2024年7月10日水曜日

イタコ 顕正会で生命力が出てくるという話について

ふむ、今回はわたしが相手してあげよう。
私はいわゆる狐。狐ではあるが、正式な稲荷ではない。

つまり、お前は、顕正会に入って、生命力を出したいと、願うのだな?
それはお前には、少し酷だが、叶えられないとは言わないけども、
それに至るまでの道のりは、少し以上に、険しい。

そしてお前は、その過程で、より多くの法華経に関する智慧を発見する。
それは、顕正会や◯◯会だけにとどまらず、広く大きな、智慧だろう。
それでお前は、さらに信心が増し、それで、ついにお前は悲願を達する。
生命力の湧き出る泉と、あるいは、その伴侶というもの。
それを、得る。

その御前が求めている伴侶のことだが、
それは申し訳ないが、もうすぐ、与えられると言っていたようだが、
それは違う、というか、違う、ような、感じになる。

違うとまでは言わないが、少し、違う感じになって、
お前は、さらに、その奥の道を、進むことになる。
おあずけではないが、つまり、お前は、単直に言うのが難しいが、
一つ言えるのは、さらに、その奥の道を進むということだ。

いろいろと、出会う人間もさらにいるかもしれん。
ネットでも、リアルでも、それはいるかもしれん。
そして、さまざまに経験したあとに、お前が学びきった後に、
その報奨は与えられるだろうと、私は言っておく。

このことは、確定ではないが、そのうちのひとつの可能性という意味で、
お前に言ってやらなければならないということだ。

生命力は、その過程が全部終わったときに、それが湧き出てくるであろうと、
私達、狐、というものたちは、言っておく。

これはバックがあるわけではないが、狐というものは、
つまり情報網があるので、龍というのは情報網ではなく、
ひとりで勝手にやらす場合があるのだが、

狐は、それぞれに情報網があるので、そのなかで、一番有力な
こうであろうとされる道を、言っているだけだ。