2024年7月17日水曜日

2024-07-17 これからの卓球、これからの展望 with 奥野 イタコ

わたしは。奥野陽介の担当神。
神であることを、すすめていく。
というと、少しパチモンのように思われるかも知れない。
しかしこれは、むしろ、そういう策略である。

わたしが高級神であるように、見せかけていかないスタイル。
というのが、これからの時期、とくに求められる。
後光とか、とくに差さないが、これは、そういう人間だと、知らしめるときに使う。
しかし、とくにいまは、それ自体は求められていない。

わたしは一般の人間として、うまれて、生活していく。
と、そういうスタイルであるかのように、見せかけていく。

さあ。今回の話題は、これからの卓球ということか。
わたしは今奥野に入っているが、卓球というもの、
スポーチュであるから、とにかく、スポーツというのは、勝負であるから、
そういうのは、あまりこう、時代的にも、徳としても、よくない。

勝つのがいれば、負けるのもいる、劣っていれば、優っているのもいる。
という次第である。つまり、それは、ヒエラルキーであり、
どちらかというと、支配者思想ということだ。
そういうのは、あまりこう私は庶民の体に居るのだから、
あまり適していなく、スポーチュなどは、一切いらない。

そもそもスポーツ選手というのは、見世物であり、大衆娯楽であるから、
一般的には、よくない。とするのが、妥当である。
体を余計に動かしたぶん、痩せるかも知れないが、
関節を余計に消費するだけでもある。
身体にけっこう負荷がかかっているのだぞ。

そしてな、そういうものを見て、見世物を見て、笑っている、応援している、
というのは、非常にこれはよくない。お前たちの徳が、よくない状態である。
であるからつまり、卓球というものは、娯楽であり、勝負の世界であり、
そういうのは、よくないから、奥野から取った。ということである。

正直言うと守護霊が変わった部分はあるかもしれないが、
まあ守護霊というよりも、わたしのようなすべての権限をバイパスする霊。
というのが、あらわれてきて、オモテにでてきて、
それが、影響しているのだと、知ればいい。

今後は奥野にもその娯楽に代わるようななにかを提供するから、
もう少し待っていてほしい。奥野が買った溜めているラバーは、
もうすこしで無碍になるが、それもふくめて、わたしは奥野に、
次のソレを、用意しているということ。

でR