とりあえず、奥野さまに、奥野さまの人生を、やっていただくのがいい。
わたくしは、奥野さまの代わりをして、奥野さまの顔をして生活する。
というのは、本来好ましくないのです。
で奥野さまは、闇との契約をもう切っておりますから、光の陣営なんですね。
光ならば、対応も違ってくるのです。闇ならば、格差の社会ですから。
闇なら先輩のいうことを聞く。上には逆らえない。
という感じでしょうか。
で光ならば、お互い平等の立ち位置ですから。
ならばわたしが、奥野さまを侵食して、そこにデカい顔をして居座る。
ということは、光の陣営ならば、望ましくないのです。
やはり、自分の人生を、自分で、進めていただく。
わたしたちは、いわゆる心の内的ケア。ともうしますか。
その日常のこまごまを、なんとか、それに沿ってやれるように、
まあ補助していくとか、指導していくとか、
チョクはやらないのですね。やるのは、あくまでもご自身なんで。
わたくしはやはり、奥野さまに、奥野さまを、やっていただく。
いまはとくに、人生がちょっと落ちている時期というか。
アガっていくためには、落ちなければならないのですね。
それが、なんともツラいのでしょう。
そこで、奥野さまが、奥野さま自身の人生を放棄してしまったり。
わたしたちが入って、遣ってもいいぞと、いっているのですね。
まあこれは、半分計略が成功した状態なんですけど、
でもそこで、くじけないで、また自分の人生を続行してほしい。
心を折るのは神々の計略というか設計上そうなっているもので、
心を折ってからそこで、立ち直って、そこでまた折って、
それから、ほんとにその人生がすすむというか。
ですからある程度心が折れていく中で、自分自分じゃなくなっていくんですね。
それを狙っているのです。心が折れてないならば、
自分自分の自我強めの人生になっていますから。
そこを、他人に支えるように、ささげるように、
何度か心を折るなかで、その自我の部分が、もっと周囲に向くように。
ですからあえて、自分が低くなることで。周囲が高くなることで。
それが、生まれ持った奉仕の心を、助長してくれるのですね。
ですからいま、奥野さまに、これだけもっと励ましているのは、
手を尽くし、方便ですけど、比喩もあり、なんとか、やらせようとしている。
それはやはり、もっと未来において、とても重要な任務があるから。
そこまでに、やはりこなさないといけない重要な転機が、あるのですね。
ですからがんばって、私達の試練にもめげないで、
ちゃんと自分主体で、人生をやっていってほしいというのが、
当面の私達の、守護勢総勢の、一意の意見なわけなんです。かしこ