2024年9月20日金曜日

卓球 仲間が増えるといいねえ~

俺が貼り替えるタイプの卓球を始めたのは2013年頃からで、その前は100均のラケットなどでよくやっていたが、にわか勢というわけではなく、中学生時代からよく熱心にやっていた、ちゃんとやり始めたのは、松下浩二を買って、2013年頃ということだから、だいぶ下積みが長かった。

2016年頃になると俺の卓球は最盛期を迎える。そのころは若い頃全国レベルだったオジサンがリーダーの同好会みたいなのに属して、そのなかでは、2位3位くらいの打ててる感だと思っていた。そのころはみんな初心者だったけどもカットマンみたいな人や、速攻、異質などまあある程度飽きないように分散していた。そのころがもう俺の今までの人生で一番いろんな戦型があったように思う。

2018年に俺が長期入院から開放されてからは、もうもとの卓球同好会は解散気味になって、よりもっと個人的なつながりでみんな打つようになって、俺はそれに食い込まなかったので、俺はひとりになってしまった。ひとりでは卓球できないから、ずっと3年くらいしてなかった。それで今になってようやく卓球できる人が現れたわけだが。それで2年くらい1-1でずっとやっていた。

これはその相手も俺と同じように思っていることなんだけども、とにかく発展性がない、2人しかいないので戦型にバリエがほしいのである。俺は裏裏攻守型(サムソノフ型)、相手はロビング型ということで、なんかちょっと俺はあんまり打ち合いそのものになりづらく、なかなか俺の土俵にならないのだ。ロビング型相手だから打ち込むしかなく、相手も打ち合いはしないから、こちらが打っていかないと話にならなく、お互いにやりたいことがあまり出来てない感じである。そこに、新たな風が吹けばいい、いや、吹かないのかというところで、オタサーの姫てきな飢えをお互いに感じているところである。

あれ、、これは…な健康法

まえにリムさんが生きてた頃、ツイッターのやりとりで奥野に、消化にかかるエネルギーを行動に活かせるよ!と言っていたのを思い出す。これは奥野が今に至るまで長らく難消化マニアだったからだが、とにかく消化に負担がかかるものを食ってそれで腹持ちを長くしてみようという試みがあった。それはそれで成功して食べる量もカロリーもだいぶ少なくなったが、消化にかかるエネルギーというものを軽く見ているフシがあった。

それで今回霊が憑いたことによるたまたま少食になったことで、それをまた新たに実感できた。消化にかかるエネルギーってやっぱあるらしい。というので、じゃあリキッダリアンみたいになればいいのだろうか。液体をちょっとずつ飲んで血糖値をバカ上げして、それでちょっとずつ血糖をあげていく、というスタイルなら、消化ほとんどしないで活動もイケイケになるのではないか。という新しい試みである。リキッダリアン的生活アリかもしれない。

肉をちゃんと食べて、塩をちゃんと食って、それから、消化に負担のかかる麦飯ではなく、カロリー的なところは液体でとっていく。砂糖のジュース、いちごみるくなど、甘酒など飲んで、まかなっていく。というのを、それに気づくかどうかを、新しい霊が暗に奥野に示しているように思うけどな。

2024年9月18日水曜日

急須特集

お茶といえば急須だが、奥野はこれまでお茶の道9年以上であり、かなり様々な出し方を編み出しては研究してきた。でもこれは、あくまで大量に飲む人向けのやりかたであり、やはりちゃんと急須で出したほうが、オイシイのである。おいしさという意味では、急須がイチバンである。で、これは1回で300mlくらいしか入らないから、大量に作れるわけではない。

急須でちゃんと入れてやると、煎茶で300円の茶葉使っても70度で2分半くらい待ってやれば、だいぶ滋味みたいなバランスの良い知覧茶が出るのである。これはめんどくさがって急須じゃない出し方にすると、まあ飲めるんだけども、あんまりこう滋味てきな部分はない。手をかけたほうがちゃんと愛情がでるというか、それは非科学的だけども、なんかこう、ウマイのであるなあと。

