じゃなくて、わしが許す許さないは関係ないの。
アンタがしたことがアンタに返ってくるだけやから。
わしが許さなかったらわしからチョクにアンタに返ってくるだけで、
わしが許したら、また別のところからアンタにカルマが回ってくるわけで。
だからわしは、許していく姿勢だけど、
わしに許されたからといって、それがプラマイちゃらかどうかとは関係ないわけよ。
地球のシステム的にカルマが精算されるまで続くから。
それはすぐ返ってくるかも知れないし、数年後、数十年後、
また次の転生の時まで、持ち越されるかも知れない。
悪魔と契約してたり、神と契約してたりでも、カルマの返ってくる時期って違う。
悪魔と契約してるなら、その時期だけは悪魔が守ってくれるけど、
いずれ破滅が見えてるから。
神と契約してるなら、最初から飛ばして一躍有名にはならないけど。
むしろ神との契約は試練ばっか与えられて。何度も心を折られて。
でも神も、そのうちこちらの愛を感じられて、
今までいじめて悪かったなwと言ってくれて、恩寵をくれたりする。
ようするにその人の決められた人生の流れの中で、
いつどこにその人がやっちまったカルマをねじ込めるか、
それが人知じゃわからんので、神に任せているしか無い。
善人は泣き寝入り、が、いつまでもそうであれば、
世界はもっと違うかたちで、国家の治安の状態もゲキ悪かったかも知れない。
道徳や倫理が機能しているのは、たんに綺麗事だけではなく。
カルマシステムが、自分たちに返ってきてしまうのを肌身で感じているから。
なので良いことをしていれば、良いことをされるし。
それが数日後なのか数年後なのか、数十年後なのか、
神と契約してるか・悪魔と契約してるかによっても、
ねじ込めるカルマ発動時期って各々に違う。
なので一つ言えることは、
俺が受けた苦しみは、個人からのものじゃなくても、
うっすらと集団からの圧だとしても、自分が過去に与えた人々への圧であり。
それをまた、集団から圧を感じて苦しむときに、消化できるのであり。
また次は繰り返さないように努力しようとする心、
それは自分の身の安全のためでもあるし、霊性進化のためでもある。
そのカルマを繰り返していって、みんながおとなしくなっていった場合、
それが地球という惑星が、楽園になれるのだろうという。
まあそれでは支配者が困ると思うし。
民衆がお互い喰らいあってくれてるから、ウエは権力を維持できるんだしな。
まあそこはまた違う話になってきちゃうので、
カルマがすぐ帰らないからって、いじめっ子優遇理論には走らないで欲しい。
あんたの見てないところで、アイツらは悲しむことになるから。
それが数年後または数十年後かもしれないし。
神に任せてアンタは正しく生きなさい。