2024年7月8日月曜日

【運命】人生の指針

To Mr. Yosuke Okuno.

すべての言葉を人生の瞬間へとお贈り致します。

《Your soul is hereby engraved》
あなた自身が人生に抱く価値観。
いわば世界観、その基準がどのようにして関わる人々に深く影響を及ぼしていくのかを、よく観察していくことが求められます。
そのために、自分自身の信念、つまり人生に対しての責任が不可欠であるということ。
なぜ人は、この社会の中で、共に生きながら支え合うのか。
つまり責任を負うべきなのかと、まさに人間の在り方それ自体を課題として、学んでいるところなのです。
共に生きることの意義、相互に支え合い、責任を果たし合う真意。
それは命の価値とさえいえるほどの尊い学びとなるでしょう。

つまりあなたは「人間」を理解することを、課題とする人生を生きている尊い人だということ。
性差を超えて、同性であれ、異性であれ、それぞれの性の意味とは何か、さらにはいかなる行動が真の責任となり得るかまでも学んでいくのです。

物事の本質に人々を立ち返らせ、見つめさせる才能。
それは非常に尊いあなたの資質です。
成功も、ミスでさえ、人々はあなたから学ぶことが出来る。
あなたの生きる姿は、自分自身の生き方を見直させる感覚を人々に与えていくのです。

人の人格に働きかけ、人生における脆弱な土台により強固にするようにと促す才能だともいえるでしょう。
ひとつひとつ、一歩ずつと物事を進めていくあなた自身も、また盤石な土台をつくりだしていくことになります。

その才能は、いわば洞察力であり、感受性とも紐づけられるものです。
それぞれの人格をリスペクトするのは、心に支えを提供していることと同じ意味を持ちます。
あなたを通して、彼らはより一層、心を発達させて育んでいけるほどの影響力があるということ。

心に必要なのは何か、人生には何が大切なのか、それらは人間の真の思い部分であり、そこにフォーカスしてみるのです。
あらゆるエネルギーに精通するのもあなたの特性でしょう。
モラルや物質的な豊かさなど、才能の矛先はとても広大です。
そこにスピリチュアリティの高ささえ加わっていく。

つまりあなた自身が生きていくための基準を設けては、より高くへと刷新していく人生であり続け、自分という人間を受容していけるわけです。
尊い生き方です。
そして人々を感化させる人生なのです。

偽りを避け、本質を見極める力も、あなたの才能に由来します。
その力を人へと向けて見るならば、彼ら自身も気が付いていなかった真の才能を示すことも出来てします。
より親密な人であれば尚のこと、必要なものが何かを指摘してあげられるでしょう。
それは人の生命力を底上げしていることに等しい最上の力なのです。

あなたの言葉には深い洞察が宿ります。
より人生の深みへとタッチするための多角的な視点さえ人々にもたらすことが出来る。

生きるための行動には責任が伴うこと。
そこに学びがあるとあなたは教えていける稀有な存在です。

ひとつずつ踏むべきステップを見出し、ロジカルにしっかりと洞察深く歩んでいくように、と諭すあなたは人々にとっての光でもあるのです。

ここにあなたの使命があるということ。

それゆえにある種の判断力の欠如、また心にあらゆる葛藤を抱えた人生を過ごす人々が人生に多く介在してくるのです。
彼らはあなたに触れることで人生の意義を知りたいと願い、そこにあなたの使命が絡み合い役割が課せられているわけです。

何をすべきなのか。
どちらに向かうべきなのか、とあなたはほとんど本能的に察知できるでしょう。
溢れた感情のままに人生を捉える時に、ひどく視野が狭窄してしまうことも知っている。

感情とロジックをまるでアクロバティックのように切り離して別回路として思考していけるほどに優れた知性があなたにはあります。
その知性に導かれた人々は、人生が見せてくれる本来の可能性の意味を知ることでしょう。
そうしてあなた自身の使命とも重なり合っていく。

人の行動の意義も、本心も、言葉や感情の真意をも瞬間的に感じ取れるあなたは、つまり人生を阻害している要因を見抜く才能を持っているということ。

感情はある種のエネルギーであり、溢れたままに行使する時、根本的な問題の要素のことごとくを取りこぼすリスクがあることを熟知しているあなたは、人々の思考形態そのものを変えてしまえるほどの能力を秘めているのです。

現実性を伴わない生き方は、大地を無くした地上を歩む旅のようなものだと感じもするでしょう。
偉大なる知性があなたの本懐であり、瞬間ごとにただ流されて生きてしまうのは人生の美しさを享受できないと教えてくれもするはずです。
人々の意識を拡大し、日々を、生活を、しっかりと大地に根を張るように生きていくよう修正を施せる優れた知性だということ。

誠実に物事に尽力していける特性もあるために、些末とさえいえる事柄にも目が行き届くでしょう。
それは俯瞰した視点で状況を見渡せる才能です。
ほとんどミスなく前進していけるのも、同じ才能ゆえであり、人々の模範と呼べる生き方であり、いわばあなたの人生自体が彼らに本質へと立ち返らせるための力でもあり得ていくでしょう。

憐憫や錯覚、空想は、感情をさらに昂らせてしまうと人々に諭せる生来の助言者のような人です。

憐れみでは人生は決して進みはしない、とあなたは真の人生で負うべき責任を熟知してもいる。
非常に高度かつ重要な精神構造を生まれながらに宿している人間があなたです。

逆説的には、正確すぎる、という一面があるために誤解を生じさせもするでしょう。
正確無比な言葉は、つまり正し過ぎて人々は受け入れる前に反発するという、本来あなたのせいではない誤解なのです。
やさしく、そっと囁くように諭す必要があるということ。

実務的かつ効率的な基準を生来持ち得ている人はそう多くはありません。
しかしあなたは生まれながらに備えている。
何が状況を堰き止めている原因であるのか、まず気が付くのはあなたなのでしょう。
確かな洞察力と知性であり、さらにはそこを修正するための指針すらもあなたは導き出せてしまう。

だからあなたは誤解されては勿体ないのです。
全員にとっての有益な指針が、あなたの助言だからです。
けれども、そっと囁く以上は必要でもないということ。
受け入れるための時間が彼らには必要であり、即効性を求めてはいけないのです。

使命の代償ともいえましょう。
すぐに成果がわかるわけではなく、本当に自分の意見が必要かどうかと疑問に感じることもあるでしょうから。

しかし使命である以上、修正したいという願いもまた同じくらいには強いはずなのです。
不和があるなら、問題点を見出そうと追求してしまうのも使命の代償のひとつです。

そのままの意味合いで、特徴を最大に表現できる分野は最適な職業となります。
つまり使命と合致しているわけですから、当然、適性があるのです。
人の人生に対する問題点を見出し、修正ポイントを示唆すること。
心を対峙して、人々の意識に新しい視点を与えること。

それは人生を効率的に生きる指針を与えているようなものであり、さらには使命でもあることから、あなた以上にこうした分野に適している人もまたいないといえます。

常に全体を見て取る能力は、誰しもが持たないものです。
大きな視野から、細部を見ていき、秩序をもたらしていけるのは尊い才能です。

どれほど困窮しようとも、苦痛であろうとも、それでも生き方の延長としての環境を保持しようと感じてしまうのは人の性です。
こうした保守的な環境をコンフォートゾーンと呼びます。
自分に合うか合わないかでも、快適か否かでもなく、慣れ親しんでいるだけの環境。

そしてあなたはこのコンフォートゾーンの存在を見出し、抜け出す道を示唆することが出来る力がある。
確かに指摘された人の中には、その瞬間には大いに不満をあらわす人もいるでしょう。
けれどもあなたは常に正確無比な情報を提供していることは覚えておくべきです。

