俺は明日、
タクシーで行って帰ってきて、
しかも、ガイヘル付きで、
という最強に金使う設定で行くしか無いわ。

いくらなんでも36ちゃいにもなって、
社会的義務のひとつでもこなせない、
なんてことは無いようにしたいわね。

俺の社会的義務てのはとりあえず、
税金を無駄に使わないことと、
月1で病院に行くこと。
これしか求められてない。

あとはまあ、通所先に最低週2でいくことだが、
これはぶっちゃけ、最低限の義務ではないから。

とりあえず、いっぱい寝て、きょうは、
何時間寝てたかなんて
本当カウントできないくらい寝たので、


というのと、宗教がなまじ宗教右派なので、
自分たちの目的のために積極的に活動し
声を上げまくる団体。として定義が有るくらいだから、

もう俺がヘバってようがなんだろうが、
使えるもんは使うんジャーくらいのいきおいで、
俺に連絡くれたりするかもしれない。

そのへんは構ってもらえるうちはありがたいし、
声がかかっているうちに応答しないといけないが、
できない。無理。
になりがちなのがあるか。

ウツっぽいというか
推進力というか
人を変えようとか
自己実現欲求が無くなってしまった。

この世界をかき分けて進んでいくパワー。
なるものが。

急に世界、Airをかき分けてではなく、
JellyとかSlimeの海をかき分けて、
進んでいかなくてはと思ってしまう。
大変だわ~

げきウツ

まあまだ、起きれるからいいのだが、
昨日からか?ずっと1日中寝てしまっている。

もしかしたら数日前からかもしれない。
夜昼逆転じゃないけども、
夜と昼の感覚は現存してる。

気力がない。
世界はもう、俺の手から離れてしまった。
俺はまじないを放棄した。
いや、放棄しようと努力してる。

左回転のまじないを辞めていく中で、
右回転の<のろい・呪い>
しか世の中にない中で、

人々は荒れ、狂い、
暴力と血に染まった世の中になる。
俺がまじないをやめたので、
辞める努力のなかで、
血に狂った彼らを受け入れなければならない。

これは大変な努力だから。
なんせ蜜を知ってしまったから
そこで、この獣社会へとまた身を投じる。

も、あるのだが、

世界、変わらなくていいかと、
俺はもう、世界に今のところ、
なにもしてやれない。

世界を変えようとする=人生の推進力。
というのが、今、急になくなってしまった。

走ってた車の、エンジンやら駆動力やらが、
どっかに置いてきてしまって、
じゃあどうなる、失速していく。

というとナルシシズムのようだが、
ナルシではなく、また被害者ヅラでもなく、

俺は今、単純に、推進力がなく、
気力がなく、
人々は俺がまだ走ってた頃の俺を投影し、
俺に連絡を投げてよこすけども、
俺はそれにあまりこう、応えることが出来ない。

<まじない>を外す話

もうかなりのまじないに頼ることはなくなってきた。
俺が、他の人間たちを操作しちゃっていた、
それが仮の楽園、仮のパラダイスというか、
俺が操作してなければ保てない楽園だったからだ。

まじないは実際に、人々を操作する。
ということは俺もそのなかでMIXされて操作される。
いわば自己も他人も楽園で均衡を取るために操作される。
でもそれが、心地よかった時期もある。

今はそれはいけない、そうじゃないと思えてきた。
俺が、世界を操作している、ということは、
それは、ツマラナイ、ということ。
世界の無意味さ、無価値化していく。

人々は何も縛られなく、自由気ままに生きていい。
それは俺も、そのなかでMIXされることから、
俺自身の自由気ままをも肯定することだ。

つまり人々は表面的な調和ではなく、
傷つけたり、傷つけ合ったりしていい。

天秤座世界観ではそれはNGなために、
獣性の部分をいままで否定抑圧してきた。

で、今、それをもう、捨てるというか、
まじないに頼らない世界がもうすぐ近い。

そしたらどうなるかというと、
いっせいに人々も俺も、
傷つき、傷つけ合う世界になる。

まじないの抑制や操作を外れるからって、
人々がまた、不幸になる、

何怖がってるんだよ。
ってカンジだよ、
それが本来の地球のあり方で、
その理を意識してしまったからじゃないか。

俺に残ってるのは左回転を捨てるとか、
数字のナンバリングを捨てるかどうかだけ。
いっさいを気にしなく生きていければいい。
左回転を捨てると、周囲には実質右回転しか存在しないため、
ということは従来のような獣性放縦の世界になる。
人々はスレ、争う。


俺は最近認識したのは、
俺の人生は<削いでいく>人生なんだと。
だから気持ちいい秘境温泉を見つけたとしても、
それにあぐねているわけにはいかない。

と、思っているし、思いたい。

Xの垢の話

Xの垢は大したこと書いてないけど。
社会貢献という意味の奉仕では、
Xとか、広いコミュニティに書いていくことで、
それが社会と広く見聞をシェアするということで、
それが俺流の貢献という話らしい。

といっても、何もかもから自由になること、
それが人生のイチバンの目的です。
というからには、
そのようなリーディングそのものも、
逆説的にそこからも自由になること。

