すべては愛で片付けることができる。愛だけが一番強力な影響を及ぼしうる。
誰かにひどいことをするというのは、それだけ癒しを必要としている証拠になる。
実現可能な形で合意を得られるようなのが一番いい。
支配するというのは抑圧するということだ。抑圧するということは抑圧されてきたということだ。
支配者層は我慢をしない。彼らはエネルギー循環の効率に優れている。
負のスパイラルに落ちていきながらその報いを受けないというのは、そういうことだ。
「ありのままで」ということは、我慢をしないということだ。
我慢をしないということは、自分を尊重するということだ。
自分を尊重していれば、病気になんかならない。不幸せにもならない。
支配者層は不幸せそうにしているか??
ここで「支配者層は不幸せそうにしていない」ことと
「支配者層ほど癒しを必要としている人間は居ない」ことは矛盾しているように思える。
しかし、彼らがあまりに我慢をしないので、
行動の結果が生む負のエネルギーを溜め込むことがないから
いくらでもひどいことを好き放題できるのだ。
つまり、善を究極に突き詰める人生と、
悪を究極的に突き詰める人生とで得られるものにはなにも変わりがない。
エネルギーの循環の効率についても同等である。
だからこそ悪が存在していて悪がなくなることはない。
善が存在していて善がなくなることがない。
どちらの道に進んでも誰も誰かを裁けないのだ。なぜ裁くのか?
そのほうが自分の主張を通すのに都合がいいからだ。
しかし多くの人々は同調するように教育され自分を抑圧しているね。
ほんとうにそれでいいのだろうか。不幸せだと嘆くのは正当なことなのだろうか。
自分が引き起こしているものだと知らないのだろうか。
知っていて、誰かになすりつけているだけなのだろうか。