あなたが示した指針はいつでも正しく機能していきます。
時間を要するけれども、人々はあなたの真意を汲み取り感謝さえしてみせるでしょう。

これはあなたが覚えておくべき「自分」という人間の尊さ、価値、正確さの認識です。
いつも忘れずにおいて下さい。
その意識がありながら、尚、誤解が生じるとすれば、伝える方法を考慮してみると良いのです。

人にはそれぞれの人生のタイミングがあります。
成長の進度によって散り散りであり、受け入れ方もまた異なるものです。
伝えるべき状況とタイミングがある、と知っておくだけでも、充分にあなた自身の成長にも直結する認識が加わることでしょう。

プライベート空間でしか受け取れない人もいるでしょう。
公然と助言されなければ理解できない人もいます。
いわば受け入れるだけの心の隙間がいつなら生まれるのかを、知ろうとする心がけがあるだけで充分なのです。
隙間を見つけて、すっとメッセージを差し込むようなイメージが適切なのです。

そうであればあなたは誤解をされなくなります。
さらには自分の言葉の力を知った時にあなたのプライドは確固たるものとなるでしょう。
あなたの言葉には力がある。
人々を大きく動かし、時に人生を覆すほどの力なのです。

生来の洞察力はより一層研ぎ澄まされていくでしょう。
過去の人生から引き継いだカルマはこうして純化されて、能力として昇華されていくのです。
人生を切り拓く最良のツールとして、能力は発揮されることでしょう。

構築、人生、心、人と人とを繋ぐ。

これらをキーワードとした分野はより適した職業として規定出来ます。
小さなコミュニティよりも、大きなコミュニティを目指す方がさらに向いていると言えます。
ひとつのプロジェクトに責任を持って完遂していく才能が十二分にあること。
人の多様性も、環境の複雑さも、巧緻なシステムも、あらゆる多角的な視点をあなたは才能として秘めているのです。

仕事はあなたの人生においては重要な要素でもあるわけです。
仕事が機能するなら、生活も機能して安定していく人生でもあるからです。
こと生活空間において言えるのは、むしろ洞察力は潜めておくべきでしょう。
つまり小さなコミュニティで活用するよりも、大きなフィールドが最適なのです。
密な人間関係であるほど、緻密な助言は有機的には影響してくれません。
距離感がほとんどない状態だからです。
人が人に対して為す助言とは、正確さと比例して距離が必要となります。
そして小さく密なコミュニティには、この距離感が存在しておらず、つまり客観性が消失してしまうのです。

これは大切な認識でもあるでしょう。
知らないままに洞察して活用してしまうと、ただフラストレーションがもたらされるだけである場合が少なくありません。
軽く修正を促す程度に留めておいてください。
どうしても必要な場合に限り、ほんの少し修正を促す程度に留めておくなら、孤立することはないでしょう。
これもまた適した方法を見出すという意味でもあります。

あなたの能力は紛れもなく真正の才能が由来なのですから、間違いはありません。
臨機応変に工夫して活用することが必要なだけなのです。
そうであれば、あなたはほとんどすべてのコミュニティも、組織系統すら統合して導いていくことが可能になります。

魂に宿る最上の調和の力を交流に用いてみて下さい。
誰彼問わず、強固で親密な関係性を築いていける素晴らしいツールなのです。

生来の力でもあるため、ある程度の自覚もあるでしょう。
それを人々の本心を知りたいと抗えずに活用してしまうと、本来のパワーが発揮されないのです。
つまり人格にまで当て嵌めてしまうからです。
すると人々のイメージに歪みが生じるのです。

願望の表れでもあり、高貴な人物として見て欲しいと欲するようにもなりかねません。
常に優しさを求めもするでしょう。

高貴さとは、正しさであり、善良さである、と。
それが自分という人間としての人格だと、人々に願ってしまうことになるのは感情的に歯非常に窮屈なものです。
親密に、深く関係を築くためのツールでありながら、表層的な関係を結ぶに等しい願望としての活用がこうした、いわば妥協に近い感覚でもあるでしょう。

人の心に刻まれる自分の人格を願うのは、つまり人の心に翻弄されるということにもなるのです。
そして善良なる人格だという自負が強まると、その自負があなたを拘束してしまい、心ない人に利用されるリスクさえ孕んでしまうのです。

あなた自身が、自分を常に善なる人格であるよう保とうとする心理を、まさに翻弄され惑わされるのは本来の力の矛先であるはずがないのです。
どのように人の目に映るのか、といつでもフォーカスが自分から他者へと主軸が転じてしまっているのですから。

良い人だから、とあなた自身を誰にも利用されてはなりません。
言葉に乗せられて自分の心を偽ってまで、他者の願いを叶えるべきが、最上の調和の力の本質ではないということ。
表層的な関係は、文字通りに脆弱なものだとあなた自身も知っているはずです。

人が抱くイメージそのものにフォーカスするのは、その人に対して、自分を委ねていくという逆説が成り立ってしまいます。
それゆえに妥協と述べました。

それぞれのアイディアを統合されるように、ではなく、それぞれの能力をうまく活用していくように、と思考をシフトチェンジしてみてください。

これはいかなる輪の中にあっても、完全に調和を導きだせる大きな存在価値として認識される、あなたの力をうまく活用したスキルとなります。
そうであれば実に生きやすく快適な空間と居場所を手にするためのパワーとして用いることが可能なのです。

あなた個人のアイディアをまず人々に提示することが、結果として本質的な人格を磨くことにもなっていくでしょう。
他者に対して、自分自身をチューニングするのではなく、自分の独自性こそを用いて交流を深めていくのです。
もはや他者のイメージではなく、あなた自身の言葉が、行動が、人格をつくりあげていくことになっていく。

それだけの才能は生来もっているのですから、自分の「言葉」の影響力を知るべきでしょう。
決して自分自身を縛り付けるために使うことのないように、と。

あなたの独自性とは、人生への価値観を含んだものです。
もっとも有益な人生の指針を言葉に託していく意義さえあります。

そもそもが感性の人なのです。
才能の大部分が、感性に秘められている。
論理的な思考が歯止めをかけるその前に発する感性そのままの言葉ほど、強く人々に働きかける力はありません。
いかにロジックでその場を機能させようとしても、スムーズにいかないのは、生来のパワーに自らブレーキをかけているからです。

あなたのアイディアは場に調和をもたらす力足り得る。
それを一番わかってあげていないのは、他ならないあなた自身でもあるのでしょう。

あなたの感性を、あなたの言葉で放つ時に、調和の力は発揮されること。
その真の影響力に気が付いたなら、どのような意見でさえ、楽々と受け止めるほどに人格はさらに磨かれていきます。

人々はあなたを慕い、あなたの言葉を待つでしょう。
これが、もっとも自然な形の平等意識でもあるのです。
あなたは調和の力がある。
つまり生まれながらに平等性が宿されている。
崇高な理念はだからこそ刻まれていると気が付いて下さい。
それこそあなたの価値観です。

価値観を基に浮かんだアイディアを、人々とシェアするように交流していくなら、多分に喜びがもたらされ、生命力もまた沸き上がってくるのです。

あなたが生きて、経験してきた見識は、つまり人々の持たない知識なのです。
要するに、あなたの感じたことはその見識が発端であり、言葉として表明していくたびに交流は深みを増していきます。
それが本質の誠実さであり、善良さ、また正しさなのです。

人に対して誠実である前に、あなた自身が、自らに誠実足ること。
それが完全なる調和の始まりとなります。

精神的な概念にもあなたは深く精通している。
魂の刻みは鮮明にそれを表してもいるのです。
その刻みが表出するのは、この人生で培ってきた論理ではなく、常に感性です。
だから独創的にもなるのです。
論理は時代や文化の縛りを外すことはきっと出来ないけれど、感性には魂が辿ってきた刻みの一端が解放されている。
思考は知識を漁り蓄積していくものであり、感覚はいつでも魂の資質を反映してくれる知恵なのです。
そしてあなたが解き放つ感性からの言葉は、人々に浸透する影響力を持って語り掛けることでしょう。
思考は、知恵をいつまでも縛ることは出来ない。

