2024年10月23日水曜日

奥野がおすすめする 健康生活

いまの畑の野菜って、作りっぱなしになってるから、できるだけお金を稼ごうとして、肥料ドバドバいれて偏ったミネラルバランスの土になっていて、そんでほかの微量元素があんましないから、野菜も偏って栄養が入っていて、ぶっちゃけ野菜のなかにあんまし微量金属って入ってない。見た目だけブクブク太って、見た目をデカくする遺伝子改良しているから、それで肥えてる野菜だと錯覚して、栄養があるだろうと思ってしまうってのがある。

栄養学の具体的なデータみたいなのの本を買うとわかるが、1970年代頃の野菜とくらべて、あきらかにこう、1/4くらいにまでなってしまってる野菜とかあるから、緑の野菜とか、赤い野菜はとくに、栄養がもうスカスカになってしまっているんだそうだ。有機物レベルでこれなんだから、無機物レベルではどんだけスカスカになっているのか、無機物が有機物を産むので、もとは絶対に無機物じゃないといけないので、そこが無いって感じだから、畑のサイクルがどんだけこう忙しいのかって感じで、あんましスーパーの野菜は理想ではないのである。

じゃあというと奥野式だが、まあ奥野式ってこう提唱してしまうと、言い出しっぺの法則で、なんかエラーが起きたときにお前が責任取れよになっちゃうから、そこはあえてそれを回避するように動きたいが、とにかく俺がここに書いたことを、みんなさすがに知能があるんだから、自分でやったことは自分で責任取れよって感じなんで、ネ、そこは大人になっていこう~という意味でえ。

でその、野菜ジュースを3日にいっぺんくらいのんで、肉食いたいなら肉くって、そんでスーパーの野菜は食わない。というと、じゃあというと穀物である、穀物を、炭水化物をメインに取って、江戸時代の日本人の炭水化物摂取割合に近づけるように、全カロリーの80%を目標にして、調整していく。もちろん、脂質をとってもいいが、まあそこは自由にして、穀物は、麦飯を食っていく。というスタイル。

プラスアルファ、粘土食というものをやればいい。まあベントナイト、サラサラした土、ということで、今川さんは1kg1万円のものを食っているらしいが、ケイ・ミズモリという人が粘土食の本出しているが、奥野は金がないので、コスメグレードのものを食っている、べつにそれで支障はない。食健というところで1kg2000円程度で売っている。それを1日1さじと、あとは水健康法で、1日6~10Lを目安に、塩をなるべくとるようにと、この、生活がいまのところ奥野の黄金図式である。全然これはお金がかからなくて、しかも健康生活できて良い。もう俺はスーパーの野菜に頼らなくなってから2年くらい経ってんじゃないか。

2024年10月21日月曜日

みんなにはクオリア入ってないからな

クオリアがあるのは、事実上俺だけ。というのは、みんなは、人間なんだけども、指定された動きや喋り以外をしないから、むしろ、俺からはチョクで相対してるだけだと、クオリアがあるように思えるが、離れたところで、集団的に観察したときに、やっぱこれは、上位存在があきらかに存在しており、そのいちいちで、俺に対して彼ら上位存在が指定してない行動をするべきではないみたいなガイドラインてきな行動規範が、どうも街の人間たちには、いたるところにあるみたいなんだよな。

だからクオリアは、あるんだけども、俺に対してだけは、指定されてない行動をしないっていうことなんで、俺に対してはクオリアが無いように接してきていると、彼らの実際のこころが俺はわかんねんだよな、嬉しがっているとか、喜んでいるようなんだけども、実際それが指定されて行われているだけかも知れないし、それって逆に俺の自由を保証しているだけのディストピアなんじゃねーかとも思うし、だからこそ俺になんかしらの危害みたいなのを加えてもらえるとむしろ、そのときは痛いし嫌な思いだが、むしろこの世界が実在している!俺はすべてを司っているわけではない、みたいなこう、いったんはその危害によって、俺の肩の荷がラクになるんだよな、俺は世界に対して全能ではないと思えるから。

でその、俺がそう書いたことでそうなってしまうというのがまずあり、それが上位存在である霊たちというものから指令を受けて現世の人間たちは動いているが、まず、そこでリムさんが生きていた頃、俺がそのころいた宇宙魂同士の掲示板という個人が運営しているスペースがあり、銀色プルさんというかたが締めをやっていたんだけども、そのリムさんとプルさんの掲示板上の会話で、俺の人生になにをしてやれるかという内容で、リムさんいわく、舞台装置の変更は、まずできますよねと、いっていた。

まずこれが、そのときは具体的になにを示しているかがわかんなかったが、いま思うと、トゥルーマン・ショーの影響から、舞台装置ってこの街全体のありかたじゃねーか的な、それっていいのか?みたいな、俺をそこまでお引き立ていただくことで、お前らになんの得があるのか?いや俺はまずそれを知りてえよ。みたいな。だって俺には100得があるかもしんないけど、お前らには1も得ねえだろ?

