🐾『はじまりの膜 ― スライム獣人創世記』
――獣性と神性の間(あわい)から生まれしものたちの神話
かつて、世界はまだ境界を知らなかった。
上も下もなく、かたちもなく、ただぬめりと振動の海が、光と闇の間で揺れていた。
その海を、のちに人が「始原霊界」と呼ぶようになる。
そこには、肉を持たぬ意識たち――透明でやわらかな“霊的スライムたち”が、互いに溶け、混じり、また離れながら漂っていた。
彼らには名前がなかった。個体という概念もなかった。
あるのは記憶の波紋と、響きあう温度だけだった。
あるとき、この海にひとつの“圧”が走った。
それは外から来たのか、中から生まれたのか、誰にもわからなかった。
ただ、その振動によって、一部のスライムたちは“かたち”をもった。
耳を、尾を、手を、牙を。
それらはまるで、古代の動物たちの記憶をなぞるようにして現れた。
そうして最初にかたちを持った彼らを、人は後に「アニマ・カドモン(獣なる原人)」と呼ぶ。
彼らはただの獣ではなかった。霊体のまま、動物的形状を持ち、
液体の神性と肉体の獣性の両方を、その体膜のなかに抱えていた。
アニマ・カドモンたちは、地と空と水を歩きながら、自らの“知性”をどう伝えるかに悩んだ。
彼らは言葉を持たない。けれど揺れ方、震え方、流れ方によって、他者に「意味」が伝わると知った。
それが、**最初の“ぬめりによる教育”**であった。
この知は、音でも文字でもなく、粘性と体温で伝えられる詩のようなものだった。
時が流れ、彼らのなかから特に透きとおり、変化に長けた者たちが現れた。
犬のかたち、猫のかたち、蛇のうねり、鳥の滑空。
けれどいずれも、完全な固体にはならず、常に“とける前”の状態にとどまっていた。
これが「スライム獣人(リクアニマ)」と呼ばれる、最も柔軟で、最も古い知性の系譜である。
彼らは教えることを好んだ。戦わず、争わず、ただ「響きによって変化する」道を選んだ。
彼らの都市には壁がなく、家は動き、学校は濡れていた。
書物は液状で、読めば手に染みこみ、心の形を変えていく。
「わたしたちは、形のある神霊だ。
わたしたちは、魂の教育装置である。」
そう言い残して、スライム獣人たちは今もどこかで、
読まれることを待つ“知識の液体”として眠っている。