2013年12月23日月曜日

僕がなぜ試合を嫌って練習を好むのか、ネタばらし。

僕のカットは、ナックルカットの場合は、
自分から見て、ネットすれすれに斜め下の直線の軌道で差し込むように返球する。


ぶつ切りデスカットの場合は、どっからどうみても大チャンスボールみたいな軌道で返球する。
で、スパーンと打たれる。だけど、1球も返ってこない。ああっ快感っ!












なんでバラしたかというと、まず、僕は点数つけたり試合で優劣を決めるのが生理的に嫌い。
とにかく、点数をつけられる、っていうことが大っ嫌い。

続けたいですよ。
続けたいけど、ラリー練習みたいなダラダラ続けたりするのも大嫌い。



有り体に言うと、点数をつけない、優劣を決めない試合だったら歓迎。
点数は心のなかで密かにつけててください、って最近は伝えるようにしてる。



試合やると、とにかく緊張するんだよね。
楽しいはずの卓球が、生きるか死ぬかみたいな卓球になっちゃう。

しかも、練習の実力 = 試合の実力 というふうには絶対ならない。
練習で安定してても、試合だとボンボコボンボコ凡ミスをするようになる。




ということで、フリーな心理状態をお互いに作っておいて、
それで、お互いに100%の力量でプレーをしたい。






なんだかキレイ事のように思えるかもしれないけど、
点数つけて試合することのほうがキレイ事だよ。僕にとっては。

試合だと出せて3割程度の力しか出せない。僕に限らず人間であれば誰でもね。
練習だといくらでもミスしていいし、それで力量を測ることもないんだけど、
試合だとミスは絶対してはいけないので、それで力量が出せて3割になっちゃう。



つまり、試合で上手い下手を量るっていうのは、その人の3割以下しか評価されてないってこと。
練習では100%の力量なので、それで強いとか、それで弱いとか、
そういう評価はとても大事だと思います。











というのも、僕は高校時代空手部だったのだけど、
練習ではバシバシポイント取りにくる同僚が、
試合では防戦一方で2回も注意取られた挙句、トチって僕の金玉を2回も蹴りあげる、みたいな
そういう状態を見てきたので、試合に隠された怖さというものをよく知っているから。

余談だけど、うちの学校は世界チャンプかつ国際審判員というバケモノが顧問だった。
その人から試合の怖さというものを度々教わったし、
え、こんな厳しく判定するの!?とか、今の!完全にポイントだろ!見てなかったの!?とか、
ちょっと動かないだけで注意食らうし、動いててもポイント外れてると即注意。

空手の注意って相手にポイント行っちゃうからつらいねー。







だから、相手には常にベストな状態で、対峙してほしい。
それが僕の願い。





悪いけど、練習だからねーしょうがないねーみたいな認識は持っていないので。
心のなかで点数をつけたりとかはしてないけど、
僕が気にすることは、

レシーブミス率、サーブ成功率、回転の程度、相手のポケットを探す、
台上の頻度、スマッシュの精度、最低これくらいはプレー中常に頭のなかでまとめてます。





だから、まあ部員にとっては普通のことかもしれないけど、
対ペンだったらエンドラインぎりぎりを常に狙って低く返すようにするとか、
対部員だったら基本ミス待ち姿勢でプレーするとか、考えてるよ。






だから、これからも練習は大事にしていくし、
むしろ、練習だからキレてない甘い球打てよ!みたいなトチった事言う人には、
ほんとに申し訳ないけど、僕は、聞かなかったことにしてプレーさせてもらうけど、
それでもいい?


本当にすまないね。