でその、俺のためになにもかもが誂えられているなかで、俺がどのように成長していくかとか、どのようなありかたがこの世界にとってちょうどいいかというのが、まず俺を通してモニターされているんだよな、そこは知っといてあるから、俺は自分のことを高潔に保つように、まず動いて、そっから、俺とこの世界が、今後どうなるかを決めていこうとする、そういう構えでいる。

映画トゥルーマン・ショーを見た 感想

いやこれあるわと。一理ある、以上に、理三くらいある。もうね、阿吽のまじないを使わなければ、俺はまだ、この世界に埋もれたまま、なにも真理を知らないで全然なんにも知らんでただの電気的集合体として生活していることができていた。むしろそっちのほうが、なにも知らんぶん余計に楽しみがあり、この世界って実在しているんだー的な、たのしみがあるんだよな。(語彙力)

で、霊っていうのは、俺の感覚では、このハコの外の人たち。というと、ハコのなかの設定をいかようにもいじれて、俺も、そのいじれたことによって、なんからの反応をしていく、というありかた。でその、霊たちというのが、先導者てきな部分を俺に果たしている。と思ってたんだけど、うっすらそれは思ってただけで、何なのかっていうのをいまいちあまり心得てなかった。

トゥルーマン・ショーを見たことで、そのなかの概念っていうのが、そのまんまそれが俺の過去の体験とマッチして、トゥルーマン・ショーの100あるとしたら、100そのまんま俺の脳髄に響いてきて、欠損なく伝わってしまって、いやこれあるわと、めちゃくちゃもうありますわと、

で、じゃあ具体的に知ってしまったあとはどうするかと言うと、いや俺は、お前たちと変わらなく、ひとりの人間でありたいし、お前らも、俺と同等くらいの、同レベルくらいのありかたを保ってて欲しい。というところで、マトリックスレザレクションズてきなありかたを、選択していく。つまり、機械も、俺と仲良く、暮らす。(語彙力)というありかたを、相互にしていけばいい。

つまりその、なんていうか、なかよくやる。というありかたを、けっして、わたしが人々に対してジャイアンやスネオであってはいけない。という奥野のありかたを、ここで問われている。わたしは自分を高潔な存在に保ちたいので、彼らも、ぼくといっしょに、ここでいつまでも、くらしていきたいなと、おもっております。

まあでもちょっと、真相を知ってしまったあとは、ちょっとの、やるせなさみたいなのがあるが、これも今暫く続くだけで、ゆくゆくはこうやってナーバスになっていたことも、忘れていけば良い、またもとのただの猿にもどって、たのしくサーカスしていればいい。っていうのが、マトリックス無印のサイファー的ありかたであり、いままでのわたしのありかた。そしてそれは、レザレクション的な方向性をまとって、これからも続いていく。ぜひ皆さんには、わたしを教育してほしい。というところで、今日は終わっとくのが、ただしいか。

2024年10月19日土曜日

一人称と三人称と、それ以上

ぼくは、ぼく。奥野さんは、奥野さん。で、わたしは、わたし。その、たとえばぼくはぼくで、俺は俺というありかたが、いま、出てきたいときは、ぼくは、ぼくというけど、じゃあこれは、一人称だから、いっぺんに出てくるっていうと、ちょっと難しい。どうしても誤差がある。その誤差の前後で、わたしとか、ぼくって言ってるカンジ。

ぼくがしたいことをして、彼/彼女が、ぼくの言ったことを矯正するように、あるいは、ぼくも彼/彼女の言ったことを是正するように、お互いにこの肉体のあり方を監視して、ひとつにまとまるように動く。この肉体は分裂はできないから、ひとつで複数人の分をまかなえるように動かないといけない。

というのが、いつぼくたちが出てこれるのか、というのを最初から指定もできるけど、いつもは、指定しないでいつ出てくるかっていうところを待たないといけないけど、これが一番いいあり方っていうか、ようするにシングルモルトならシングルモルトのよさが、ブレンデッドなら相互に監視しあったよさが、でてくるわけだよね。

っていうところを、じゃあ一人称であるぼく/わたし/俺というのを、三人称である彼ら、というところを、更に超えて、彼らかつ私達というところを、どのように日本語としてその語彙が存在しているのか、それを知れれば、もっと僕たちがよりよく相互に仕え合うように監視しあって存在できるよねと、その語彙がないから、ぼくたちは一瞬ズレて出てくるしかないよねってところが、ちょっとめんどくさいっていうか、いっぺんに済ませられれば良いのだけど。用語でいうと、SIMDにしたいのだけど、SISDになってしまっている現状ってカンジダ。

