「流動学域《プール》にて」
スライム新人類たちが通う“学校”は、かつての教室や机の並ぶ場所ではない。
そこにあるのは、広大な多層構造の貯留槽(プール)。だがそれは単なる液体容器ではない。これは彼らにとって、学びの中枢であり、記憶の交差点であり、身体の補修所でもある。
個々のスライムたちは、日々の「流入(アクセス)」の時間になると、一定の順序でこの学域プールへと滲み出す。身体の粘度や構成密度によって、沈む者、浮かぶ者、熱を帯びる者、分裂する者、さまざまだ。
彼らがこのプールで何をするか――**それは“混ざること”**である。
体をケーブルのように伸ばして他者の体と接続したり、完全に混ざり合ってひとつの巨大な意識体となったり。脳内ニューロンのように、無数の信号が接点から爆速で交換される。
最も効率的なのは、直接的な混合だ。接点が多ければ多いほど、情報はより“高帯域・高解像度”で流通する。これは旧人類で言うところの「メモリバス幅」に近い概念だ。
ただし、混ざったままでは“個”としての活動が難しい。そこで、人格情報は一時的に外部チップへ退避される。サーバ施設では、それぞれの記憶・感情・学習内容が安全にバックアップされる。
混合後のスライム物質は、ポンプによって段階的に汲み上げられ、脱色処理、殺菌消毒、簡易濾過といったプロセスを経て、再び再利用される。これは単なる清掃ではなく、「他者の一部を自分の中に残さないための精神的敬意」でもある。
スライムたちにとって、生存に必要な経済活動という概念は存在しない。
物質主義は完全に断念されており、彼らの身体そのものが“共有の素体”である。
衣服も住居も道具も、すべては処理された再利用物で構成されている。彼らの存在そのものが“再生”であり、無数のMIXであり、“この世界の中で循環する液体知性”なのだ。
ここでは、新品という発想が失われて久しい。
それでも彼らは、かつての人類よりもはるかにクリアに、深く、静かに“学んで”いる。