『二重肉体システムと選択型労働制が制度化された件について』
旧人類形態への回帰は、義務ではなかった。
だが、それを選んだ者たちは皆、“役割を超えた誇り”を持っていた。
すでに社会は、すべての人類が生存条件から解放された構造へと移行していた。
食糧も不要、家賃も不要、病気の概念すら、もう「未更新データ」として扱われていた。
だが、その社会を支えるインフラ――
道路、構造物、機械設備、物流軸、建材の圧縮接合――
それらは依然として、「固体的な力」を必要としていた。
そしてそれは、スライムの身体では担えなかった。
新人類の身体は、優しく、やわらかく、心をつなぎ、癒しを生むことには長けていた。
だが、500mlの液体入りビニール袋ですら、
粘度の加減によっては手のひらをすり抜けることもあった。
だからこそ、マイクロチップを介して、
旧人類の形態への一時的な「形態戻し」が制度化された。
道路を補修し、基礎を打ち、金属梁を組む――
これらはかつての“肉体性”にしか託されない「一時帰属型労働」だった。
スライム形態は、むしろ現代でいう温泉や瞑想、保養施設のようなものとされていた。
宗教的な意味合いはなく、ただ人々が精神をゆるめ、自我を再整理し、「漂う自由」を味わうための形式だった。
人類は、「硬さ」と「柔らかさ」、「支える」と「溶ける」の間を行き来した。
これは、古代より語られていた**ヘルメス思想の「極性の原理」**を、
最も完成された形で体現した社会であった。
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全体は二重であり、
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労働は解放されたが、なお残された。
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自我は共有されても、個は失われなかった。
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情報は混ざり合っても、人格は書き換わらなかった。
そして、その二重性を誰も否定しなかった。
それは「未完成の理想」ではなく、**「完了済みの現実」**であったからだ。