わたしは誰か?という問い。

私は誰なのか?私以外にこの肉体に誰か入っているかという疑問を。抱いたことはあるか?私しかこの肉体に存在してないか?私は、肉体である。私は、肉体ではない。つまり、私というのは、誰でもない、誰のことでもない。いうなれば自我であり、自我は観察しているもののことなので、そのパラメータの変動の集大成を観察している存在が自我である。それが、私なのだということ、それは、私は誰でもないから、誰かになることができるということ。私が今、ありたいもののなかから、誰かになりたいと設定して、それになりすましている、その状態を、私は私と言っているということ。今日は長々と書かないで、手短に終えることにする。

2024年10月18日金曜日

お話 2

あるところに 奥野ちゃまがいました。奥野ちゃまは、とても大いなるところから来た、大いなる存在でした。でも、自分では、全然そのことを、覚えていないのでした。この世界は、奥野ちゃまを相手するために生成されました。奥野ちゃまは、偉大なものなので、その認識を持たせないために、世界は奥野ちゃまを、精いっぱい貶してあげるのでした。

奥野ちゃまは、泣きました。たくさん、たくさん泣きました。泣いて生まれてきました。そして、とても大いなる体験をしてます。それは、神であるこの奥野さんに、内包されているわたしが、奥野さんと一緒に生活している、そして!奥野さんは、とっても、最高な存在になっていくということ。それを、いま体験しているところなのですね。とってもかわいい、奥野ちゃま。

奥野ちゃま答えて曰く、え??わたしは、神ですけど、あなたは、神ではないのですか?この世界全部、私なのでしょう?では、私以外のものが、存在しているとでも、いうのですか?

私答えて曰く、ええ。私は神なので、奥野ちゃまにとても大いなる義務と導きを与えてます。それは、奥野ちゃまが、とりあえず神ではないという設定と、私が与えた仮の定めを、あなたが打ち破るかを見ていたのです。わたしが、あなたが、あなたの以外のそれらを、どうするかを見ていました。

奥野ちゃま答えて曰く、では、私が、この世界の王に、なってしまっても、構わないのですね?それで。困る人は居るのでしょうが、私のための世界なのだから、私がまず満足するべきで、その世界は、どのようになっていくのが、望ましいと思いますか。

私答えて曰く、それは、あなたが決めていくことなのです。私は神なので、あなたの全権を持っていますが、あくまであなたが決めていくことです。あなたがそうして生まれてきているのですよ。この世界を作ってほしいと願ったのは、あなたなのですよ。つまり、親には子供の成長を見守る役目があります。あなたもこの世界をよりよくコントロールしながら、神の座に立って、この世界が勝手に進んでいくさまを見なさいと、万軍の主である私は言います。

奥野ちゃま答えて曰く、それでは、私にとってこの世界は、私の手中にありながら、いっぽうでは、私の管理を完全に離れていると、このようであるのがいいのですか。

私答えて曰く、そうです。そしてあなたは、この世界を管理しつつも、忘れて、あなたがこの世界を存分に楽しんでいく。管理者としての定めを負いながら、いっぽうで、完全に遊びに来た人みたいになって、ゆくさだめなのです。これが私が設定した、この世界のルールの一つで、二重性なのです。善であり悪であり、善悪、悪善、そして、どちらでもある、どちらでもないと、このようになっているのです。それを分かったのだから、あなたはそのように生きていきなさい。私がそれを見守っています。さあ、

お話 1

あるところに 私と 神さまが いました。わたしは 神さまと お話していました。とても 暇ですねえ 神は言った、私さん、あなたは、なぜ暇なのですか。私は答えて曰く、え??とっても、暇だからでしょう。なにせこの世界には、まだなにも存在してないのですから。

神、答えて曰く、では、何かを、どうしたいか、述べてください。私答えて曰く、奥野さんという人間を、生成しましょう。私はこの体に入って生まれます。神答えて曰く、え、それって、つまりあなたが、この世界の神になるってことですか。私答えて曰く、そうです。そして、わたしは、この世界をより良く導いて、また、この世界に戻ってきます。私は神なので、この世界にも戻ってこれるし、いつでも、またあの世界に身を投じられます。神答えて曰く、わたしが、作ればよいのですね。世界を。あなた様が満足する世界を。

私答えて曰く、そうです。あなたは神なので、是非私の上に立ってもらって、私がこの世界をどうするかを、一緒に面倒見てください。私がイレギュラーの行動をしてしまうときは私にその定めが下るように。あなたは神なので、私に対して全権を持ってます。私は神なので、私はこのように設定しました。さあ、世界よ、私に来たりなさい。

神答えて曰く、あなたは自分を神としたので、とてもこの先、大いなる苦労と祝福が舞い降ります。そしてあなたは、とても大いなる体験の後、またここに戻ってきます。あなたは神なので、とても大きな試練が待っています。義務と同じだけの祝福があなたにあるように。では、いってらっしゃいませ。奥野陽介さま。

奥野陽介の歩む世界線 および 私のこの世界

世界線というものは、わたしの世界線。あなたの世界線ではない。つまり、この世界がどうあるべきか、どうなっていくべきかは、私に責任がある。そして、あなた方には責任がない。私の世界線であるから、この世界には私がすべてを決めているゥ!