急須の種類については、まあ陶器ならなんでもというか、一番美味しかったのは有田焼だったかもしれん。1500円くらいの有田焼で出した中央茶業公司の鉄観音茶極品は、究極においしくて、1回分で7杯くらい出して飲んだ覚えがある。茶葉の上香りというか味じゃなくてもう、香り成分でもうイッちゃってとろ~んとダウナーになるのである。まあこれは茶葉のよさがあり、一般にいう中国茶特有のそういうトローン現象だが、それを増強させてくれるのが有田焼であった。

100均で300円で売ってる急須とか、あるいは美濃焼、萬古焼の急須は、あんまりこう美味しさを増強するものではないが、まあ普通にほかの方法でやるよりは美味しい。ということで萬古焼とか100均ではなく、ぜひ有田焼の急須で、中がツルツルしてそうなものをえらんで、使ってほしいということである。以上

追記 2013当時の同型の急須を探してみた。写真ではそのまんまこれ、という型を見つけた。もうこんなんで十分ウマイ

2024年9月16日月曜日

ベトナム産沈香の弊害

なーんか、これを買ったとき、うおお!これはいい!!ちゃんと沈香だわと思ったけど、あまりに集中的に焚きまくってしまった弊害なのか、部屋の中がなんかの糊?の匂いして、タブ粉の匂いを嗅いだこと無いが、そもそもタブ粉に匂いなど無いが、まあそんなようなイメージである、ツナギの香りなのである。ナニとはいえないが、なんかの糊のような匂い。細菌臭とか、カビ臭ではない。これがもう部屋ン中全部充満してしまって、いつも換気しているが、それでももう追いつかないくらいになった。

沈香を焚きまくるとこういう匂いになるのか、栽培沈香の宿命なのか、そういうコンセプトの商品なのかしらないが、とにかく何もしてなくてもそのツナギっぽい匂いで部屋が充満している。これはなぜか嗅いでも嗅いでも鼻が飽きないのである。ずっと匂いするし。鼻が馬鹿にならないのである。いったいなんなのか、まあ嫌な香りじゃないんだけども、さすがに毎日こればっか嗅ぐとだんだんイライラするものである。

まあなんでもそうだけど商品のいい面悪い面ってあるし、そのいい面ばっかりを頂戴するわけにもいかないって感じだと思われ。

しんどいとき、鬱々としちゃうときの、1分でできる簡易対処

この動画をね、まず見といて、それから、この記事を読むといいね。

で、このなかでいうような、臨兵闘者皆陣烈在前 というのを、やるといいんだ。そんで、これはいつでも、しんどいとき、たとえば出社したけど身体がズーンとしてやる気でねえみたいなときでも、これをやれば、そのすぐあとに、急に元気になる。ちょっとラグがあるんだけども、急に元気になるって感じだな、

起床時でもいいんだ、起床したとき、なかなか起きれないみたいなときに、とにかく、横になったままでいいから、臨兵闘者~とやってみる。そしたら、あんがいそのあとに、すぐ起きれるんだよな、これは気の持ちようというふうに片付けられてしまうが、立派にこれは効果があって効いているということだ。

臨兵闘者皆陣烈在前は、手刀でやってもいいが、そのときは、霊から祟られたり、しっぺ返しを食らうので、それは霊力がなければ、やらないのがいい。霊力ない奴は、手刀ではなく、ちゃんと印を結ぶというかたちで。印だけなら、まだ簡易的に除霊というかたちで、攻撃扱いではない。手刀で十字を切るというのは、その霊をしばき倒しちゃうということなんで、これはあとで反撃を食らう。

2024年9月14日土曜日

お金と人間関係

人間関係は、いつの間にか始まってしまうパターンが多い、自分からつながろうとするよりも、なんか知らんけどいつの間にか始まってしまった、自然にくっついてしまったパターンが多い。だけどそれも終わる時が来る。楽しいのは最初のうちだけだ、徐々に楽しくないっていうか当たり前になっていって、だんだん会話しなくなっていって、そして、途切れる。