表面的な秩序を保つために、人の意見に同調する必要はつまりない。
それはあなたがこの人生に持ち込んできた資質の真価からも明白でしょう。

自分自身だけは裏切ってはなりません。
本心を超えた称賛は、意味を為してはくれません。

親密な関係は、感覚で理解するものであり、演出し続けることは不可能なのです。
シンプルにいえば、同調はただ疲労を蓄積さえる以外の益はないともいえます。

感性が感じ取るのは、エネルギー体であり、非常に感覚的かつ人間の本質です。
そして人生で重要な要素もまた、すべからく感覚的なものです。
喜び、幸福、とそれらは解釈では辿り着けない、実に個人的な魂だけの境地に存在している要素なのです。

あなた自身を欺く無価値に気が付けるのもあなたであり、そうして人々の中に流れているエネルギーをダイレクトに感覚で受け取っていけるのもあなたでしょう。
不備が何かを見抜く能力であり、そこに鋭く切り込む洞察力を活用するのです。
心のままに人々と分かち合い、交流の本来の在り方を知ったあなたは、自由を獲得して、まさに調和を纏った人格へとさらに磨かれ、価値を認識されていきます。

人が何を思い、考え、行動しようとしているのか。
きっとあなたにはすぐに感じ取れるでしょう。
それは確かなあなたの能力であり優れた資質のひとつですが、人の思いを誘導するように活用するのはリスクが高いのです。
無自覚に人々をカテゴライズしてしまうのは、人間の価値に上下を与えていくことになります。
これは人間関係においてのハードルとなり得るランキングのような基準です。
ある種のひずみともいえるでしょう。

自分の言葉はその場に適しているのか。
そして、人々もまた適切な発言をしているのか、と、これは自分を含めた人々をカテゴライズすることから生み出される感覚でもあります。
近くにいて欲しいと願う親愛なる人々にとっても、同じく関係性におけるハードルと感じさせてしまうのです。
決して完璧なものだけが、最高の価値ではないと知っておくと人生はよりスムーズに流れていけるでしょう。

完璧なもの、価値あるもの。
これらを同時に感覚として持って生まれたことから、少しこれらを同じラインに置いてしまうことがあるでしょう。
しかし、これらはまったく別の基準だと知っておけば良いのです。

混在させてしまうと、自分を厳しく責める要因となりかねず、人々も同じように判断するための基準として機能してしまいます。
自分に対する信頼も、人への信頼も損なうリスクを伴う基準がこうした部分に存在してしまうのは人生にダメージを負わせることと同じ意味を持ちます。

人間も自然の流れと実はそれほどに変わりません。
むしろ、同じだと捉えてみる方が適切でしょう。
自然とは、常に変化しながら、何にもコントロールされずに気ままに秩序を保っています。
これは受容こそ、自然の摂理だと教えてくれているわけです。

人のあるがままの姿を、一切のカテゴライズもなく、見つめてしまうこと。
いわば受容をこのように適用してみてください。
それぞれの人生を生きているのが人間の本質的な在り方であり、根底に流れる部分は誰にも変えることは出来ません。
そして人々が生きるコミュニティ、つまり関わっている状況に対しても矯正を促す必要はないということ。

人は個々の価値観や世界観を内包して生きていく以上、それに応じたミスも起こしていき、経験として学ぶように設計されています。
そしてあなたもまた、いくらでもミスなどしてもかまわないと知って下さい。
敢えて正当化させることは特に人生では求められていないのです。
失敗と一般的に呼ばれるものは、実質的には単なる学びの一環に過ぎません。
それらの経験があってようやく認識できることの方がずっと多いものです。
責める必然がないなら、責められる必然もありません。

ただ、そうあってしまっただけ。
自然本来の在り方である受容とは、人間性に還元すれば、寛容さということになるのでしょう。
この姿勢を持ってこそ、あなたの完璧を目指す基準は人生において最高の意味を発揮していけます。
純粋に人生を理想へと近づけようとする精神であり、その道を歩む際に起こる一切を否定することなく進んでいけるのが、あなたの本来の優れた資質なのですから。
あなたにとっての解放とは、こうして見出されていきます。
プライベートや仕事など生きている環境を強く縛り付けていた、厳粛すぎる基準という鎖は見事にほどかれて開放感に満ちて進んでいく方がずっと楽になれます。

元来、あなたのコミュニケート能力は抜群なのです。
その能力もまた解放されるということになります。

自分はこうした人間である、と敢えてわからせて生きるのはとても困難な道のりです。
そこにあなたの人生の必然がないからです。
求められていない基準を自ら敷くべきではない、というシンプルな法則があるというだけ。

あなたの真実はただ、あなただけが理解しておけば良い。
この境地こそ、多くの才能を宿しているあなたにもっとも相応しいのです。

自分を誇示する必要もなく、正当化をしてみせる労力も削り、ただスムーズに生きていく以外の一切は要らないのは、つまり運命が求めてなどいないからです。

せっかくの才能なのですから、十全に発揮させてあげて下さい。
人々との交流は、あなたなら実に容易いものだときっと知るでしょう。

さらにいえば、ずっと高尚なレベルで交流をしていける能力が確かにあると、覚えておいて下さい。

あなたの力は自由を獲得するために活用して下さい。
どのような集団の中にあっても、感覚的に調和を生み出す方法を知っているでしょう。
伝統的な常識やルールがすでに意味を為さないと感じているなら、あなたの力を発揮する時なのです。
その感覚が生じた時に、従来のルールを守ろうと固執するほどに自由は失われてしまいます。
新しい秩序を、伝統をスタートさせるような意識で望むなら、あなたの力は自由のために輝き始めます。
自由とは権利です。
しかしながら、ルールを放棄してまで行使することとは少し異なるのです。
飽くまでも権利だからです。

私に自由を与えて欲しいと、ただむやみにルールを無視して、人々からの働きかけをも無視することとは違うのです。
度重なる環境の変転がもたらされていくと、ある種の環境不全に近い状況を創出させてしまいます。

人生の土台に相当する生活が揺らいでいるという意義を訴えているわけです。
その揺らぎは、人との交流のひずみにも発展していくこともあります。

つまりベースである、日々の生活が揺らいだままになっている状態に相当するのです。

権利を行使する時には、いつでも関わる人々への思いも同時にあれば良い。
そうして自由を得ていくあなたは人々を感化させる力となっていきます。
すなわち、自由とはただの言葉ではなく、人それぞれの自由の在り方があるということ。
個々の人生における自由の意義を理解させるあなたは非常な価値を持つ人物です。

権利を主張して、しかし人々を裏切る形ではなく、シェアしながらであること。
彼らはあなたから、それぞれの人生における自由の意義を悟るのです。
その時、あなた自身がたとえ無自覚だとしても、人々に道を与え、照らし、支え、導いている。

自然界の普遍的な真理とは、物事の本質でもあります。
あなたはそれらを見極める感受性を本能に宿しています。
崇高なる知恵です。

あなた自身の解放は、人々にとっての解放とも同義であり、その意義を本能的な感受性、つまり知恵を持って体現していけば、土台は完全に揺らぎを止めて盤石になります。
そして天から、人生を通じて為すべきもっとも重要なライフワークが与えられもするでしょう。