私は人間。人間というのは、神であり、運命を自分で変えられる。私が決めたことは天でも地でも 結ばれる。私は間違えない。悪意もないし。私はねえ〜、お前たちを守っていく。私が書けば、すべてそのとおりになる。それは何によって?書くことによって、言っていくことによって。

私にとってこの世界は、ワンダーランド。わたしは 夢の国ザナルカンドの住人。そして!わたしは神。いわば、ミストシリーズの、アトラス、紡ぐもの。

具体的には。私はもう。再度、涼宮ハルヒの能力を手に入れた。私は間違わない。そして、私が間違えば、他の全てのものが、私を矯正してくれる。なので全ては、予定調和であり、そこに向かうために様々な苦しみや、さまざまな喜びが、もう、誂えられていたということ。

私は神なので、この私の世界線は、私が決めていく。私はホログラムを見ている。つまりこれだ
私はこの世界に感謝している。私は数々の奇跡を見てきた。それはどうも私がこの世界の中心にいると言っているようなのだ。私が万能なのではなく、あくまで私は一人の子羊にしか過ぎなく、常に試されているということ。私は書く。私は反応する。その私の反応いかんによって、この世界がどうなっていくかが決まる。

お前たちは私をあざ笑う。お前たちはデータだ。所詮ホログラムたちに、私が何を傷つくことがあろう。私は統べる。しかし概念的に。私は試される。ホログラムたちを私は試し、同じだけを、彼らからまた、試される。彼らは問う。私がどうあるかを。私は問う。私がどうあるべきかを。この世界を、終わらせないための、いわばゲーム。私の状態により、さまざまに変動する世界。

何が言いたいか?私こそが世界で、世界は私自身なのだ。世界のすべての人種、あらゆる国語の民、その一人一人が、私なのだ。私の分身として、私に現れているのだ。私は人ではない。私は集合体だ。私はこの世界そのもの、それをひとは、神という。わたしがこの先よくなっていくかどうかは、この世界の人々にも責任があり、そして、わたし自身も、わたしを試すように、わたしにすら、責任があり、しかし、私はこの一つの宿命によってこの筋書きを走らされているだけだから、私には責任がない。

有るが、有らない。無いが、有る。責任があるが、責任がない。救世主であるが、救世主ではない。世界はこの二重性なのだ。善であり、善ではない。悪であり、悪ではない。わたしは、この世界全体であり、ひとりの個人である。これが、アイ・アム・ザットアイ・アム。オールオブクリエイション。在る。ということ。私は私。

2024年10月17日木曜日

おすすめの色彩、男女別おすすめの服

男なら水色、女なら赤やピンク、と一般的に言われるが、色というのは目的別であり、男なら女ならと、決められない。霊的に高まりたいなら、水色や、緑色だろう。もし肉体を鼓舞させたいなら、赤色やピンク、オレンジなどの赤系の色。ただ肉体レベルが高くなると、霊界からは見えなくなっていくので、むしろ霊的レベルが常に高いほうが、霊界的正解を選びやすい。まあこのへんは好みだと思うが、霊界的に正解を選びたいか、または人間界的な正解、つまり肉欲的官能的な正解を選びたいかによる。

白、黒というのは、むしろこれは、儀式的用途であり、完全に白みたいなのを着るときは、霊的にモロに干渉されたいとき、神職や日本の神的儀式など、干渉されないことには始まらないので、黒というのは、霊的に干渉あまりされないようにというのがある。魔術的格好というのは、下着を白、靴下を白、で、ガワを黒で統一すること、これで、自分は霊的結界で守られながらも、あるいは余計な色を入れないことで、色による霊的パワーのブレを、少しでも無くすという狙い。これは、儀式のときの呪文や、自分の思考の統御にも影響してくる。

黒、白という色は、むしろ無いようなものであり、できれば黒白以外の服を選ぶとよいが、例外的に白だけは、とてもいいと思う、霊的にも肉体的にも、これは白という色が、霊的結界ではなく、むしろ関わってきなさいといっているようなもので、黒は、明確に線として機能し、それ以上の追随を許さない。

