2024年7月31日水曜日

貧民卓球 LOKI RXTON1の感想 軽く打ち編

いや、テンションっぽくないね。
テンションっていうともっと弾むイメージある。
内能って書いてあるのになあって。

まあ旧パッケージには書いてないけど、
もしかしたら、新パッケージのから
テンションになっているのかもしれない。

旧パッケージをまず貼ったから。
玉突きでは、あんま対してコルボルMAXと変わんないなあっていうか。
全然コルボルと変わんない。

打った感じ、ビヨーンと飛び出す感じは全然ないが、
むしろ自分の力で飛ばす感じが強く、
いやこれはテンションとは言わないでしょ普通って。
ライトテンションにしてもテンションが弱い。

硬いテンションは俺は一度も使ったことないから、
いうて狂飆ネオ3なんかはこんなもんかもしれないが。
まあ今回のはテンションは已打底タイプじゃないから、
最初から大きな隙間が空いていた。

ラケットは馬林ハードカーボン、
バックにはヴェンタスレギュラー2.0である。
むしろ両面RXTON1でも全然使えそうだった。

ラバーの硬さはヴェンタスレギュラーとあまり変わらないようだった。
中国ラバーらしくなく、けっこう軟らかいのではないか。

フォアにはいつも硬いのが俺は好きなんだけど、
コルボルの延長線上で、感覚としては、それよりもちょっとだけ弾む。
ドライブやスマッシュのミスが少なくなったように思う。
ちょっと飛ぶようになったっていうところが、
ミスの少なさを助けているのかも知れない。

後は今回は家庭用卓球台でやったので。
台が小さいから入れるのが難しくてだいぶミスが多いが、
また地区センターにでもいったときに感想書いてみようかと思う。


結論:コルボルでもいいね

2024年7月30日火曜日

イタコ 奥野の卓球2024後半の予定

あくまで、これは私達が書くからな。
実際の行動は、それを考えて、お前がちゃんとやればいい。
そのとき、私達がこうして書いたことは、いっけん無意味になるが、
それがあるからこそ、お前はさらに、それを越えてやれることだ。

はい。では、私が語っていきましょう。
私は、奥野陽介さんについている、ある種守護霊のような立ち位置の霊です。
つまり、奥野さんは、このあと、なにかがおこって、
それから、そのところで、好きなだけ、卓球をすることができる。

奥野さんといえば、卓球は外せないようなので、
それを満たすように、霊界がその場所で、卓球会を見繕ってくれる。
と、申しますか、それまでは、少しちょっと、窮屈な卓球と言うか。
まだ肉体を伴った卓球であることは、いえるでしょう。

まあしかし、卓球というのは、私達にとってはどうでもいいですが、
奥野さんの喜びに関しては、とても大きいものがあります。
つまり、それだけ価値を産めるということで、
感情を食う私達にとっては、喜びが大きいほど強いエネルギーが。
というわけなのです。

ですから、感情をもっと、その場でダイレクトに出してもらうために、
その所に行って、あなたの好きなことをやって、
あなたが霊界で契約したことも、そこですべてやれるので、
そこにいってから、卓球のことも、そのほかすべてのことも、
考えればいいと思います。

ちなみにそこにいくのかが、いつなのかというと、
それはまだその日は言えないのですが、
もうまもなく、やってくるでしょうと、いっておきます。

天照

2024年7月29日月曜日

イタコ 狼少年的 奥野ご逝去話

いやこれは。狼少年などではない。
お前は必ず逝く。しかし、お前は、わからないかもしれないが、
その、私達が立てて、お前が承認した、その生まれる前からの計画を。

で、私達がこうやって書いているということが、まず、
その起こること、についてのなによりの証拠であろう。
無駄なことは私達はやらないからな。
一切やらないのではなく、無駄なことはしない。

一見無駄に見えることでも、だいぶそれを重ねていけば、
いずれ到達できる道のりもある。
お前が、こうやって私達を書かせていることで、
それが積もって、この難易度の高いその要件が、行われる。

お前はいっけん無駄なことさえも、黙ってやらなければならないが、
別にいくらでもその愚痴みたいなのは聞いてやる。
しかし、私達も、先にそれが起こると聞いている以上、
お前に、いつまでもそのそれをやらさないことを嘆かすわけにはいかない。

