2016年6月18日土曜日

哲学 - 支配者層の人々ほど癒しを必要としている人間は存在しない。





すべては波だ!っていうのは量子論としても成り立つし、
人生のあり方としてもなんでも成り立つ。すごい。

量子力学ってのは究極的には人間の在り方なんだから。

しかし僕の観察によれば、すべてのコペンハーゲン解釈は予期されるものである!
結末はすべて決まっているからだ。だから僕の場合は在り方を「選べば」いい。
その選択がいろんな物事を動かし、僕が動く必要があるのはほんの少しでよくなる。

だからよく信念体系を変えろというけど、究極的には違う在り方を選ぶだけでいい。
人間には選択する義務があるが、それしか存在しないのだ。
このことは”神との対話”を読んでもらうとわかるけど、
あれはマトモな哲学をした人の本なんだろうなと見ている。
哲学をすれば、少なくとも僕は全ては神だと見出したし、
世界が幻想だということも見出した。信念体系を変えるには、まず哲学をすればいい。
どう、変えたらいいのかわからない場合には。



”神との対話”は一番簡単な語彙を使って説明されているけど、
ほんとうにわかっている人はああいう説明ができなくてはいけない。
難しい語彙を使って説明すると自分でも底の底まではわかっていない場合があるからだ。

僕が思想を広めるとしたらプラウト主義をすすめたい。
プラウト主義で充分上手くいったら、プラウト主義経済から離れて貨幣経済を終わらせたい。
貨幣経済が終わるということは、いまの仕事はそのままに誰にも貧富の差が起こりえないし、
何かのために奴隷になる必要もなくなる。
すべては理由なく生産され、際限なく消費され、それから再利用される。
長期的にそういう世の中になっていってほしい。


佐川急便がアマゾンから撤退したらしいけど、物流系をロボット化しようという動きがある。
料理用ロボットも開発されている。楽園主義になるにはまだまだ遠いが、
全てをロボットが管理する世の中というものが近いのではないか。


なぜ私達がロボットを怖いものとして恐怖するよう操作を受けているかというと、
人治国家のほうが支配層としては好き放題できるからなのだ。
完全にAIが管理するようになれば不正したくてもできないだろう。
不正は即座に発覚し、全世界に一瞬で知れ渡る。「奴ら」はそれが怖いのだ。

ほんとうに地球環境の危うさを全国民が知ったら、明日から仕事どころではなくなるだろうな!
治安維持を理由にすることもあるが、反乱を防ぐためにああやって誘導しているのだ。
困ったことに99%の大衆というものはすでにロボット化している。
自分の未来を誰かに押し付けることを選び続ける。

これがもし自分の主張がない人々だけ葬り去られるのならべつにどうってことないのだが、
一番困るのは残りの1%の自分の主張をしっかり持っている
目覚めた人々も巻き添えを食らうということだ。
運命共同体というものがいかに腹のたつものだというのがわかってもらえるだろうか。


すべての人々は理由なく生まれ理由なく死に理由なく転生するものである。
だからこそ「この世は幻想である」と考えるに至る人々がいるということだ。
みな神の分身なので誰も誰かを裁けないから、好き放題できる。
好き放題するには大衆に嘘を教えて洗脳させておかないと不都合だ。
この「すべては神の分身」というのは自分で哲学をしないとわかることができない。
自分は自分で救うしかない。

何かをしたからといって罰せられることはない。
ただ、立場の違いで不都合な時と好都合な時があるだけだ。
殺されるのは僕だって恐怖だが、体験したことがないものは誰にだって怖い。


自分が肉体だけの存在ではないことを知ったなら、死ぬことへの恐れはいくぶん軽減される。
殺す・殺されるは無意味なことだ。これは、いずれわかるときが来る。



さて、この宇宙には「量子もつれ」というシステムが存在する。
それの応用で「百匹目の猿現象」というものも存在する。
あることを僕が思いついたときには、
同時にほかの不特定多数の脳内にも考えが伝播しているという現象だ。
これを僕のように書き留める人と、無視してしまう人に大別される。





結局支配層は何を一番恐れているかというと、
支配できなくなることそのものよりも好き放題できなくなるということに対して
アナフィラキシーを起こすほどだということに尽きる。

支配層はそれだけ癒しを必要としているのだ。
ただ流れに溶け込んで批判するのもいいが、
ぜひその境地まで自分を高めていってほしいものである。