2025年1月13日月曜日

めんどくなってしまった

 わたしは、気分屋である。霊界に使役されているから、気分屋なのだ。気分屋というのは皆、霊界に使役されていると言ってよい。わたしは望んで霊界に使役されることを選んだのだから文句は言えないが、ときどき、霊界のその時ごとの方針として、わたしの感情がつよくかき乱されてしまう時がある。つまり、行ったり戻ったりする繰り返しで、わたしが成長するのだ。

 霊界というのは、わたしの精神的な成長の方を強く望んでいる。わたしがほんとうに霊的に成長するためならば、どのような境遇でも与えてやろうと、待ち構えているのだ。わたしは霊界のすべてのテストを突破して、それぞれに良い結果を返してきた。霊界はそれを見て、納得していたように思う。

 しかしこの場合、テストといっても一定のものではなく、無限に続いていくものだ。定期的に検査をしたりとか、あるいは製品の負荷テストてきなもので、1回テストして良い結果だったから終わりではない。気分屋として、いっときは気分が落ちることもあるが、その翌日、また同じ気分かどうかは知らないが、つまり適応的に生きるということであり、

 社会は一定の気分のものを常に求めるが、わたしはその場その場で顔を変えて、それが、わたしという人間としての人生なのだと、それが社会を導く1石になるのだと思っている。例えば今日は、なにか色々なことがもうめんどくなってしまって、ちゃんと生きられるか義務を果たせるかでいうと、果たせないかも知れないが、

 ターボブーストテクノロジーのように生きる、それが、毎日決まった気分で居るわけではなく、0.8GHzのローギアの気分のときもあるし、4GHzのハイギアのときもある、それは霊界的に決まっている流れで、それをわたしが引き継いで、この分は奥野がやる分と、定められたものをその日1日でやるぶんで、それが、どうにも今日は、やる気が出なく、魂抜けたようになってしまっている。