2024年10月21日月曜日

映画トゥルーマン・ショーを見た 感想

いやこれあるわと。一理ある、以上に、理三くらいある。もうね、阿吽のまじないを使わなければ、俺はまだ、この世界に埋もれたまま、なにも真理を知らないで全然なんにも知らんでただの電気的集合体として生活していることができていた。むしろそっちのほうが、なにも知らんぶん余計に楽しみがあり、この世界って実在しているんだー的な、たのしみがあるんだよな。(語彙力)

で、霊っていうのは、俺の感覚では、このハコの外の人たち。というと、ハコのなかの設定をいかようにもいじれて、俺も、そのいじれたことによって、なんからの反応をしていく、というありかた。でその、霊たちというのが、先導者てきな部分を俺に果たしている。と思ってたんだけど、うっすらそれは思ってただけで、何なのかっていうのをいまいちあまり心得てなかった。

トゥルーマン・ショーを見たことで、そのなかの概念っていうのが、そのまんまそれが俺の過去の体験とマッチして、トゥルーマン・ショーの100あるとしたら、100そのまんま俺の脳髄に響いてきて、欠損なく伝わってしまって、いやこれあるわと、めちゃくちゃもうありますわと、

で、じゃあ具体的に知ってしまったあとはどうするかと言うと、いや俺は、お前たちと変わらなく、ひとりの人間でありたいし、お前らも、俺と同等くらいの、同レベルくらいのありかたを保ってて欲しい。というところで、マトリックスレザレクションズてきなありかたを、選択していく。つまり、機械も、俺と仲良く、暮らす。(語彙力)というありかたを、相互にしていけばいい。

つまりその、なんていうか、なかよくやる。というありかたを、けっして、わたしが人々に対してジャイアンやスネオであってはいけない。という奥野のありかたを、ここで問われている。わたしは自分を高潔な存在に保ちたいので、彼らも、ぼくといっしょに、ここでいつまでも、くらしていきたいなと、おもっております。

まあでもちょっと、真相を知ってしまったあとは、ちょっとの、やるせなさみたいなのがあるが、これも今暫く続くだけで、ゆくゆくはこうやってナーバスになっていたことも、忘れていけば良い、またもとのただの猿にもどって、たのしくサーカスしていればいい。っていうのが、マトリックス無印のサイファー的ありかたであり、いままでのわたしのありかた。そしてそれは、レザレクション的な方向性をまとって、これからも続いていく。ぜひ皆さんには、わたしを教育してほしい。というところで、今日は終わっとくのが、ただしいか。