そのときに、どうやら関係が終わる一つの要因は、お金、であるようだ。要するにお前にこれだけくれてやったのに、なんであんまり返してくれないんだと、これなのである。これが、多くの人間関係が終わる原因だと思うね、みんなだいたいそれを経験的に解っているが、ついついやってしまう、なんかの気の緩みでそれをやってしまうんだな、あるいはサービス精神とか、場を円滑にするためにとかで、それをあまり続けていると、その関係は終わってしまう傾向にあるみたいだな、

別に相手に嫌な気持ちを持って無くても、相手が自分が与えてやったことに応えてくれないと、つまりサービスをもらえないと、もうその相手には愛想が尽きてしまうのである。というと、最初から金をあげたり受け取ったりしなければいい、そのほうが長くつづくんだよね、まあ親と子みたいなのはまた別かもしれない、横のつながりの人間関係でこれは散見されている。

俺も人に金使うときは見返りを求めないように心がけているが、それでも、相手のちょっとした気に入らない点があって、それが我慢できなくてひとり関係を切ってしまった。これにも金の関係の理由は少しはあると思われ。そんなに大金使った訳では無いが、やっぱり相手から帰ってこないっていうのが、自分はサービス精神を出しているつもりでも、相手から帰ってこないと、もうやる気なくしてしまうのである。でも俺はよくそんな相手に2年も我慢したと思う。なんか1年経過後くらいから態度が変わってそっけなくなってきたんだよな。そのころから兆候はあったけど、まだ俺は心をオープンにするように心がけて、でももう限界だから仕方ないよねというところである。これにやっぱ金は影響してる。見返りを求めてないつもりでもこれである。

2024年9月12日木曜日

洗濯のりを原液のまま使うスライム作り

洗濯のりを、いままでは1:1で薄めて作っていたが、どうもすぐ臭くなってしまう。2週間3週間持てばいいってかんじだった。しかし今、洗濯のり原液で作って、ホウ砂水溶液もとびきり濃いので作るが、これにグリセリン入れて硬さを調整すると良い。そうすると2週間経っても全く臭くならないのだ。匂い自体が無いって言う感じである。なぜなのかしらんけど。

いままでは2週間もすれば臭くなり始めてきていたが、この方法ではいっこうに匂いそのものがしないのである。これは凄い。そしてスライムにグリセリン入れるか水で薄めるかだが、水いれると単純に成分が薄まって、ぶちぶち切れるようになるがいっけんトローンとしているって感じである。水を極力使わないでグリセリンで薄めていくと伸びが良くなり、硬さがある程度あり、ぶちぶちは切れないって感じである。まあこれはどっちでもいい感があるが、よりお金をかけて、洗濯のり原液を使ったほうがいいよね、長持ちするよねって感じの投稿であった。ホウ砂が防腐剤になるんだというが、かなり濃い感じのホウ砂水溶液を入れていたので。

水と塩だけですべての病気が治る、を実践する奥野

この本、奥野はたまたま水健康法をやっていて、塩分摂取が悩ましいところだったけども、まあ味噌汁やラーメンを食うことでなんとかまかなってきた。味噌汁だけだとどうしても浸透圧的な意味で下痢してしまう。 なんか食ったほうがよく、それでラーメンなんだけども、この本は要するに0.1%食塩水を作って、何リットルも飲んでいこうぜぇ~という本である。

この前もこの記事書いたんだけども、それを忘れてまた書いているから、ぜひ何度も書かせて欲しい。奥野はこれをやっているから、虫歯と精神の薬以外は全然快調である。つまり内臓疾患がないのだ。まあ完全にないかというと非アルコール性脂肪肝はあるが、これは太っているからで、しかも進行してない。脂肪肝だと肝硬変になるっていうけどな。もう10年以上脂肪肝である。