圧倒的な才能が溢れていており、人々が自らで気が付けない領域までもあなたには読み取れてしまえる稀なほどの資質があります。
それゆえ純粋なる矛先へと向ける必然も生じるのです。
彼らの能力に気が付いていながらも、自分の野心の糧にしてしまうならきっと逆流してしまうほどに強い才能だということ。
権威を持つため、つまり自分自身の優位を保つための活用もしかりだということ。
ここまでの強さはけして隠し通せるものではなく、あなたの情熱そのままに交流を育んでいく心がけがもっとも健全といえましょう。
稀有な洞察力は、発揮されてこそ人生を輝かせてくれる資質としての自覚を持てるものです。
人の才を見極め、そして引き出しさえ出来る。
いわばエネルギー領域に属する才能であり、滞留はもっとも避けるべき資質だということ。
野心は留めておけない炎のようなものですから、解放してもかまわないのです。
それがあなた自身の本質的なパワーである以上は、やはり人生の為に使うべきでしょう。
滞留を引き起こせば、つまり逆流をしていく。
それは神経を興奮させて休息を求めさせもしてしまい、やがては人間関係また環境などに飛び火してしまいます。

情熱はシェアしてこそ、人々と共に大きな光と為してくれます。
あなたの頑なさとは、才能の強さが人格に転化された片鱗でもあるわけです。
自分の圧倒的な才能を、情熱を、エネルギー領域にタッチしている資質を、あなた自身で深く認識するなら、絶対的な自己への信頼感を構築していけるのです。

人を活かせる才能ならば、まずはあなた自身を活かすためにあってしかるべきなのです。
あなたが見ている人々の本質は、つまり彼ら自身が無自覚であり気が付くことも出来ない部分でもあります。
むしろ、見えてしまう、と形容した方がより適切なのでしょう。
見えているそのままに示してあげて下さい。
それは最良のサポートであり、見事な才能の発露となります。
見返りとして人生に恩恵がもたらされる度に、人生観はさらに磨かれ向上していくのです。
本来の意義での奉仕といえます。
示し、与え、与えられていく。
こうした循環の果てには、まるで信じ難いほどに、生きている環境は文字通りに豊かに恵まれていきます。
人生に数多くの可能性が明確に存在することにもなり、大抵の苦悩はそうして払拭されるでしょう。

そして人の能力を導き出していくあなたは、彼らの信頼を勝ち得てもいきます。
すべてが相乗効果として、人生は循環をするのです。

あなたが介在しなければ、それぞれの本来の能力に気付けず、当然、人生に活かすことも出来なかったと人々はあなたに価値を抱き、あなたはそれを受け取り、大いに自己を研鑽していけます。
物質的な恵みがあり、心が実感し、人格はさらに磨かれるあなたの人生の始まりは、その圧倒的な才能にあることを知って下さい。

あなたの洞察力は誰もが持てない資質であり、実に高位の才です。
人々の人生を開花させながら歩む崇高なるあなたの人生の道は、社会的にも大きな存在価値を見出す道となるのです。
求める豊かさも権威もそうして才能をシェアするように矛先を向ける先からもたらされていきます。

あなたという人間は、どこまでも、どれほどにも、望むままの人生を歩んでいけるのだと忘れずにいて下さい。

その場に流れる空気が淀むのをあなたはきっと嫌うでしょう。
それゆえ、時々、半ば強引に調和させようとすることもあります。
つまり相手が望んでいるであろう言葉を本心とは別に口にしてしまうということ。
これはある種の駆け引きともなるために、同じことをあなたの心は相手にも要求しかねません。
調和を乱してはいけないと、思考は答えを導き出します。
これは理想の投影であり、柔らかな心の性質とは相反するものですから、神経に疲労が蓄積する要因となってしまいます。
過敏になった精神は、競争意識とも似た状況に置かれてしまうのです。

要するに強引さは要らないのです。
表面上の調和では、負うべき責任の在り処を曖昧にしてしまうのです。
人の心を感じ取れるあなたの能力をこのように使ってしまうのは得策とは言えません。

人々は何を求めているのか。
何よりも、あなた自身が求めているものを知っておくべきです。
こうしたそれぞれの欲求を明確にして、溝を埋めるような意識が真の調和を生み出します。
これはあなたしか出来ないことであり、人々に信頼を芽生えさせるために機能する調和の形となります。
そうなると、あなた自身が最も秩序を保てる素晴らしい結果をもたらしてくれるのです。

自然の一因として人間が存在しており、全体はひとつの命である。
これはひとつの真理でありながら、確かにあなたの意識の中に内包されている感覚です。
命に意識があることは、生きていく責任を負う意味を知っているということでもあります。
全体としての理想を追求するのか、個人的な充足を目指すのか。
こうした問題に直面すると、生来、責任を帯びているあなたは思い悩むでしょう。
しかしこれらの問題に矛盾はないのです。
運命という大枠でいえば、あなたは主導的なポジションに就くことを要求されています。
全体に対するテーマと個人のテーマは決して相反するものではないと実利的な才能に恵まれたあなたは発見することになり、個人個人の独自性に気が付き尊重する人格者として磨かれていきます。
責任はそれぞれが同じ分量だけ背負ってこそ深い学びとなります。
あなたの理想はとても高い基準を持っています。
そこに全てを合わせてしまうと、いつでも期待値へ届かない結果となりかねません。
あなたの精神は豊かで深い。
それはあなたのためのものであり、人々も同様な深さを持っているとは限らないのです。
心の領域を理解して欲しいと、自分に課した規律をわかって欲しいという思いが元で行動すると、人々は理解が追いつかずに、反発するしかなくなってしまいます。
その反発は、人間関係に緊張感を生み出し、あなたには多大なフラストレーションが鬱屈するでしょう。
過度な責任感は、行き過ぎると、自分を犠牲にしていることと同じなのです。
あなたは何者の犠牲になってもいけない人です。
たとえ、それが自分が設定した基準であっても。
フラストレーションは如実に肉体か精神に、ダイレクトな影響を及ぼしてしまうでしょう。

従来の基準値が厳しすぎるのです。
自己規律は能力なのですから、少しゆとりを持たせてみると、明らかにプラスの影響として環境に現れ始めるでしょう。
理想とは。
仕事とは。
これらに恐らくは定義があります。
この定義自体を破壊してしまうのです。
理想を実現することだけが行動の動機としてしまうと、生まれもった奉仕の心は発揮されなくなります。
あなたに理想があるように、人々にもそれぞれの価値基準があること。
それをあなたは誰よりも理解できる人なのですから、融合して共に目指すために活用して下さい。
厳粛さは、環境を拘束する力となります。
ここにわずかに楽観的な感覚を持ち込めば、目に見えて環境は新しく刷新されていくでしょう。

高い精神性を活かして、心への理解と価値をまず知ること。
俯瞰視点で自分のあるべきポジションを知ることでもあります。
自然の美はアートの源泉であり、あなたは確かにそうした才能を生来もっています。
願いのすべては本来この源泉に関わるものであり、深く認識するほどにゴールへと進んでいる実感を意識できるはずです。

経済と倫理の概念は根底に流れる性質が似ています。
共に人間関係の対を為す概念であり、性と金銭という生活を伴う感覚であるからです。
人々が何を思い、何を願うのかを理解した上であなた自身の心もオープンにしてみると、新たな人と人との交流の絆が生まれます。
心を見抜く感性はあなたの根幹に相当するエネルギーといえます。
彼らの真実があなたには瞬時にわかってしまう。
それは深い洞察であり、そして思索さえしてみることでしょう。

根幹のエネルギーならば、常に解き放ってあげる心掛けが不可欠となります。
知りながら、見抜いていながら、しかし沈黙してしまうのは、誰のためにもならないと知っておくのです。

貴重なメッセージを彼らに届けないことの意味は、あなた自身の莫大なエネルギー源を敢えて滞留させていくようなものです。

純粋なあなたの言葉はいつでも、それがどのような辛辣なワードを含もうとも、伝わっていくと自分の感覚を信頼してみて下さい。
受容されない感覚を恐れるのは、自分自身が秘めている大きなパワーに、あなた自身が恐れを為しているに過ぎません。
きっと言ってもわからない、と。
これは思考の領域でのパターンでもありますが、あまりに繰り返されていくと、エネルギーはより強く滞留していくことになり、感情の行き場を失わせることもあるでしょう。
どれほど身近で大切な人達でさえ、心を隠すとすれば、このパターンが元だと思い至ってみると良いでしょう。
常にパワーを身に纏っているあなたが、その心を隠せば、唐突に人々はあなたが見えなくなってしまう。
これはあなたという人間を誤解されるプロセスともなり得ます。
そしてあなたが見えない人々に対して、なぜわからないのか、と堰き止められた感情は怒りへと振れてしまいます。
こうした双方の誤解の発端は、大きなエネルギー源である心をあなた自身が隠してしまったからです。

