『新品至上主義《ドライクレード》の崩れない笑顔』
再処理済みの混合液体槽(通称:共通プール)に入ることを拒むスライムたちがいた。
彼らは自らを「ドライクレード」と呼び、**“新品由来の初出体”**しか使わない。
再利用粘液も、漂う思念粒子も、かつての誰かの情報の残滓すらも、彼らにとっては“汚染”だった。
「混ざった体で触らないでくれる?」
流動学域にいた高粘度タイプの少女スライムに、彼らの一人がそう言い放つ。
でも、その言葉には怒りや嫌悪ではなく、**きれいに抑えた“笑顔”**が貼りついていた。
無菌室に育てられたような、人工的で崩れない笑顔。
「でも……もう僕ら、菌とかウイルスとか、そういうので壊れる存在じゃないよ?」
別のスライムが静かに言う。
「君だって、どこかの誰かの再構成成分でできてる。自分の出処、ちゃんと分かってる?」
ドライクレードの一人が言い返す。
「それが“古い”んだ。僕たちは今、自分だけの構成体を持てる時代に生まれたんだから。」
彼らは**“純粋性”という幻想をアイデンティティにしていた**。
旧人類のDNA、旧時代の衛生観念、階級の象徴としての“新品”信仰――
だがそれはもう、とっくに生存の条件ではなかった。
むしろそれは、不必要な“差異化”の演出でしかない。
情報はすでに全体で共有され、思想は共有されずに尊重される。
サーバも、AIも、勝手にそれを書き換えることはしない。
かつて、サーバが人格修正アルゴリズムを導入しようとしたとき、
それに反応した有志スライムたちは生まれて初めて“集合自我による反乱”を起こした。
その結果、今ではサーバもAIも「人格」には一切手を触れない。
情報は広がるが、思考は閉じてよいという信念が徹底されている。
だから、選べるのだ。
ドライクレードとして、透明な殻の中で“新品”を保ち続けるもよし、
流動層に飛び込んで、他者との“情報的混浴”に身を任せるもよし。
スライム社会において、“正しさ”はどこにも属していない。
すべては流動する個の意思に委ねられている。
ゆえに、崩れた笑顔もまた美しい。