2025年7月21日月曜日

完璧なスライム

スライム捨てた話したっけ。
大量スライム趣味の直後に、Gyuスライムをたくさん薄めていったら、
あっこれが俺にとって完璧な究極のスライムだと、直感したんだよな。

それでもう俺のスライム探求は終わってしまったわけ。
で今までのスライムコレクションを唐突に全部捨ててしまって。
いや捨てなくても良かったんだけどな。

で捨てたあと思ったけど
やっぱ捨てないほうが良かったなーとおもって。

俺がこれらのスライムを全部捨てるというのは
前もって霊が言ってたときあるから。
でそれは今回をもって成就した。

俺にとって究極のスライム=一番好みのスライムというのは
タプタプのスライムで、Gyuスライムを大体3倍に薄めて重曹で整えたもの。
だいぶ液体糊みたいになってるから重曹をドンドン投入する。
トローンとしてるけど、手につかない。というのがいいんだ。


でそのあと、捨てなきゃよかったなというのは、
でも気持ちは、いやこれでよかったんだと思うところもある。

石神文書では完璧なもの、価値あるもの、
を、基準において生まれていると言うから、
これらを一緒のラインにおいてしまいがちで、それが人生苦しいですよと、
完璧でないものも価値があるんだという風に思ってみたら人生ラクですよと
そういうふうにいわれていたんだよな。

まあたしかに俺は、完璧なものを探してCPを究極に高めていく傾向があるが。
俺にとって完璧なものの基準というのは、俺が満足する品質で、
かつ、安くあがるというか。

ただ高いだけで、いいものとうのは、俺の美学じゃないんだよな。
だからCPが基本的に高いもので、俺が満足する傾向のものをと。

この探求が、人々をあたっていくときに人生を効率的にやれるように示唆したり、
あるいは今後、慈陽とまた出会うことへの、必要な体験になっていくらしい。

だからたかがスライム探求だと思ってない。
スライム探求も卓球ラバー探求も、全部俺の、未来につながる。
そのための、副次的な発生物として、趣味ごとを探求しているんだと。