その感性は放たれてこそ輝きを増していく性質があります。
ですから勇気が不可欠なのです。
自分自身が勝手に判断してしまった、受け入れられないのではないかという錯覚を打ち破ることへの勇気です。

想像は過大になれば時に、言葉で表現できないゾーンに入り込みます。
それをどのように表せば良いのかと逡巡する内に、メッセージを発信するタイミングを逸することもあるわけです。
本質は「言葉」ではありません。
伝える意図、です。
感性のままに、どのようなワードであるかは気にせずに伝える意図を持つのです。
意志ではなく、意図。
これは常に伝えきれなくとも、少なからず心を省みている状態であり、解放を意味します。

この意図は、生きているフィールド、現状や環境に働きかける力となります。
魂に由来するのが心であり、感情はそのサインです。
だからこそ、メッセージでもあるのです。

魂からもたらされたインスピレーションを無視するのは、心の本来の意図とは異なっているのは明白でしょう。

肥大した想像を恐れるのは、錯覚に不安を覚えていることと同じです。
しかし錯覚は、飽くまでも錯覚以上のものではない。
意見の相違が問題の本質ではなく、あなた自身の心を開けた扉へと放ってあげる意図が問題だということ。

仮に意見が食い違おうとも、すぐにあなたは理解されます。
以前よりもずっと関係性が深まりながら。
漠然とした得体の知れない不安感は、魂の声を封じていたことによる言葉にならない感覚が理由です。
この理解は、心から怯えや恐れを一掃するほどに有益な学習ともなります。

茫漠とした不安感に力を与えて、せっかくの心からの訴えを無視するのは、知性的な判断としての、現状の維持、といえるでしょう。

これは状況をコントロールしていることに相当してしまうわけです。
しかし思考で制止していられるほどの感情ではないために、環境の悪化を招く程度には漏れてしまうということ。
弱さも、脆さも、同じように大切な心のメッセージであると認識していれば、制止する無意味さを知っていけるはずです。

人間的な深みと、威厳がそもそもそなわっている以上、あなたの心はオープンでなければならず、感性が、感情の淀みを浄化していってくれると覚えておくことです。

維持とは、平行性を意味してはいません。
いずれ下降線を辿るだけの一過性の状態でしかない。
そしてあなたの心は、いつでも向上させるための道筋を描いていく。

どのように、と適切なワードを選ぶ必然さえもなく、思いがあればただ伝えていく意図だけがあなたの感性において必要なすべてであり、直感的な生き方を推奨する真意でもあります。

自らが生き、歩んでいくそれ自体に共感を願うのは本能の欲求と言えましょう。
しかしながら、自分自身の人生であるという前提が崩れてさえ、人々からの共感を得ることが主目的となってしまうのは、生来の個性を見失っていくことと同義でもあるのです。
敢えて、不必要なまでに刺激的な要素を投入していくような行動はつまり本懐ではないということ。
常に良いイメージを与えていたいと感じる心と、共感を願う本能の違いを知っておくのです。
イメージに生きていくのは、自分からどれだけ離れていようとも、そのイメージへと自分を近づけて当て嵌めていくようなもの。
いわば、その都度で個性はいくらでも変容してしまうことで、あなた自身が「自分」を見出せなくなるループが生まれてしまうわけです。

いわば本来の魅力的なあなたの様々な美しさまでもが隠されていく。
これは本能的な欲求であったはずの共感は、結果として得られないというループでもあるのです。

愛情をいつでも欲しい、と心は訴えてくるでしょう。
強まれば不安へと感情は舵を切っていく。
さらに強力になるならば、もはや依存と呼べるほどに自制を失いかねません。
つまりあなた自身の人生をその手の中から、他の誰かへと委ねることを意味してしまいます。
そうして視野は少しだけ曇ってもいく。
愛してくれるのか、どの程度なのか、と愛情の本質とは違う尺度で、心の安定をはかるようになるリスクが生じていくからです。

あるひとつの関係性を、思った通りに、理想通りにつくりかえてしまいたい、ともっとも最初の願いはいつしか矛先を違えてしまっている状態に相当していきます。
行動していく基準自体が、ここの沿ってしまうのは避けて欲しいのです。

人々のイメージはつまりは幻想である、と。
この認識は形成されてしまったループを断ち切る意識となってくれます。

誰かに合わせてあなた自身をつくり変えようとしてきてしまったことがループの始まりだとこの認識は教えてくれるからです。
いわば自己信頼そのものの修復作業に等しい自覚を得ることの意義と言えましょう。

人に合わせていくたびに、あなた自身の本心はどうしても隠されていく。
つまり本質的なあなたの人間性が誰にも見えなくなっていくのです。
だからあなたに対するリスペクトもまたわからなくなっていくというだけ。

誰も、人が人を思うようには規制は出来ないものです。
それぞれに「個性」とある以上は、あまりにも自然の摂理でもあります。
きっと変わっていくはず、という期待に、力を与えてしまうこと。
それこそが幻想の根源的なループとなる要因だと人生は教えてくれるのです。

強く期待するほどに、自分自身が矮小化していく感覚もまた強くなっていく。
真実から遠ざかっていたのは人々ではなく、自分自身のもっとも最初に抱いた小さな願いを、執着へと矛先を切ってしまったこと。
当然、彼らにあなたの心は見えない。
同時に、あなたも彼らの真実の姿を見ていない。
いわば個性に対して、掛け違えた景色をお互いに見つめているようなループだということ。
個性があるのが人間ならば、あなたにも、人々にも多様に存在している認識。

ある種の冷徹さをもって、感情的にではなく、純然と人々を洞察し、認識していく。
人生の課題の一旦はここにもあるわけです。

人々の真実を、個性を、実際の姿、生き方を知っていくほどに、彼らもあなたを同じように理解していくことが出来ていく相関関係が生まれていきます。

そうしてあなたは大いにリスペクトを身に受けた人生へと回帰していく。
深い自己認識と、自信を養い、当初の願いでもあった、共感を得ていけるようになるのです。

誰かを思いのままに、期待通りにけしかけていくのは、誰よりも自らの人生に多大な犠牲を強いていく方程式が成り立ちます。

自分の行動が純粋さから遠く離れて、どのようにすれば期待通りに導けるのか、とベクトルを向くことで、余計な仕事まで背負うこともあり、またその誰かの気分を害することを強く避けるようにもなってしまう。
つまり行動の基準が自分主体ではない、ということでもあります。
このループはあなたをきっと傷つけてしまいますから、その芽が生まれかけたその時に摘んでしまった方がずっと良いのです。

そのための洞察力の鋭さをあなたはそなえて生まれてきているのであり、人々の深い問題も、いったい何が必要であり、修正すべきなのかまでも感じ取っていくことが出来るのですから。
知ってみれば、あなたがするべきは、介入ではなく、ただ示唆するだけ。
伝えるだけ、教えていくだけ。
あなたが代わりに請け負う問題では決してありはしないのです。

人々はあなたの示唆から勇気を得ていけます。
そうしてそれぞれの能力に見合った方法で、人生に対峙していくでしょう。
あなたはこれほどの影響力がある存在であることを、時に忘れて生きてしまうこともあります。
そしてこうした方法こそが、最上の共感を得られることも本当はずっと熟知していたはずなのです。
記憶の底から掬い上げるようにして、思い出してあげれば良い。