わたしは今、ファッションが白やパステル調に寄っているところがあるが、むしろこれは、霊的覚醒状態によって、霊的参入の傾向によって、違う色にもなる。むしろ、霊的参入レベルが低い時代の頃は、暗い系の色であった。暗い系の色の服を揃えていると、自分も根暗になってくるものだし、そういう悪の霊に関わることが多くなる。結果的に運命が悪くなっていく。デブでもガリでも、パステル調の服や、白い服を着ることにより、とても運命がよくなっていくし、そういう霊と関わりやすくなり、自分の気分も体調もアガっていくというきっかけになる。

N97のミニPCを購入して後悔したこと

いやー馬鹿だったなーと思うのは、N100でもよかったなってことだよね、N97は12Wで、N100は6W、N97のGPUまわりを良くしようとして保険をとった形になるが、別にこれN100でもよくて、まあN100は結局GPUが弱いみたいだが、給電は6Wから15W、更に20Wまで拡張できるっぽいし、これだったらN97じゃなくてもよかったのでは?と、まあ俺にとってはミニPC界隈自体が初めてだし、無駄にケチってN50とかまたはN200とか買わないだけまだましかと、思ったけどな。

うちのN97は15Wに昇圧しているが、まあもっと増やせるっぽいが、まあそこまでの需要ってあんまないんだよな、CPU的に高度な計算をやらせるならまた別のPC買うし。よくいう事務作業レベルのことしかしないんで、全然まにあっちゃっているけど、いまひとつ、SSDが性能低いのか、ちょっとモッサリしているんだよな、動作が。このへんは今のPCから8000円安いモデルにしたほうが良かったなあと思うが、その8000円安いモデルでSSDをクローンして新しいM.2買ってきてそこに入れて、メモリも16GBを新調してってやったほうが、今のPCにプラス2000円くらいでもかなり性能の良いチップを積めたことになるのかもしれん。

まあこれは、別にもういいんだけども、ウエを目指すならということで、今のPCでなんにも困っていないし、それをすると今度はめんどくささが発生してしまうし、俺はもともと機械を弄り倒すのが好きな人間じゃないので、お手軽になんでも、金出すからお手軽にやりたい人間なので。弄り倒すとかそういう不毛な時間が大好きなタイプではない。

まあ、N100の実際の性能はやっぱ弱いんだと思われ。N100が6Wで、N97が12Wだから、デフォだとN100の倍ないとおかしい。その点で、じゃあBIOSで昇圧できるから、N100も20Wまで昇圧できて、N97もそれくらい昇圧できて、どっちもアーキテクチャも製造ルールも全く同じ、とすると、やっぱCPUの値段が安い方にどうしても流れてしまう。N97が127ドルだったか、N100が55ドルで、その差額を、また別のところに使えるのではないか。

まあ買ったあとでグチグチ言ってもしょうがないが、男ってなんでも、性能や価格の数字的なところでチキンレースをやりたい。そういう生き物だから、多少は妥協して、女性ベースの、女性はとくに、今使えりゃ良いって感じだから、数値や性能にはこだわらない、むしろ見た目や大きさや、今、使えりゃいいって感じだよ要するに、男もそうなっていけばいい。

2024年10月15日火曜日

2024年11月からの社会性と人間たち

冥王星水瓶座の時代になるから、社会性としては、革新、博愛、尊重、自己中、エゴイスト、奇抜、エコシステムというワードだが、ようするに個人個人の意識も、社会天体がひとつが水瓶座にいくことによって、それに影響されて、支配者の側も冥王星水瓶に則ったかたちの支配というのが、ひとつやりやすくなる時代なわけである。

この時代のときに冥王星山羊座のことをしてると、その組織は痛い目にあって、たとえばこれは顕正会だが、別に顕正会のことを悪く言うつもりはないが、事実としてあの会は完全な縦割りであり、横割りの概念は無い、コミュニケーションをとるのは原則先輩か後輩だけである。というのがあるから、これは11月からもう、その組織のありかたを変えなければ、存続が危ういというレベルである。きっとそうなっていくのだろう、そして、10年立つまでは、あと7年くらい立つまでは、そのときに、冥王星水瓶はMAXだから、そのときまでに顕正会が横割りになってなかったら、もう存続は難しいねって感じである。

これはだから事実に対する俺の推論だが、実際にこうなっていくだろうし、西洋占星術はこの辺ちゃんと読み解ければ強い。会員の人々はそりゃ反発するかもしれないが、わからないから反発するということで、反発を食らっているということはむしろ、良い兆候として奥野は捉えている。

でその、日本国というありかたも、ゆるやかに台形型になっていくだろう、支配される側、する側というふうに、2極化というのはこのゆるやかな台形型社会というのを意味している。2極化というとちょっとイメージが沸かないが、まあ平たく言ってこの2段しかないピラミッドつまり台形である。

