2025年1月11日土曜日

欲主体の願い事や、アファーメーションについて

 結論から言うと、人間個人の欲が主体の願い事って、あんまし叶わない。まあ、タダでは叶わないといったほうが正しいか。なんかの代償を経て、それが叶うといったあり方が妥当かもしれない。

これは、欲主体の願い事の場合だから、もっとこれが、社会のためにとか、集団のために、組織のためにという形の願いなら、べつだろう。つまり、自分が◯◯になりたいという願いを、無理やり力技で、社会のために、集団のためになるようにと、自分が◯◯になることがその社会が成長するための前提なんだというかたちのアファメにしてしまえばいい。これをずっと宣っていくことで、それが今後の展開で霊界的に妥当なら実現する。

 霊界は個人のことを主体に見ているが、個人が積み重なっていろいろな社会はできているので、そこの兼ね合いがある。個人が◯◯になったことで、それが実現したことで、ほかの個人の兼ね合いがあるから、そこを潰さないように、だからこそ社会のために人のためになるように、っていうのと、個人の願いを力技で繋げないといけない。

 あの子とセクロスしたい。でもこれは、社会のためになるんです。というのが、力技セクロス願望の典型だろう。まあこれは、一種の祈祷みたいなもんであるから、適当になにか捧げ物をもって、物品でいいから、それを主体にして祈祷してもいい。まあ捧げ物があるからって即それが叶う訳では無いが、ある一定の強制力になる。つまり前向きな方向で、個人の肉欲だけで止まらない方向で、主体的に願っていけばいいという話。