虫歯はもうどうしようもないが、精神は薬飲み続けてないと依存が強く狂ってしまうのでこれは疾患とは呼ばないだろう。ただ単に薬に依存してしまっている状態。まあとにかく内臓疾患がないのである。これはまだ奥野が30代だからなのがあり、まわりにはそんな狂った生活しててもまだ若いからねと言われておしまいだが、奥野なりに考えてやっているのである。

ということでお前たちも、水をとにかく飲んでほしいということで、それに伴って塩も、地道に補給して欲しい。塩分濃度0.1%くらいでいいから、だから8L飲んだら8g補給するというかたちで、そうすると体の中のなにもかもが綺麗サッパリ流れていく。つまり養分が流れてしまうが、これはあまり気にしなくていい。どうしても気になるんだったらなんか食うとかでいいし、健康になる近道は足し算ではなく引き算なので。水をいっぱい飲んで、積極的に引き算をしていこう~という構え。

ダラダラ食い

甘いものをダラダラ食べ続けてはいけない、一番太る、糖尿になるなど、随分言われているが、一方で江戸時代の食生活に倣った食い方をしてれば2型糖尿にはならないと言われるなどして、この辺食い違いがある。

江戸時代は麦飯とか、玄米食であり、これは吸収が遅いので、ずっと緩やかに血糖が上がり続けている状態、ダラダラ食いに相当しているのではないか。

カロリー過多になってなきゃいいと思われるので、食い方はダラダラ食いも良くない、急にドカンと食うのも良くないなどと言われるが、じゃあどうすればいいのか。医学的に健康な食い方をしてても、なるときゃなるし、医学は健康を保証はしない。なのに、様々なことに文句をつけ、これが今の健康法ですと、そしてそれが崩れれば新たにまた据えて、言い訳をして、それもまた崩れていく。

結局糖尿にはなるときゃなるし、あまり未来のことを思って心配ばかりしているのも良くない。糖尿になったら、ああ自己責任ですね、管理が甘いですねと言われるのだが、それを誘導してるのは医療側であり、この世界全体がそうさせてきているのだ。しかしそれは隠しておいて、あたかも私たちが全て悪いかのように言われてしまうからね。こんな地球でごめんなさいね。みつを

2024年9月10日火曜日

モルモン教徒に学ぶ、顕正会の宗教会費と功徳の現れ方

モルモンにいたことがあり、生まれた瞬間にもうモルモンだったが、まあ長老の職までいったところで事実上脱退してしまったが、とにかくモルモンというところは金金金であり、モロに金集め団体である。というと信者は怒るかもしれないが収入の10%を献上するシステムで、年収700万の人なら強制で1年に70万を献上する。まあいまはこれ強制ではなくなっているが、むかしのパリサイ人の習慣だったか、とにかく古代から続く慣習で、ユダヤ人なんかは収入の10%を寄付するという、それの、まさに宗教会費版である。

で、これをやってるともう年収がうなぎのぼりで、年々年収が増えていくというあり方らしい。奥野はこれに参加していないので、いままでモルモンに20年超入っていながら会費を払っていないが、ひとつは学生だったことと、その後ストレートに生活保護になったからである。生活保護からは10%を徴収しない決まりなので、受給者の年収はいつまで経ってもアガらない。まあこれは悲しいがそういう定めである、犠牲を捧げないことには始まらないのである。

この年収10%を捧げるシステム、はじめは非常につらいなれど、徐々にそれを確信していくのである。日々の勤行みたいなものは全然無く、聖典を読んだり、解説書を読んだりする程度である。つまり、日蓮系のようなちゃんと勤行をやらないでも、会費だけ払ってれば、その功徳があるということである。上のごとく下も然りというので、モルモンでこれが証明されているのだから、顕正会でもそれが通用するというあり方。

宗教 勤行と会費、功徳のあらわれ

会費を、払っている事自体に意味があって、勤行はサブ。という考え方である。奥野は過去の経験から、その会に入って、正式に入ったことになって、それから、会費を払う。という、会費を払うまではなにやってても初心の功徳しかいただけなかったが、会費を払ってからは、具体的に結構まもられが強いっていう感じになってきた。