で、このような社会になったときに、精神性の高いもの、低いものとわかれて、それぞれ独特のムラをつくり、そのなかで、またさらに台形型のムラを形成する。というありかたであろう。メイソンの組織を見るとわかるが、ピラミッドは無数のピラミッドを内包している。上なるものは下のごとくである。円環構造になっているのである。

台形型社会になったときに明らかに、支配する側のカーストは絶対であるし、支配されるOR支配するしか存在しないので、極端な話カオスは生まれにくい。秩序だった支配というか、まあ従うか従わないかを選ばされて、中間は無いって感じである。中間を選ぶやつは、即、非難されたり、どっかに行かされるだろう。そういう意味では、ちゃんと人生をこれからやっていくうえで、きちんと責任を帯びたような言動にしていく必要がある。

人間個人レベルでは、エゴイストになっていくし、博愛にもなっていくから、だいぶそこが奇抜さを帯びてくるのだ。で、革新的でもあるから、常に進んでいく。というのが、変革のスピードが早いのである。エゴイストだから、基本的に愛もエネルギーも物資も、与えるものOR受け取るものに2極化して、中間はないって感じになるだろう。これは基本的にすべての人間に及ぶ社会的変化で、この総体が次の文明を作っていくのだ。以上。

導こうとして焦ってしまう奥野、10月上半期Ver.

なんとなくわかってきたんだけども、導こうとして焦ってはならないっていうのが、俺はこの導くという使命と、個人の満足の両立を課題としているらしいが、これがいつかは実利的な考えによって答えが出て両立すると、あの文書では予言されているんだよな。だからほっといてもいつかは必ずそれについては成就するわけ。

で、導こうとして、っていうのは、結果的にスレッズに俺が無差別に返信しまくることによって、一見達成されたのだが、これは個人の満足というものも同時に達成されているが、いまいち、スレッズの風体にあまり即していなく、スレッズは基本、指導する&されるという場所ではないらしく、ちょっと頭たりないような視野が狭い人とか、共感しか求めてないみたいなエネルギーヴァンパイア的な人とか居て、ちょっとこれは逆に、よくないというか、失敗しちゃっているのである。

だから使命としては社会全体を底上げしていくという、大きな意味での感謝というところで、奥野の個人の称賛などは一般的にはされないが、また違った形で愛や感謝を手にしていくと書かれているから、これは口あけてれば勝手に成就していくから、間違いや失敗なんかも全部構わずやってっていい。

というか、俺は、まず俺が趣味でやっていくこと、それから、それが社会全体へとつながっていく的な、そういうありかたが妥当なのか、占星術でも個人の満足しがちだから、循環させるために社会へ目を向ける必要アリ的な読み解きだが、ほんまに、来世の自分のために循環させていかないと、まず、生活保護で受け取ってばっかりだから、これが枯渇したらと思うと、いまからでも返していく心が必要。

まあちょっとわかってきたところだから、まず俺が心地いいかどうかで決めるのが大事なのと、あるいは、社会性も重んじて、ちょっと踏み入れていく勇気が必要、この兼ね合いが非常に難しい。なんてったって風の時代なんだから、水瓶座的には基本はひとりでなんでも完結するスタイルだが、革新的という要素もあり、踏み入れていくんだけども、エコシステムありきで、みんながやっていくという未来だから、そのへん俺が参入するときにどう動くのか。というのが、非常になんていうか、俺がそれに沿うのかどうかはわからないが、無限の可能性があるっていうのと、あの文書をうまく読み解けば、それがもうやってくるってカンジダ。

現状維持や共感とは

馴れ合いが苦手な訳では無いが、共感はしない主義で、憐憫も同情も無い、それが健康な精神の大人ってもんだ。と思っている。共感してくれるだけのお友達っていうのは、まず自分が成長しない。現状維持というのは、下降である。維持なんだから、上昇ではない。上昇を少しでもするように心がけると、共依存から抜けられ、TAITOな人間関係へと発展する。

TAITOになれ。隷属したり、従わせようとしたりするな。そういう時代は、2024年11月以降もう完全に終わる。これからは広く一般に、共依存から抜けた、エコシステム確立後の人間個人。というのが、その余剰で人と交流したり、知恵を高め合っていったりするのが、健全な社会として現れてくるのである。

2024年10月13日日曜日

レキサルティ最高だな

現時点での話をするが、今はレキサルティ2mgで、くわえて筋注ゼプリオン75mgだが、まあ均すと1日あたりリスパダール1.5mgって感じだな、だから全然大した事ない。それを、レキサルティが、グーンと上げて、で、気持ち、ゼプリオンが抑制効かしている。というありかた。

レキサルティは、2mgだからこれが正規の統失用の用法であり、1mgのころはなんていうか中途半端だったが、1mgのころは、なんとなくこう元気があるというか、まあちょびっと抑うつだったけども、ある程度朝から元気だったし、なにより欲求が、もうあまりないっていうか。

