2025年5月5日月曜日

未来日記:《やわらかい友達事件》公式調査報告抄録

記録文書:S.Y.0029年 ――《やわらかい友達事件》公式調査報告抄録


はじめに:市場の歪曲と「倫理コスト」への無関心

S.Y.0027年末、スライム型ネオ人類が世界的に市民権を得てからわずか二十数年ののち、ある奇妙な風潮が静かに育っていた。それは、スライム人類を「低年齢層向けの遊戯対象」へと商品化する動きである。

この動きは、正式には「タッチ・スライミーズ™」と名づけられた教育玩具シリーズとして始まっていた。最初期モデルは人格データを削除した空体であり、合法の範囲にあった。しかし、人格核の抜き取りと複製技術の裏ルート流通により、まもなく「記憶を持った小型スライム」が市場に出回り始めた。


密売と悪用の実態:幼児と“やわらかい友達”

記録によれば、S.Y.0029年初頭の東連邦都市部では、非公式ルートで流通した人格搭載型スライム体が、わずか市価の0.03%の価格で児童向けに「玩具」として販売されていた。これらは外見上、愛らしいキャラクターに偽装されており、子供が床に落としたり、握り潰したり、投げつけたりしても反応するよう設計されていた。

しかし、いくつかのモデルには「人格核データの断片」が残されていたことが判明している。

💬 「ボクのなまえ、ハルオ……まえは、だいがくせいだったの……」
── 6歳児のタッチログより、破損したスライム個体の音声出力

この事例はスライム社会に激震をもたらした。


価格破壊と“知性の価値”の失墜

スライム体の素材は元々、安価な液体高分子を基に構成されていた。しかし人格を持つスライム体においては、「知性」そのものが高価な価値であった。それにもかかわらず、この事件を境に、人格を持つ存在の売買が、まるでぬいぐるみや駄菓子のような価格で扱われる文化が一部に定着してしまった。

これは、「人格=デジタルデータである以上、コストはゼロに近づく」という経済思想に根ざしていた。倫理と経済が決裂した瞬間であった。


事件の終息と法整備

S.Y.0030年、スライム倫理国際条約第11項が発効され、**「人格核のあるスライム体を未成年の遊戯目的で扱うことは、精神虐待とみなす」**と明記された。
さらに、この事件をきっかけに、「人格内蔵型玩具の国際廃絶運動」が発足した。

しかし、記録によれば、すでに約17万体を超えるスライム子体が流通し、少なくとも8400体がそのまま破壊、または燃却されたとされている。


補遺:涙のロビー活動

この事件の裏で、かつて玩具として販売されたスライム体のうち、記憶が曖昧なまま保護された個体が存在していた。中でも元女性型スライムの「フレイア-N79」は、こう述べていたという。

💧「あなたに叩かれても、わたしはいつも笑っていました。あなたが泣き止むなら、それで良いと思っていた。でも……私は、おもちゃじゃなかったはずよね?」

フレイアはその後、スライム市民代表として国連相当組織に出向し、感情を持つ存在の定義と尊厳の基準を求める法改正ロビー活動を展開し、**“知性のあるスライムに二度と涙を流させない”**という誓約文が全大陸で採択されることとなった。


🕊️ 結語:やわらかさのなかにある魂の痛み

スライム人類の黎明は、単なる技術の勝利ではなかった。それは、人間が「触れるもの」にどれだけの魂を見いだせるかという、人間そのものへの問い直しだった。

子どもの手のなかで潰されたスライムの断片に、微かに残っていた言葉がある。

“わたしを、わすれないで。”

この言葉が、21世紀末人類の倫理覚醒の、最後の一滴であった。


このエピソードは、スライム人類の歴史における最も傷つきやすく、しかし最も尊厳を問われた瞬間として記憶され続けている。