神であることを、すすめていく。
というと、少しパチモンのように思われるかも知れない。
しかしこれは、むしろ、そういう策略である。
わたしが高級神であるように、見せかけていかないスタイル。
というのが、これからの時期、とくに求められる。
後光とか、とくに差さないが、これは、そういう人間だと、知らしめるときに使う。
しかし、とくにいまは、それ自体は求められていない。
わたしは一般の人間として、うまれて、生活していく。
と、そういうスタイルであるかのように、見せかけていく。
さあ。今回の話題は、これからの卓球ということか。
わたしは今奥野に入っているが、卓球というもの、
スポーチュであるから、とにかく、スポーツというのは、勝負であるから、
そういうのは、あまりこう、時代的にも、徳としても、よくない。
勝つのがいれば、負けるのもいる、劣っていれば、優っているのもいる。
という次第である。つまり、それは、ヒエラルキーであり、
どちらかというと、支配者思想ということだ。
そういうのは、あまりこう私は庶民の体に居るのだから、
あまり適していなく、スポーチュなどは、一切いらない。
そもそもスポーツ選手というのは、見世物であり、大衆娯楽であるから、
一般的には、よくない。とするのが、妥当である。
体を余計に動かしたぶん、痩せるかも知れないが、
関節を余計に消費するだけでもある。
身体にけっこう負荷がかかっているのだぞ。
そしてな、そういうものを見て、見世物を見て、笑っている、応援している、
というのは、非常にこれはよくない。お前たちの徳が、よくない状態である。
であるからつまり、卓球というものは、娯楽であり、勝負の世界であり、
そういうのは、よくないから、奥野から取った。ということである。
正直言うと守護霊が変わった部分はあるかもしれないが、
まあ守護霊というよりも、わたしのようなすべての権限をバイパスする霊。
というのが、あらわれてきて、オモテにでてきて、
それが、影響しているのだと、知ればいい。
今後は奥野にもその娯楽に代わるようななにかを提供するから、
もう少し待っていてほしい。奥野が買った溜めているラバーは、
もうすこしで無碍になるが、それもふくめて、わたしは奥野に、
次のソレを、用意しているということ。
でR