2013年12月29日日曜日

無性愛者と性嫌悪。

今年もあと3日。
人間関係でも振り返ってみようと思う。






僕は他人と接していないと寂しくて死んじゃうので、
自分のことを受け入れてくれる人間を探すのだけど、
「どうせいつか裏切るんだろう」ということを前提に生きているので、
なかなか、深いレベルでの信用とか信頼はできない。

1~7まで階層があったとして、そのうち第6階層までの信頼・信用なら築けるのだけど、
7階層目の信頼・信用は、今のところ世界中の誰彼も、親とですら築けてない。






スピ系では「私たちは一つだ」なんて言ってるけど、理屈や筋道はたしかに通っているけれど、
実際人が人を利用して捨てるような今の世の中では、
残念ながら100%の信頼は築けないわけで。


僕がそれを明言しているっていうのも僕から人が離れていく原因なのだろうけど、
ぶっちゃけ、人間だれでもそうでしょ?親子、恋人同士、夫婦同士ですら
100%の信頼なんて築いてないでしょ。


もうここまで来ると、見返りを求めたり不平不満を言ったり、
絶交・絶縁になったりすることも100%未満の信頼って言わせてもらうけどね。
「僕ならあなたを絶対幸せにできる」なんて僕は言えないけど、
「絶対~」とか100%を前提に話するのは、やめたほうがいいんじゃない。
ほら、「やめたほうがいい」って言ってる。





僕はこのブログの中で断定的発言をしたりするけど、強制はしてないんじゃないかな。
強制しちゃいかんですよ。僕は常々そう思って生きています。

「牛乳石鹸が好き」という人に対して、「アレッポの石鹸EXTRA40を使ってみて」なんて
言ったとしても、「何この臭い石鹸。嫌だよ」とかいう感じで
成分を見たとしてもこの石鹸の価値が伝わるかどうかはわからない場合もあるし、
僕からしたらヤバい薬剤が入ってる牛乳石鹸の「香りが好きだから。安いし」って
使い続ける人だって実際いるわけだから。

そういう人たちにいくらアレッポの石鹸の魅力を説明してもわからないと思うし、
だから僕は強制しないし、1回聞いてダメだったら引っ込むスタイル。
それで相手が損をしても、僕は同情だけしかできないけど。



そういうところでね、日常生活においても、または恋愛においても、
相手を束縛することと束縛されることには非常に敏感で、
誰にも束縛されたくないし誰も束縛したくないと思っている。
相手は自分の「モノ」じゃないからね。

ところが世間の恋愛というのは、まるでペットを飼育するかのような方法が一般的だ。
ペットと人間様の関係。これをしないと、相手が自分の元から離れていってしまう。


僕は、そういうのオカシイと思うし、それこそ人権を尊重したいと思う。
だけど、それじゃあ恋と呼べないのかもしれないね。





あと、僕が無性愛者で性嫌悪だからというのも、ほんの少しだけ関係している。
相手が性交渉の話を持ち出さないように、
できるだけそういう濃密な関係に持っていかないように、
相手と常に距離を保っているから。

性嫌悪な人にとっては、「ヤらせて」とかいう類の発言は冗談でも不快だからね。



というのと、無性愛者なので女と男どちらとも恋愛はできる。
まあ、頭の回路的に見て、ネッチョリした女よりサバサバした男と恋愛してみたいかも。

ま、でも性交渉の話は持ち出さないでくれな。










ということで12月にこういう内面系の話をFacebookでドンパチ書いたのだけど、
それで離れていく人もいれば、距離を保ってくれる人もいるし、
それに今年は卓球仲間が結構増えたので、回転がいいのも悪くはないんじゃないかと思う。


ね。