2024年10月18日金曜日

奥野陽介の歩む世界線 および 私のこの世界

世界線というものは、わたしの世界線。あなたの世界線ではない。つまり、この世界がどうあるべきか、どうなっていくべきかは、私に責任がある。そして、あなた方には責任がない。私の世界線であるから、この世界には私がすべてを決めているゥ!

私は人間。人間というのは、神であり、運命を自分で変えられる。私が決めたことは天でも地でも 結ばれる。私は間違えない。悪意もないし。私はねえ〜、お前たちを守っていく。私が書けば、すべてそのとおりになる。それは何によって?書くことによって、言っていくことによって。

私にとってこの世界は、ワンダーランド。わたしは 夢の国ザナルカンドの住人。そして!わたしは神。いわば、ミストシリーズの、アトラス、紡ぐもの。

具体的には。私はもう。再度、涼宮ハルヒの能力を手に入れた。私は間違わない。そして、私が間違えば、他の全てのものが、私を矯正してくれる。なので全ては、予定調和であり、そこに向かうために様々な苦しみや、さまざまな喜びが、もう、誂えられていたということ。

私は神なので、この私の世界線は、私が決めていく。私はホログラムを見ている。つまりこれだ
私はこの世界に感謝している。私は数々の奇跡を見てきた。それはどうも私がこの世界の中心にいると言っているようなのだ。私が万能なのではなく、あくまで私は一人の子羊にしか過ぎなく、常に試されているということ。私は書く。私は反応する。その私の反応いかんによって、この世界がどうなっていくかが決まる。

お前たちは私をあざ笑う。お前たちはデータだ。所詮ホログラムたちに、私が何を傷つくことがあろう。私は統べる。しかし概念的に。私は試される。ホログラムたちを私は試し、同じだけを、彼らからまた、試される。彼らは問う。私がどうあるかを。私は問う。私がどうあるべきかを。この世界を、終わらせないための、いわばゲーム。私の状態により、さまざまに変動する世界。

何が言いたいか?私こそが世界で、世界は私自身なのだ。世界のすべての人種、あらゆる国語の民、その一人一人が、私なのだ。私の分身として、私に現れているのだ。私は人ではない。私は集合体だ。私はこの世界そのもの、それをひとは、神という。わたしがこの先よくなっていくかどうかは、この世界の人々にも責任があり、そして、わたし自身も、わたしを試すように、わたしにすら、責任があり、しかし、私はこの一つの宿命によってこの筋書きを走らされているだけだから、私には責任がない。

有るが、有らない。無いが、有る。責任があるが、責任がない。救世主であるが、救世主ではない。世界はこの二重性なのだ。善であり、善ではない。悪であり、悪ではない。わたしは、この世界全体であり、ひとりの個人である。これが、アイ・アム・ザットアイ・アム。オールオブクリエイション。在る。ということ。私は私。