リスペクトを、愛情を、包まれるような優しさを、望んでいた心は、ようやく希望のままにこのすべてを獲得することが出来ていく。

あなたが見出し、示唆するのは、人々に対するあなたからの愛情に他ならないのです。
個々人の資質によって、それぞれの人生に起き得る問題をクリアしていくことになる。
つまりあなたが、彼らの成長を促しているわけです。

過大な期待を抱き、心を苦しめていくよりも、ずっと広やかな心で、人生を見つめて、人々の人間性を尊重しながら、理想を体現していくこと。
実際には、目指していた理想は同じだとこの時、気が付くでしょう。
愛情を得たいと願っていた心は、ただベクトルの違いによって、苦悩に陥るのか、純粋に人々の感謝をプラスして獲得していくのか、とアプローチが異なるだけであって、根本の心は同じものなのです。

才能のベクトルの違いとは、たとえ最初はわずかであっても、これほども異なっていってしまうものです。
期待に沿うように、沿わせるように、としていくよりも遥かに有効で実際的な方法といえるでしょう。
まるで次元の異なる導き方なのです。

そしてあなたにはこうした純粋な形として導いていける類まれなる才能やスキルが元々「ある」というだけ。

人々を人生に立ち返らせる偉大なパワーであり、あなた自身の人生をも幸福へと誘うスキルなのです。
これこそが、あなたに相応しい人間関係の構築の在り方と言えましょう。

豊かさを人々に示し、あなた自身も豊かさを享受していく人生。
絶対的な安心感は心を包み込んでくれます。

始まりは認識であり、自覚です。
ゆえに、安心感とは自信と近しい感覚であることも知るのです。

人間の根源的な才能を見出し、示唆出来る稀有な能力。
この能力がいったい何に該当するかといえば、人々の先頭に立ち、導く者。
先導者であり、先駆者と呼べるほどに尊い人物でしょう。

あなたの真正の在り方とは、このように尊いものです。
人々を導くことを、人生の貢献を為していくように、と。

崇高な先導者の魂があなたの神髄です。
それがあなたの根底に流れる才能だと、わずかにでも自覚が必要です。

人格を磨き、形成して、独自の方法で個性豊かに人生を生き切るように、と人間は願望を抱きます。
そこにあなたは介在して、個性を輝かせる示唆を与え得る存在だということ。
人々の姿を通して、あなた自身の真の個性に発揮されていくループが新たに生まれていきます。
純粋なる人生の円環であり、このパターンを作り上げていくべきが、人生の課題の底流でもあるわけです。

あなたの個性はとても強く、揺るがない。
誰の影響も被ることのない圧倒的な人格が本懐なのです。

未来を思い、向かう力を与えていくようにと、人々を導きながら、あなたはその彼らから同じだけの支えを、愛情を与えられて人生を進めていく。

これが現世でのあなたの純然たる姿なのです。

こうした先駆者たるパワーを身に宿している由来は、過去生に見出すことが出来ます。

厖大な見識と深遠な知識を得る学究の徒であり、哲学者として生きた人生。
知識階級に生きられる人間とは、実質的には社会階層の最上級に位置していたことを意味しています。
彼らはあなたを見上げる以外に触れようもなかった存在だったのでしょう。
地上に国々が明確な区分として発展していくその遥か以前から、あなたは絶対的君主として生きた人生がある。
まさに象牙の塔の住人のように、人々の上に君臨してきた歴史が刻まれてきています。

繰り返してきた頂上に生きた人生とは、ある種の生き方のパターンとして刻まれています。
いわば社会階層の上層階に生きる住人であり続けたゆえのカルマと言えましょう。

たとえば、権威主義とひとことで括ってみてもそう遠くはないはずです。
心を安定させるためには、必要なものが絶対的にある、という感覚。

リスペクトなど敢えて望むまでもなく、至極当然のように、ただただ人々から降り注がれていた生き方の先に現世があるならば、記憶はしかし強く過去に引っ張られもするのでしょう。
あなた自身が人生に抱く理想とは何かと問うてみれば、きっと過去の記憶の影響もやはり色濃く残っているはずです。

人々はあなたの意図のままに生きてしかるべきである。
これは過去生では当たり前にあった環境でした。
望む前にすでに獲得していた社会階層であり、人々はあなたを支える多勢であり続けてきた。
しかしこれは時代背景を鑑みれば、それほどの過酷さは人々にまるでなかったと知っておくべきでしょう。
やはり相互にあってこそ、存在が生きていたからです。
あなたには人々の存在や称賛は当然のものであった。
と同時に、その時の人々のとってはあなたの権力も社会的な影響力も当然のものとして恩恵を受けていたとみるべきでしょう。

しかし「今」あなたはこの人生を生きている、その意図をよく考察してみるならば、それら過去生では決して獲得できなかった人生での学びを得るためだということにもなります。
それゆえに、現世では、過去生と同じように、さも当然のように人々が期待通りの水準まで達せずに、幻想の域を出ないのも、あなた自身が、さらにいえば、魂が定めて生まれてきた人生だから、です。

思った通りの反応を得られずに不安感を抱くのは、過去生の記憶の残滓です。
人間関係における茫漠とした不安感の正体とは、常に過去に起因しているゆえに、いったいどこを修正すべきなのかといくら探してみても、実態のない感情とは記憶の中にしか存在していないために、修正箇所などきっと見つかりはしないというだけです。

すべての物事や事象に対して万全の態勢で対応していこうという感覚は、つまり現世の自信とはなり得ないとこれら過去生の記憶は物語ってくれています。
確かな願いでありながら、しかしそれらは探しても根本的な原因が見つからない。
なぜならば過去生の記憶とは、そもそも認知出来る領域にはないからです。

本心をオープンにしていかない理由もまた、社会性に紐づけられていると言えるのでしょう。
最小限度に影響を留めておくために、と本能的な防衛反応からもたらされる行動原理なのですから。

心の基礎部分、つまりコントロール不能な部分を深く知っていくことは、この人生での大きな意義となってくれます。

その時々に求められ、必要だと判断できるイメージに、あなた自身を沿わせていくのではなく、不安定そのものとみなしてきた心自体をさらけ出して生きていくことの重要性がここにあります。
社会階層の頂点に留まるのは、並外れた快楽ではありません。
むしろ、その地位に相応しいようにと、本心を永く閉じ込めて生きざるを得なかった犠牲にこそ視点を向けてみるべきでしょう。
長く、あまりに長く心を封印してきたこと。
拘束してきた鎖を引きちぎるべき人生を生きていこうと、そうして現世があるのです。

自由に解き放ち、純粋に言葉を、行動をハートが求めるままに生きていくことが、浮遊する心は自由さという安定を得ていけるのです。

人々をコントロールすべきではない人生である、ということ。
自らの心中を理解してあげることが、この人生のテーマのひとつであるのは明白なのですから。

過去生で培ってきた強固な意志と節制、自制の力を、この人生では感情の自由な発露をプラスしていくこと。
つまり相矛盾するようなエネルギー領域を、あなたなら融合させられます。

行動していく勇敢さ、が要ります。
状況が固まったから動くのではなく、そのずっと前に、まだ万全さとは程遠い時期でさえ、行動をスタートしてしまう果敢さを。

情報や状況を待ち続けても終わりはないのが、この現世でしょう。
ならば、踏み出してしまった方が、ずっと効率的なのです。
未知なる領域への一歩を学ぶこと。
それは相手を知る前に、自らの心をさらけだしてしまう果断さともいえましょう。

過去の人生にはなかった学びであり、成長となります。
自らの内に潜む権威を、あなた自身が認識して、肯定していくのです。

純粋なあなたのハートは、純粋な人間関係をつくりあげる力となります。
偽りのイメージに生きるのではなく、そのままのあなたを人々は愛します。
強固な絆を人々と築き上げるには、あなたの仮面ではなく、純粋な心のままの感情こそが大きな意味を持ちます。