これは会費を払っている事自体に意味があって、最悪勤行はしなくってもよくて、勤行はむしろ会に求心させるための洗脳ツールなのではないかという気もしてきた。まあまえの宗教の日蓮系の◯◯会にまだ2股しているので、その会の年会費が6000円で安いので、とりあえず払い続けているが、それだけでも、お勤めをしなくても、払っているだけでもうなんかしらの功徳はあるのである。

だから会費を払っているっていうことがもう、それなのである。会費の額はそんなには功徳に影響してないんじゃないかと思われる。功徳に影響するのは、会費を払ったか、払ってないかであり、それと、会に正式にまだ入り続けてるかということだけだ。つまり日常の勤行というのはあまり身を入れなくてもいいのである。

2024年9月8日日曜日

2024-2025の睡眠概日リズム

奥野の特技として、上むいて寝るとき、寝るか寝ないかの境目を意識できて、更に、自分が寝てるなと感じながら寝ることができる、というか、意識があるままに一瞬寝て、すぐ戻って来る感じである。それは普通の人は出来ないだろうけども、奥野は意識して無くてもこれがスッとできる。おそらく体外離脱しやすい状態に近いんだと思われ。

枕がある無いにかかわらず、布団をかけているけども、これができてしまう、そして、そのうち横になりたくなって横になってしまうが、横になると朝まで寝てしまう、ぐっすりだ、でもこれを、2025年にかけて、ゆっくりといま超短時間睡眠として、試運転中なのである。

いわゆる仮眠効果的な、1時間でも30分でも、一瞬寝れば、それだけで体の疲れはかなりとれる。逆に、凄く疲れるまでは、寝ないという構え。ベッドに入らない、が望ましいか。凄く眠くなるまでは、なにかやっていて起きている、が理想。一瞬寝て、寝ている状態を自覚できるので、それがセーフティになっているわけだ。

といってもこれは机上論だから、実際は上むいて寝ている時間が長いとどうしても横向きたくて、奥野はもともと横向いて寝るタイプなので、上向くとかは無い、だからこれは奥野史のなかでもわりと新発想に近い。常に疲れた状態になるんだけども、一瞬寝て、さも疲れが取れたように見せかけるという、アイツみたいな状態だが、アイツができているんだから、俺だってできる、努力だ、努力をしろ、

2024年9月6日金曜日

阿吽のまじない 無い生活

どっかのスピ師が、一番流入するのは0の状態、なにもしてない状態といっていたが、+-どっちかに寄っかかってるとそっちのほうしか流入しないから、+に寄っかかってれば-が流入しない、そういう意味で、いっぺん断捨離などして、それ自体をどかしてやればいい。とする説がある。

まあそれでやればいっときは+-流入してくる感じを受けるけども、まじないにおいては、どかしたら、そもそもまじないの恩恵が単に受けれないだけで、+-のときは、流入するって言うとちょっと違うくて、ほかのところのまじないの影響を受けるだけになってしまう。つまり、現代の日本家庭はまさか、うちわでずっと凌いでいる人とか居ないから、なんかの換気ファンを回しっぱなことが多く、これの回転方向のまじないを受けてしまう。

そのときに、日本の換気ファンってのは順回転なので、右回りのまじないの影響を被ってしまう。これはいっけん、お金やモノや人脈は入ってくるように思われるが、要するに蓄積するまじないので、金も蓄積する、人脈も蓄積するが、なんでもかんでも集めてきてしまい、全然どうでもいいものに囲まれて暮らしがちになる。しかも、蓄積するので、全然感情エネルギーを排出できなく、要するになんかの疾患や病気になってしまいがちなのである。これもすごくいけない。

でその、右回転の換気ファンの影響ばかりうけていても、+-の状態なので影響に流されるばっかりになってしまい、ようするに-の影響ばかり受け、+を自給できないのである。これがもうね、まじないを辞めて、自分の本来の人生に責任を持とうとするときに出てくる問題だし、なまじその知識があるから、甘えてしまいやすい原因になってくる。