2016年6月5日日曜日

人間が無条件に愛し愛される理由は「曖昧さ」





僕は今川杉作べったりでもないし、ベンジャミン・フルフォードべったりでもないし、
リチャード・コシミズは変なこと言ってると思ってるし、
ちゃんと自分の考えをベースに物事を考えている。
でもみんなハッピーエンドで無条件に進んでいける、そういう理論を構築している!

誰かが犠牲になって世界が救われるとか、
誰かが犠牲になってその人だけ救われるシステムはもう古いと考えている。
そんなことでは無限に繰り返すうちから脱却できないと考えているのだ。
そんなものはヒエラルキー以外の何物でもないからだ。

善の宇宙だから皆それぞれ好き放題できると考えた。
悪の宇宙だから悪が栄えているわけではないと定義した。
善も悪も立場のちがいで無限に分岐すると考えた。
トップダウンからボトムアップへと循環できることも発見した。
そして人間の持つ「曖昧さ」に注目した!



人間が愛すべき生物である一番の理由は、この「曖昧さ」を持つことだと考えている。
動物はこれを持っていない。彼らの思考はある一定の法則性に基づくもので、
つねにTrue/Falseであることを発見した。動物と人間は違う生き物なのだ。

この「曖昧さ」の相互作用により、実現すべきことが実現しない、
またはすぐには実現しない未来が展開されることが予測できた。
そして、実際にそうなっている。誰かが本当に望む未来は、
その人が望んでいる間のみ実現されるのだ。
しかしほかの人に影響するとは「曖昧さ」でわからない。

科学というのは曖昧なものだ。
研究者自身が曖昧な生き物であり、True/Falseだけの研究結果に曖昧さをプラスして
都合のいいように帳尻合わせをしたものが科学だからだ。
ゆえに数学で可能なことは自然界で可能かどうかは保証がない。

それは科学だけではない。
製品の企画、開発、そして法律、商売、裁判、人間が介在するあらゆる場所に存在する。
すべてが揺らいでいて、曖昧なのだ。この曖昧さによって
人は人を無条件に愛し、また無条件に愛される。

曖昧さというのは自由意志を侵害する。曖昧さというものは義務も権利も侵害する。
その乱用が悪の宇宙という結果につながった。地球上の全員がアスペルガーだったら、
地球上はハッキリとTrue/Falseの世界になっていたはずだ。
それでは、皆幸せになることはできるのか?
人間には曖昧さが必要だと考えるので、
今の世界には曖昧さの度が過ぎたものとしてシステムが均衡を取ろうとした結果、
生まれてきたのがアスペルガー。


システム上は善の宇宙で、第一原則として均衡を保つものがある。
だから、善の宇宙を利用した結果が悪の宇宙になっているだけで、
それ自体で均衡が取れているのだ。

悪はどの程度なければならないかということを抜きにして、
悪はなければならないことなのだ!

曖昧さというものは均衡をベースにしている。
幸せになることができるかどうかは均衡とは関係がない。
不幸せなものがいれば幸せなものがいる。それが均衡だ。
しかし極端に幸せなものと極端に不幸なものがいる世界はどうか?
システムとしてはそれで構わないが、そこに人間の持つ「曖昧さ」が介入する。

人間は「この世界は貧富の差が極端すぎるので、
皆平等に幸福になれない」と考えた。システム的にはこれはFalseな考え方である。
何のつながりもないし、それで均衡が取れているからだ。
その曖昧さは涼宮ハルヒの能力と同等のものである。
人間はこの極端な差を狭めようと試みている。

共産主義は上手く行かなかったが、そのものはシステムとして常にTrueである。
ここにも人間の曖昧さが介入し、システム上は問題がないのに
「このままでは幸福になれない」というFalseを独自に生み出した。
True/Falseの間で周波数を生み出す、
それが人間の心であり、肉体はそのための乗り物である。

人間が有効な期間は脳波が0Hzになるまでである。
解脱や涅槃はその0Hzという状態を目指した。
カルマを生み出さないと考えられたからだ。それはTrueである。
しかし脳波の振幅を保ったままTrueを保ち続けることができるのではないか?

僕はそのために一元論にたどり着いた。
全ての存在を肯定するためには見聞を広げることが重要だ。
多くの人間はTrueの側面か、Falseの側面しか見ていないから苦悩が生まれる。