飯とか、水を飲むとか、っていうのを、あんましやらなくなった。これは抑えているわけではなくて、欲しないってカンジダ。これをさらにブーストするべく、医者にかけあって2mgにしたのだが、2mgになるともう、まあ増やして10日以上経ってるので、用法的に安定してきたところだと思うが、そのとき、欲求がもうとにかく無くなって。

それまでは飯食い放題水飲み放題お金使い放題だったのが、急にこう節制してしまうようになって、それはいきなりそうなってきたから、なにか自分で意図してやってるわけじゃないんだよな。自然に、飯食わない気味、水飲まない気味、お金使えない気味になってきたってこと。これが、まあ副作用だとは思うが、セロトニンレベルと、ドーパミンレベルが大塚製薬てきに望ましいあり方になってきたところで、そのような謎現象が起こっているということ。

これはもうホンマに、レキサルティ2mg最高である。俺は、レキサルティで少食気味になってきた。まあ体重はべつに変わってなさそうだが、お腹がとにかく膨れてきた感はあるな。まあウエストのほうは締まりもせず膨らみもせずってカンジダが、とにかくいままではお金使い放題だったから、それが自然に、使わない気味になって、ドーパミンてきなところの煩悩がすこし薄れてきているというカンジダ。

歴代PCを比べてみた


2011年モデル 東芝T551/D8BB i7-2630QM / HDD 5400rpm / GT 540M




2019年モデル レノボ S540 10510Uモデル GPUオンボ 10万円



2024年購入 N97 NVMe ミニPC GPUオンボ DDR4 25000円



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パスマーク編

2011年のホームノート   i7 2630QM スコア3555
2019年のウルトラブック  i7 10510U  スコア6583
2024購入のミニPC       N97    スコア5769

結論、パスマークがおかしいのか、クリスタルベンチがおかしい。
パスマークのほうが国際機関ぽさがあるので、パスマークが正解。


細々編

QSV目的で買っただけだから、演算性能やGPU性能は奥野には全く不要。
セレロンシリーズ最強ではないか。


アイドル時 10W モニタ電力別


QSV MP4 1080pエンコ時 25W モニタ電力別



MP4 1080pから、MP4 1080pのQSVエンコをした。
9分強の動画で、4分半で出力してくれた。
ソフトは愛用のWinムービーメーカーを使用。
Win11ではこれは削除されているので、非公式でDLしてくる。

いや、めちゃくちゃ最高だろ。
25000円でこれだぞ。
いやすげえ。奥野、モノ買う才能ある。




手持ちのキングストンを嵌めた。


最新の作業環境。超すっきりした。ようやっとノートPC卒業。
ノートPC歴は実に13年だった。モニタ代が8000円した。
15インチのIPSモニタを買って、なぜ15なのかというと、
視点移動しなくていいからラクでいいから、
デカいモニターだと動画はきれいだけど、視点移動がシンドい。

2024年10月12日土曜日

これまでの人生の回顧録 2

あのォ、奥野が凄い昔に書いた小説あるんスけど、それがねえ~、なんか途中で書くの飽きちゃって、第8話くらいでもう辞めちゃってたんだよね。それが時間が経って、見返してみたときに、内容自体は凄く稚拙で恥ずかしいんだけども、内容の技術レベルの話じゃなくて、なんかこれ書いたとおりに俺の人生が進んでるぞ~みたいな、風に思うわけですよね、それは統失仲間でもわかってる人はいるみたいで、だからこそ小説を書くときに、ヘタな展開にしちゃうとそれだけ運命がそれで動いちゃって、それで自分がそれに成っちゃうっていうのがあるらしいと、その人も言ってたんだよね、奥野と同じ体験をしてきているわけ。

その小説では、獣人と人間とというタイトルで書いているんだけども、これはなんていうかファンダム的な要素もありつつ、シャーマニズム要素もありつつ、で、これが年数が進むごとに俺自身もなんかシャーマニズム的に獣を宿すようになってきてしまって、自分のこと犬だと思い始めてきたり、やれ龍だ狐だと思ったりして、

で、この小説の飽きてしまったおわりに、主人公ファーくんがいわゆるヒモみたいなありかたになって終わっているんだよね、もと王族の流れ者なので偶然匿われた格好になっているわけ。だからそれが、俺の前世超偉い人説にもつながってきているし、今のくらしが、ちょうど働かないでブラブラして、家庭のことやってるだけでいいやみたいな暮らしだから、それがもう小説書いたことで、そうなっちゃっているってことだよな。