つまり本当に好きに生きていい。

でも俺、今、とても無気力なんだ。
とてもじゃないがXとか出来ない。
あそこに戻りたくない。
でも、戻りたい。

書くことについて熱意のようなものがある。
その場所をどこに定めるのか。
リーディング通り広いコミュに書くのか。
それは難しい。

だからとりあえず、Xの垢だけ復活させて、
そこはとりあえず保留で置いておくことにした。
即断即決は美徳だけど、
同時に自分を傷つける刃物にもなる。

自分で積み上げ、自分で破壊する。
YTとNoteは自分で積み上げ自分で破壊した。
でもうこれは戻らない。Xは30日間があるけど。

これは非情に心には負担ですからと、
なんともう、俺が自分で積み上げ自分で破壊する、
それのリーディングが前もってされていたことに気づく。

なんだやっぱり、石神リーディングからは逃れられないじゃん。
だったら本当に、好きに生きていいんだな。
石神リーディングを無視したり、答え合わせしたりするぞ。

でも基本的に俺は、上昇していく天秤座だから、
生ぬるいところにはいつまでも居られないし、
変わらない設定にも出来ない。

でも心は怖い。
この<まじない>を外したら、人々が、
途端に攻め打ってくるのではないかと。

これについては次回。

2026年1月17日土曜日

チャクラぐりぐり棒

第1チャクラをぐりぐりする。
アナロジー歓待には興味がないのだが、
第1チャクラでも開発してみるか。の時期。

バリカンを股に挟んで寝てみていたが、
どうもこれ、音が大きすぎる。
布団かけても隣の人に響いてしまう。

じゃどうするかというと
お箸。でいいか。
なんかほらマッサージ棒とかあるじゃん。
それを極限安い方式で、

天然石のマッサージ棒とかは
ステータスとか所有感であって。
お箸を、片方、の、
尖ってない方を、使えば善い。

早速今日からぐりぐりしてみよう。
電マ方式だとゆっくりしか開花しないため。
なんか適当にお箸でイジってれば
速攻開花するそうだ。

重ねていうが アナロジー歓待ではない。
アナと棒の中間に、ふっくらした箇所がある。
なのでそこを刺激するので別に、ECCHIとかではない。

むしろアナ歓待とか棒歓待してもあまり意味がない。
意味がないと言うか性刺激による第1開花、
は、するのだが、それも酷くゆっくり。
究極、アナ歓待をしまくったり、
棒歓待しまくったりしないと意味がない。

だからいいんだよ、股に電マ挟んどけば。
挟むだけでいいのでアナ歓待する必要はないからな。

あんまうるさくない強震動の電マあればいいよな。
うちのバリカンは、1.2Wで充電してるらしい。
どんだけ低電力なんだよ。
スライヴは10Wらしい。この違いとやらは。

うちのバリカン、パナソ製で40分稼働する。
スライヴは20分。
この違い悩ましい。
スライヴごとき購入も、
現時点の財力ではケチりたい。

人と自分を比べない

隣の芝生は青い。
皆、他人は羨ましい。
自分は、低い。
他人が、高く見える。

それは、正常なことだけど、
自分が低い、他人が高い状態は、
それは自分も実は高いってこと。

自分が高い、他人が低く見える状態は、
逆に実は、自分が低いってこと。

隣の芝生は青い。
ならば、誰かが成りたかった人生は、
誰かが生きたかった今日は、
実は自分の人生なのかもしれない。


こんな事を言うと、
うるせえ、今の俺が救われてないじゃないか、ええ?
といい出す人がいる。

まあ、その境地になってみたことがないんだから、
俺がいまいくら言っても仕方ないんだよ。
俺もむかし、その概念には反対してたよ。
でもいまなら、きっと、

きっと他の誰かしら、俺のような生き方や立ち位置を、
熱望しても得られない人生を生きてたんじゃないか、
などと思えるんだよ。

だから、置かれた場所で咲きましょう、
鉄の魂は鉄、鉛の魂は鉛にしか成れない。
味噌は味噌壺、糞は糞壺にしか入れておけない。
味噌も糞も一緒にすることは出来ない。

だから、俺の今の人生が、いかにちっちゃく観えたとしても、
それは大いなる誤りであり。
今に満足しましょう、ってのは、別に後ろ向きなことではない。

何かを変えよう、前進しようとする心の動き、
それは仮の、仮のモチベなんだ。
自分が変わらないと居られない、何かにならないと居られない、

そうじゃないんだ。
世界はあるがままでよかったんだ。
あるがままというのはつまり、
誰かに成らない・自分は自分にしか成れない

だから人と自分を比べるのは意味ない。
自分を生きよう。
自分を生きるというのは、
自分の取り分以上を望まないということ。

奥野関連リンクまとめ

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終わってしまった

YTチャンネル・Note・Xを削除した。
これまでの苦労が水の泡だ。
と、思うかもわからない。

気づいたら削除してた。
が、正解だった。
俺はただクリックしてただけ。
順調すぎる削除だったから、
あ、これで正しいんだと。

もしなにか間違った手順だったら、
もしくは時期が違ったら、
それは通らないし、
通っても、なんかしら妨害される。

妨害がないてことは、
これでいいってことなんだと。



世界、変わる必要がない。
俺が、世界を、変えようとしていた。
世界はこのままではいけない、
俺が変えていこう。

でもこれは、俺の幻想だった。
俺が、変わればいいだけで、
俺の中を変えればいいって話で、

世界は、あまりにも当たり前のように、
気ままに振る舞っている。



俺は、変わる必要がない世界を見て、
ああ、変える必要など無いのだと、
俺が間違っていた。


アカウントがあるとまた繰り返してしまうから、
ここは一旦、処断することにした。
Bloggerは続投で、
俺のナニカを書き溜める、
出力をする場所。

Blogger自体もう終わってしまったサービスだし、
出力を完全に処断すると、それもよくないため。
ちくわのような貫通型にしないと、
人間どうしても、食っては排泄する構造なので、
入力に対して必ず、出力するのが必要。


俺はどうやら、道を間違えて進んできてしまったらしい。
世界、変わらなくて良い。
俺、俺が変われば良い。
世界は俺によって、変わろうとしなくて良い。