というのも、俺は仕事が大嫌いなので。仕事が嫌いというよりも、奉仕が嫌いとか、なんか意味のないような部品のようなことを低賃金でやらされている感が嫌なのである。といっても、それがなにがきっかけで社会が変わっていくのかはわからないから、一応それをやるのは良いとして、いまいち俺の、個人の快楽を追求したいという思いが、勝ってしまっていたのである。
これはこれでいいやとは思っていなく、いつかは社会に目が向くようにという気持ちで居たが、個人の欲望とは、何にも縛られていたくないという思いと、おふとんで過ごしたいという思い、この2つである。だから権利ばかりを主張している格好になってしまっていた。
これはもう個人の枠だけを考えるなら苦しみがもたらされるだけというのは、イシガミリーディングでも実体験でもハッキリわかっていた。でも、俺は仕事をしたくないんだよ。というところで、
じゃあと、イシガミリーディングでは、仕事とは。理想とは。の定義を、破壊してしまうのです。といっていました。難しいですね。これが最高の定義なんダー!とする完璧主義の心ではなく、もっと気楽にという、楽観的な雰囲気をちょっとでもいいから持ち込もうと書いてありましたね。
まあ逆に、わたしたちがこうやって介在しているというのは、奥野さんの人生が進むためなので、それじゃあ進むんだったら何してでも進ませたいし、それで進むのならわたしは来たかいがありますし、それには全面賛成です。