しかしそれは同時に、この世界自体がデザインされた箱庭でもあると。
つまり自然進化による人間の造形ではなく、何者かによって作られた。
緻密にデザインされた肉体ということができる。
この世界とはなにか。
奥野陽介が遊んでいくための箱庭なのだと。
でそれに触れてしまった奥野はどう扱われるのか。
統合失調症やナマポというポジションを与えるのがいいのか。
なるほど確かにそれは、奥野という人間を保護する結果になるし、
うまく懐柔できて、アノマリー化を制御できる流れにもなるだろう。
しかし肝心なのは、別に世界は、ただこう、こう在る。
というだけで、奥野に変わってほしくも、
世界に従ってもらったり、欲望だけに従ってほしくもないということ。
つまり奥野が、まずこうなりたいという幻想を抱いてもらって。
そのように世界を作り変えていくという、それに対応した世界を。
つまりスライムみたいな世界になっていって、奥野が提示した、
世界とは、善悪とはこう在るべきという形に対応して、
それに即した環境を、与えていくというのが、当面の世界である。
で、この世界はとりあえずもう奥野がアセンションしたことによって、
少し状況が変わってきており。この世界が、
奥野陽介というアノマリーに対して、対応するように、
この世界が奥野自体の鏡像かのように形を即、変えてくる。
つまりまあ漏れなつ。でいうとこの七伏状態であると。
基本的に世界のあり方は固定された人間たちを相手してると見せかけて、
七伏と奥野がいつもペアで相対していると思ってもいい。
で奥野というのはやはり、もともとの設計が人間は神の分身なので、
要は神の分け御霊であるから、人間はそれ自体が神なのだと。
なのでいかようにも変身することができる。特性を変えれると、
そのように定義していけば、そのようになるし、世界も対応する。
それが人間という不思議な生物なのだと。
この世界は99.9%、シミュレーションであるというのだが、
まあそれも、たしかにそうかも知れないし、
より上位の生命体が作製した奥野が遊んでるための箱庭かもしれない。
人間というのは不思議な生き物であってそれは、イコール神なのだし、
動物としての肉欲や暴力性と、聖霊の部分が肉体に宿った姿である、
獣性と神性があり、普通はそのどちらかなのだが、
それをうまく、統合していく、
そして、どちらもを引き出しさえもする。
それがいわゆるこの人間という肉体における最大性能なのだと、
このように定義していけば、
とりあえずはこの世界もそのように対応する。
人生はいかようにもできて、すべての責任は自分にあること。
つまり人生の責任とは、いかようにも創造でき、
そこをまた刷新するように、変えていけも行けるということ。
これが他責思考になると、とたんにうまくいかなくなる。
人間は本当に不思議だし、この世界もシミュレーションなのだから、
何をそんなにくよくよ悩んでいるものかと、
無いものなのだから、それを本当に楽しんで生きるようにと。
それが、もともと無いものの世界という投影システムの本懐なのだと。
わかっていくのがいい。
天照・他神々グループより