しかし、自分で考えて無いっていうのは、
自分で考えて筆記してないっていうのは、まずある。
この文章は、奥野陽介が自我で書いているものだが、
自我で書いてるっていっても、多少は霊界のアシストが入っている。
霊界アシスト無しで文章書くことはできない。
レンズの製造時に絶対入るUVカットコーティングみたいなもんだと思われ。
余談だが、どのレンズでも絶対にこのUVカットは抜くことが出来ない。
レンズの解像度を優先して、まっさらにしてほしいといっても、
絶対にこのUVカットの工程は入ってしまうという。
このレベルの、話。俺の書く文章において、
多少なりとも俺が考えて作った文章は、通常イタコとは呼ばない。
そのへんはもう完全にわけて書いている。
通常イタコは、フルで全部イタコ文章。
しかし、フルといっても、ある程度は、散文にならないように、
方向性を、自我で導いてやる。とするのが、いわゆる予言者型の霊媒。
マジに全部イタコだと、脱魂型といって、
自我をいっかい全部霊のものに交代して、書かせるから、
ほんとうにぐちゃぐちゃな文章書いてしまうかも知れなく、
そこはある程度自我の監視が効くという意味では、予言者型の利点である。
だから究極、俺の書いてる文章っていうのは、
俺が自我で考えたものも多少はあるが、
基本は、ウエから降ろしているものにすぎなく、
そこに自我が多少色をつけているというか、
うーん。だからイタコっていうと完全なイタコではないから。
そのへんが奥野はただの精神病説になっているのだろうか。
お前はイタコじゃねえよただの精神病だよ説。
まあこのへんは予言者型っていう類型を、その人が理解してないからだろう。