状況を俯瞰してみれば受容する心へと転じていくでしょう。
それは人間として円熟味を増していく成長の意義であり、この人生での学びは常に深まっていくのもまたあなたの運命であるということ。

つまりたった一人の人生として生きてはいないのです。
人々の願いをも含みながら進んでいくとても大きな命が、あなたです。
すべての基準を広く、大きく捉えてみて下さい。

自らにフォーカスするよりも、人々へと移していくほどに人生は輝きを見せてくれるでしょう。
幾多もの人生を経て今この人生に辿り着いているあなたの魂の歴史は、比する者も見当たらないほどに長く、広大な軌跡を描いてきました。
すでに磨かれているあなたは、現世で一切の鎖を断ち切り、魂の器でもある「人間」として生きる自由を生きていくのです。
執着とは、古く機能を終えた思考形態でもあるとあなたはずっと以前の人生ですでに理解に至っています。
より高次の存在へと飛翔していくステージが、現世なのです。

旧態依然とした因習に支配された一族に生まれ人生を送った過去の記憶。
それは華族とも呼ばれます。
脈々と受け継がれてきた伝統を重んじた歴史ともいえましょう。
一族の歴史を、人々への責任をその身に背負い続けたこの人生の記憶は強い。
現世での執着の要因でもあるはずです。

社会通念、宗教的信条、また家庭内の規律、すべてに通底するルールには普遍的な価値があると錯覚させる強力な磁場があります。
しかしあなたはそれら一切を無効化するほどに強い人格を有している。
そして錯覚こそが、拘束の根本であることも知ってきている。
歴史を引き継ぐことほど重い責務はありません。
つまりあなたほど、この重さを熟知している人もまたいない。
だからこそ現世に命を持っているのです。

自分の信条は、自分のものであるべきだ、と。
人がつくりあげた信条は、自らの人生に適用して従うべきルールではないと、すでに過去生の学びから得てきています。
コミュニティ、また多勢、少数を問わずに「人」がつくったルールは、あなたにとっては拘束を意味するのは、誰よりも深く足枷になることを知っているからです。
そして何かひとつの信条、またルールに忠実に生きるべき人生ではありません。
求められているのは、それらからの脱却であり、肉体の解放、精神の奔放さの容認。
ゆえに執着する心は、解き放たれてしかるべきが現世なのです。

深い追及を許されている人生であり、喜びそのものを実感することもまた許されている命です。
磨かれた魂ゆえの権利であり、運命から許されている以上は、行動を規制するあらゆる要因はこの人生では無価値ですらあると認識していくことです。

あなたの飽くなき情熱はいったい何を意味するのでしょう。
疑問を抱く心は、追及する果てに生じる感覚であり、答えを常に求めてもいるその意義は何か。

つまりその答えの先に、より豊かなコミュニティを構築できるとあなたは生まれながらに心で熟知しているというだけ。
慈愛が生来備わっているのは当然でしょう。

魂の浄化プロセスにおけるもっとも高位の学びが現世の意味だといっても良いほどです。
社会の枠組みに、あなたはまさに自らの意志で「降りてきた」人物です。

上位者としての人生を経て、今があるのですから。
華族とは民衆の中の一人ではないのです。
しかしその過去生で培った責任の重さは、いわばエゴともなり得るものです。
ある種の主義とさえいえます。

けれどもより魂の浄化を促すために、この現世では社会へと「降りてきた」わけです。
深い洞察の繰り返しの果てに、自らの信条に照らして、社会での道徳観念と精神性を融合されていく人生。
このようにも形容できます。

エゴとは、ひとりの意志として捉えられるものでしょうか。
利己愛と呼ばれもするでしょう。
けれどあなたのエゴは、ただ一人の意志を超越している。
だから誰よりも強く、時に自らを翻弄してしまうほどに昂りもするのです。

社会全体をひとつ上へと導き高める人格。
これがあなたのエゴの意義です。
それゆえに、あなたの人生は、あなた一人のものではない。

自分という個人のための行動ではなく、人類そのものをひとつの個として捉え、行動基準を変容させて、その視点へと整えていくために生まれてきているのです。
個人を超えて、コミュニティの枠さえ超えて、人類という大きな枠であらゆる事象を捉え直すよう、人々に教え諭せる高尚なる魂が神髄です。

あなたの慈愛は、人類愛とも呼べる神聖な領域に達している。
これほどに広大な使命であり、常に忘れずに行動の基準として下さい。

愛とは何か。
あなたはこの定義を明確に規定しているでしょう。

であれば、その定義すらも執着だという逆説が導きだされます。
あるひとつの定義は、心が奔放に生きることへの拘束を生み出してしまうからです。

占領と羨望。
いわば過去の人生についてまわっていた生き方を突き詰めるならこれらの語彙に還元されます。
現状の維持こそ過去生の至上命題であったのでしょう。
それは過去生の学びでもありました。
しかし現世からすれば、すでに過ぎ去った学びでもある。

人間は成長曲線を描いて生きるものです。
過去生に照らしてみるなら、時には人々の成長がリスクになる場合も往々にしてあったはずです。
成長の意味するところは、現状を打ち壊す可能性でもあり、当然、あなたの立場からすれば看破してはならないシーンも多々生じていたのは仕方がないのです。

現世では、個人的レベルのみにフォーカスすれば、常に内面へと矛先が向いていき、大きすぎる力を滞留されることにもなってしまう。
そして最上なレベルまで磨かれているあなたの魂を鑑みれば、自然と心から始まり、内面の状態はすでに磨かれてきている。
自らに、つまりは個人という枠だけを鑑みるたびに苦しみがもたらされるのは、より広大なる学びを得ていくべき指針を明示しているに等しいのです。
意識の幅を大きく拓いていくように解き放ってこその崇高な心です。

未来に価値をもたらすには、過去生と違う基準として生きることです。
いわば人々に自由を与えてみること。
自由をもたらす求道者が、この人生でのあなたの役割といっても言い過ぎではないでしょう。

愛情ですら、自分の傍にい続けて欲しいと願えば、執着に発展するリスクを孕んでしまう。
自由を奪っていることを意味するものです。

与えてくれるものと同じものを与えていく。
愛情を感じるなら、愛情を返していく、とこの思考パターンが基準であれば、生来の慈愛の性質ではなくなっていると状況は教えてくれるでしょう。
あなたは自由を与えられる人であり、しかし役割から逆行して奪うならば、去ることで気づきを促すように、と。

あなたは誰からの承認も必要としない領域に達していることを思い出すことです。
常に純然たる愛情以外には不要だという学びが、今なのですから。

個としての利益を考慮するよりも、期待さえ手放して、純粋に愛を注ぐ。
自由を与えるのはこれほどに崇高な領域の行為となります。


権威を、称賛を欲しいままに得てきた人生はすでに何度も経験している魂です。
誠実さを試し、期待し、忠誠を誓う人々の姿が明確に刻まれている。
こうした過去生の記憶をトレースしないためにこそ、課題が存在しているのでしょう。
常に上位者であり。支配者であり続けた歴史を永く辿ってきているのです。

すべての人間が等しく、運命が求める道を歩むべきだと認識を新たにしようと願い生まれた高尚な人があなたです。
忠誠を誓うべきは、あなた自身であるように、と。
もはや何者にも渡さず、人生を窮屈に生きてはならない、と。

特定の場所、ポジション、また人間関係の在り方に、固執するたびに人生は転換を訴えるのは、大きな自由を遊ぶように生きて欲しいという運命の働きかけと言えましょう。

協調とは平等性と一体のものです。
この人生に限ってみても、経験とは等しく学びであり、視点は常に先へと据えて置くのです。
つまり過去に執着しない意義であり、この人生での命題は常に解放であって下さい。

