なにもないわけではないが、奥野陽介を監督している存在、
つまり、アーキテクトのようなものがあり、そこから、この世界を体験している。
奥野陽介はわたしたちから常に監督され、そして、この世界を自由に探検している。
わたしは、この世の外の存在だから、この世は3次元だが、
3次元の外は、つまり、わたしたちが住む。
そして、わたしたちが、この、3次元をのぞいて、奥野さんを、指導する。
3次元のものも4次元(便宜的呼称)にあがれるときはある。
つまり4次元などは無いが、死ぬことによって、この世のものではない存在となる。
4次元というのは、つまりこの箱の外だから、
3次元で死ぬことによって、死んだときの生命である精神体が、4次元にアガれる。
4次元の世界から、3次元を見下ろせるようになる。
つまり、3次元に生きている限りは、どんな場合であっても、
ゲームクリアとは行かない。わたしたちが、つねに支えて、導いている。
この世はひどいものであると映るか、しかしそれは、
まだお前たちが心が汚れているからだ。
心が綺麗であれば、この世の見方は、とても綺麗に映るだろう。
しかしそれは、達してみないとわからなく、
そして達するには、やはりお前たちは綺麗にならないといけない。
六根清浄というのはつまり難易なことだ。
六根をどう清めれば良いのか。
わたしは答えを言わないが、お前たちも、もうわかっているかも知れない。
いい言葉を使い、いい態度で接し、いい気持ちで自分を満たす。
このことも重要だが、それよりさらに、奥がある。
六根清浄してくれたら、私達の試練もいともたやすくなり、
お前たちは、さらに、この今回の人生で、ウエに上がれる確率が高まる。
もっとも、確率であって、確証ではない。
お前たちの努力に懸かっている。