神仏と契約するときに、けっして、現世で利を得ようとか最初から思ったり、あるいは虚栄心や射幸心を契約内容に入れてはいけない。あくまで、そのようなすべてのことは天界が決めてくださるんだと、あえて神に全部を投げ出して、神がそれをうまく采配してくれるので、自分は安心して神の器になっていればいいと、つまり神があなたに入る契約をして、自分はそれに支配されて生きるべきだと、そうすれば神がすべてをうまいこと用意してくださるので、という契約をするのである。
これは昔の神道にありがちだったが、まず神道は六根清浄を目指し、それから、その清い体と心を、神に使っていただく、これが、神道の目指すところだったのである。だからまず、神に選ばれるように努力して備えて、神に選ばれたら、その器として、人生をリスタートする。そうじゃないとむしろ始まらないという宗教が神道である。人生が辛かったら、そのように生きればいいのだ。