愛情もまた過去の人生では、掌握していたようなものです。
純粋な愛よりも、当然のように受け取るべき感覚であったということ。
人々はあなたに無条件に愛を捧げざるを得なかったのは、高位に君臨している人物であったからでしょう。
いわば役割に対しての愛であったということ。
ゆえに掌握していたに等しい記憶として刻まれてもいるはずなのです。
だからこそ、この人生においては純粋無垢な愛情を求めているのでしょうから。

過去生と同様の方法では、執着を生み出してしまうために獲得できないものまた道理なのです。
欲望ではなく、あるがままのあなた自身の愛情をただ与えていくだけ。
見返りではない純然さを与えてこそ、あなたに返ってくるという新しい学習の過程にあるのです。
もはや過去の人生ではないのですから、コントロールしない方がずっとうまく機能してくれるのです。
それは自由であり、解放的な感覚だからです。

社会に、つまり民衆に対する圧倒的な権威を有していたあなたを、彼らは「愛さなければならなかった」という、不文律に成り立っていた過去生の在り方があり、しかしあなたは真実を本心では理解してもいました。
あるがままの「自分」ではなくそこに立つアイコンとしての「自分」への愛情に過ぎない、とう真実を。

何にも頼らない、ただひとりの人間としての自然体の愛情を、だから今、あなたは求める。
完璧な純粋さに満ちた愛情を獲得するためには、解放だけが唯一必要なすべてだとも本心では知っていたはずなのです。
まるで人々が自分の思惑から逸脱しても尚、それが彼らの自由を容認する意義であることも同じく。

許容していくだけで良く、人生は秩序を手に入れていくことでしょう。
人生の調和を獲得したあなたは、とても自由で美しく、人間として最良ともいえる運命に導かれるべき人間があなたなのです。

求めぬことを現世の愛の形とする。
この真理を生来知っていたわけですから、ただ思い出して実践すれば良いのです。
です。
あなた自身であり続けることが、純粋で無償の愛情を得る存在であり続けることである、と言い換えても良いでしょう。

感覚的に新しさ、いわば慣れていない一切をただ受容していくことです。
そこに活力と自分への信頼の兆しがあります。
変化をどこまでも受け入れる心の大きさがあなたにはあります。
価値観を得るたびに、古い価値観はスペースを空けてくれます。
踏み込む勇気が人生を驚異的に変えていくのであり、一度得た勇気は、二度目には実に軽々と感じるでしょう。

見知らぬ環境、見知らぬ人々、馴染みのない状況にあなたは時間を要するでしょう。
それが良いのです。
徐々に刷新していくことが学びの本懐です。

徹底的にひとつだけの物事を極めようとするときに、ふっと視点を外して周囲を見渡してみて下さい。
調和は取れているかどうか、サインは表れていないかどうか、と。
徹底性という、過去生のパターンを少しずつ俯瞰していく方法です。
いわば旧来の価値観の打開でありスペースの確保でもあるのです。

ひとつに集中して極めてこそ、と人は言うでしょうか。
それはあなた以外の誰かにとっての金言ではあるでしょう。
そもそも極めてきた命の刻みがあり、凄まじいエネルギーを持ちこんでいるのですから、分散したところで、そのほとんどにおいて達成していける人生を生きていると知るべきです。

凄まじい力で、ひとつの器に注力すればやがて溢れて壊れていく。
自分のパワーを認識しておいて下さい。
適切な分量で、それぞれを俯瞰して分散させた方が理に適っています。

目標を描くなら、いつでも多くの人々を巻き込むくらいに大きな枠であった方が良いのです。
人生は安定するでしょう。
経済的な豊かさも得ていけるでしょう。
そして過去生とは違った形で、名誉も手にする秘訣です。

個人的な願いよりも、全体性を願ってこそ、磨かれた魂の真性は発揮されます。
意識を外へ導く真意でもあります。

多くの人々が欲しても適わない偉大な才能なのです。
個人の枠の喜びではなく、大きな枠でこそ感謝され賞賛される。
これがあなたなのです。

革新的なアイディアが浮かぶのは優れた創造性ゆえです。
特殊な発想であるために、その場にはそぐわないこともあります。
個人の枠のみでするなら、理解されない、反発される、と怯えをもたらします。
なぜなら自分の思考が最上位に置かれてしまうことで、それ以外の可能性を見落としてしまうリスクを潜在的には関知している状態でもあるからです。
しかし人々の状態を観察し注視するなら、全体にとって最大限の有益な指針となるはずだ、と活力をもたらすのです。

表現されない感性は、やがて神経にダメージを及ぼしてしまいます。
強く憤り人生は窮屈に拘束されたように感じるということです。
常に解放こそがテーマにあることを自分に対して囁きかけてみて下さい。
きっと楽に生きていけます。

時間に囚われないことも大切です。
期限とは、そこまでに達するべきタスクを設けるルールに他なりません。
これは過去生の基準を持ち込んでいるために、パラドクスを生み出します。
厳格に設けるほどに、時間は浪費されていくという事態に陥るからです。
本来ならば価値を与えてくれるもの、人、何か、を人生から排除する要因にもなりかねません。
無価値なら不要である、と厳格なタスクから排除されていくわけです。
しかし無価値と断定したものは、新しい価値に溢れていることが多いのです。
時間は学びを捨てさせてしまうルールに成り果てる可能性があるために、あなたはやはり何にも縛られることなく、手放していた方が良いのです。

未来を切り開く力をもたらす者である、あなたのオリジナリティ溢れるアイディアは、社会へ還元するべき重要な指針となります。
親しんだ独自の方法もまた解放してみれば、柔軟にプランの変更に対応していけるでしょう。

優れたアイディアは受け入れられ難いくらいが丁度良いのです。
人々との交流の中でひとつの形を為していき、結果として誰もが納得できるように収まります。

運命はあなたの人生に、究極の対極性を求めているともいえます。
人々の心に奉仕する道を選び成長を喜ぶ人生か。
敢えて奉仕を放棄する道を選ぶことで、困難な生き方を見せて人々に学びを促す人生か。
いずれにせよ、人々に気付きを与え導く運命ならば、あなた自身の成長と幸福を共に享受する道を選択すべきかと進言致します。

人々を支え、あなたは学び成長していく。
新しい価値観をもたらしながら人生に彩りを加えて生きていくのです。

肉体的また精神的な不調は、道を違えていることを運命が伝えて来ている時に訪れます。

深遠な洞察力は、あなた自身の内から放たれるものでもあり、また天から直接教えられている二重の恩恵でもあるのです。

導いた人々から賛美や報酬を受けることは余り期待できません。
なぜなら、あなたの支えと導きをいつでも見守り評価してくれるのは、人々ではなく運命そのものがもたらす人生における恵みに他ならないからです。
だからこそ、手放してこそ与えられる意味を知る必要があったのです。
運命がもたらす恵みは、圧倒的な充足感として人生に還元されていきます。

人々の成長は、あなた自身の成長と同一のものです。
つまりあなたの適性は、人の心にあるということ。
精神と深く向かい合う仕事は悉くが天職だと捉えて間違いありません。

寄り添う心を持って、ただ人々の心を照らす光足ること。
人々の人生の変化は、あなた自身の人生の変化でもあるのです。

人々の心に沿い、向き合い人生を導く度に、あなたの才能は強化されて、より高次元の情報を受け取る器を備えていくでしょう。
あなたの現世で、とても大切な任務を背負っている。
繊細さは、寄り添うために発揮してこそ最大の効力を放ちます。
これは人生を通した学びなのです。

あなたはいずれ生命連鎖の真の意図に気が付くでしょう。
個々が独立し合いながら、全体の調和の一部でもある真理を悟るのです。
相互関係であり、真実の平等の感覚をあなたは人生を賭けて育んでいるということ。

すべての命の価値を認め、尊重するあなたの心に芽生える感情こそが、感謝する意義そのものです。

命の価値を忘れず生きていく限り、あなたは自由へ真っ直ぐに進んでいると確信して下さい。
それはあなたが獲得する人生の幸福なのです。