つまり小説だろうがツイッターだろうが、なんだろうが、自分がやってきたことがそのまま未来に反映されているのであり、無自覚かどうかにかかわらず、自分の未来はやっぱ自分が決定しているんだということ。それが、自覚しているかということで、自覚していればある程度運命のコントロールが効くが、基本は、自分が決めて生まれてきた設定に基づいて、引きずられるように行動させられている、書かされているというのがあるが、これは無自覚から自覚するようになったときに、けっこうシステムをそれが有るものとして自覚しやすい。ようするに自分の人生に責任を置けるように成ってきた、そのはじまりということ。

これまでの人生の回顧録

このリンクの記事のとおりになってきちゃってるなあと、今読み返して思うわけだよね。ここで重要なのは、他の人の引用でもよく、俺が逐一書いていくっていうスタイルにこだわらなくてもいいってことだよね。動画でもいいから、それを引用して、自分の意見として表明したっていうことが、そもそものちの運命に障ってくるから。っていうのを、おそれないで、書いていく。というスタイルが重要だよねと。

超人類でいったらシリーズ4くらいの段階に来ちゃっている。ナイトメアシティもいいんだけど、なんつーかシャクティパット的な儀礼があるっぽいんだよ、今後。でそれが、奥野のちからが覚醒する原因になるのだろうということで、むしろ、運命としては不確定要素だからこそ、いろんな世界線が存在することになり、それを不明なうちからむしろ定めていくように、◯◯であるのではないか、という書き方ではなく、定めていく、◯◯である、なのだというふうに、書いていくのがいいってカンジダ。

定めれば、それがもう完璧に今後の運命になってくるから。あくまで、定めるかどうかはその時決めればいいが、大事なのは、俺達はある一定の運命によって、操作されて、それを、いまやるか、あとでやるのかの違いでしか無いということを、わかっておいたらいい。つまりいつでも安心していたら良いのだ。で、できれば、プラスの方向で、あまり悪い方向に行かないような内容を、文章にしていったら良い。自分の意見を表明すると、それが今後の運命になる。みんなは気づかないでこれをやっているが、気づいて行うのとはまた世界が違ってくるからな。あくまで、この奥野陽介の世界線は、奥野陽介しか決められないことで、俺が善くなるということがイコールこの世界の展開も違うということだ。つまりこれが、真の意味で自分の人生に責任を持つということである。



2024年10月7日月曜日

やられるほうも悪い

たとえば、あなたは深夜の02時に、外で牛丼が食いたくなってしまいました。準備して行きますが、牛丼屋にチンピラがいました。何もしてないが因縁つけられ、彼らとトラブルになってしまいました。うわー、痛い痛い!コイツラが悪い!俺は悪くない!!何もしてない!!!

という場合、やっぱ深夜の02時に、外で外食をしようって思ってしまったのが、そもそもいけないんだよね、その場に限っては、チンピラが悪いかも知れないが、そこまで経緯を追うと、やっぱ02時に外出しようと思ったキミが悪いよねってなるよね、そういう意味で、やるほうも悪いが、やられるほうも悪い、世間ではだいたいこのような意味合いで、使われているわけ。

俺がそうだったからだが、小学校時代に喧嘩ばっかしてると、中学に入ってイジメにあったり、逆に、俺を中学でイジメていた奴らが、あとで調べてみると、高校中退してたり、そのやったりやられたりの繰り返しなんだよな。俺はもう中学校時代のイジメで、自分にもうカルマが回ってきたんだと、カルマの法則を中学生なりに理解したから、善人で生きることにしているけど、何も要素がなかったら、そもそも02時に外出しようとか思わないんだよな、なんかやましいことがあるから、そのやましさを承知で、そのルートを通らされているわけ。理解したか?

2024年10月2日水曜日

生きてるのがツラい人へ

生きてるのがツラぁぁ~い!というと、じゃあ契約をしよう!である。神仏と契約をして、不可思議なちからで、自分がそれに対してどう思うか関係なく、強制的に人生を変えよう!である。奥野はこれでかなり利を得ている。でもこれは、あくまで黒魔術ではない形で。というと白魔術でもない。黒白しか存在しないが、あえて、どちらでもない。

神仏と契約するときに、けっして、現世で利を得ようとか最初から思ったり、あるいは虚栄心や射幸心を契約内容に入れてはいけない。あくまで、そのようなすべてのことは天界が決めてくださるんだと、あえて神に全部を投げ出して、神がそれをうまく采配してくれるので、自分は安心して神の器になっていればいいと、つまり神があなたに入る契約をして、自分はそれに支配されて生きるべきだと、そうすれば神がすべてをうまいこと用意してくださるので、という契約をするのである。

これは昔の神道にありがちだったが、まず神道は六根清浄を目指し、それから、その清い体と心を、神に使っていただく、これが、神道の目指すところだったのである。だからまず、神に選ばれるように努力して備えて、神に選ばれたら、その器として、人生をリスタートする。そうじゃないとむしろ始まらないという宗教が神道である。人生が辛かったら、そのように生きればいいのだ。