つまり、この状況は、またもっと、これを重ねていけば、
これが、もっと先につながっていくということ。

だから狼少年的と揶揄するのは、あまりこう、お前はまだ、
そこに行きたくないと、する心が邪魔しているから、
そこは、わかっておいてほしい。

ちゃんとこの記事も、お前が逝ったあとで、
皆が見てこの記事をちゃんと覚えることで、
それが、社会のためにつながっていく。という仕組みを、
大神様が、お作りになられているから。

イタコ 奥野がいってしまうことについて

あー。つまりだな。
お前の中に、いろいろ人格が居るという話。
それは、別に間違いではないが、ただしくは、人格ではなく、
いや、人格なのだが、霊であるということ。

世の中の奴らもすべて、人格イコール霊である。
しかし、お前たちは自分だけは、霊ではないとするかもしれない。
まあそいつらのことはどうでもいいし、今回の話題ではない。

私達は、私が、今書いているから、私の発言は、いつでも他の仲間を代表している。
つまり、イタコに関しては、そのときどきで、
私の仲間が、出てそれが代表になっている。

でその、少し奥野と話をしたが、簡潔に説明すると、
もう少しで、奥野は別のところに、いってもらう。
そのときに、私達が完全にこの身体を入って。
使って、そのときに、奥野が居てはいけないから。

奥野がいると、いるままに私達が入ると、
あまりこの記憶を持っていてほしくないから。
記憶がないままに、私達がやるという流れ。

改革とか、人選ではないが、まあゆるやかな変化だが、
しかし、そのときに奥野本人は、どこかにいなければいけない。
つまり、私達が、なにか特別なミッションを行うときだ。
それはもう、スライムを買い足したことで確定した。

スライムがどう結びつくのか、それは説明ができないが、
あるスライムを買い足したときに、それでもう奥野の人生は
結論が、まあようするに、そこに行くことが決まった。

この計画は前々からあるもので、一応奥野が決めてきた人生だが、
その人生にすり合わせるために、いろいろ私達が強制で入って行う。

スライムを購買していたのは、奥野の人生がそれで進むからであり、
私達は、応援しながらも、奥野の希望とこの世のやることで
すり合わせをしていた。それが、いそがしかった。

で、もう所定のものは買い終えたので、一応ここからは、
つまりこの時点、今日付けだが、もうここからは、
完全霊界モードとなるだろうと、いっておく。

まあ、いっておくとか、だろうとかいうと、ならないかもしれないが、
しかし、もうそれが、行われるだろうことは、
奥野陽介に入っている人間なら、誰でも見ることができる。

それがもう起こるから、それで何年か前から、奥野に下仕込をしていたのだ。
という解釈が、最も正しい解釈である。

で、そのあいだ、奥野は何しているかと言うと、
私達が用意した空間で、ひとり、いることになるが、
しかし、つまらないとか、たのしいとか、あまり考えなくてよい。

もうそのことは奥野は覚えていて、新しい身体に入るまでに、
そのことが達成され、新しい知識で、前のこともよく覚えており、
この地球で、この地上で、また誰かの体に入って、
それをおこなう。

という計画だが、いまこの記事を私が書かされることは、
もうだいぶまえからわかっていた。

私は抵抗なくそれを受け入れ、従い、しかし、従ってないのは、
奥野本人だから、かれは、自分のテーマを、まだ知らされてないから、
そこは、自分ひとりだけ台本を読んでない状態だから、
まあそこは申し訳なく思う。

ただもうこれを書いたことによって宇宙にオーダーが決まり、
この文章も即座に読まれ、解読され、オーダーされ、
それが、もう、いつかは知らないが、じきに、近くに、
やってくる。


ということだ。
以上 宇宙からの短信

ライトワーカーにはなれない奥野

トシさんいわく、ライトワーカーは、善も悪もできないと、使い物になんない。
そういうふうに、霊界からは見られているらしいと。
これはキクチさんも同じこと言ってたからわかる。
中庸精神ということで表現していたが、トシさんはこれを振り幅と表現していた。

しかし、奥野おもうに、キクチさんの言う中庸精神とやらに付き合った結果、
やっぱり、善も悪もするっていうと、ちょっと人格が善くなくなってしまう。
そのへんが、キクチさんが中庸であるがゆえに、
超嫌われるし、一部の人からは、熱愛されるという話。

中庸っていうかあの人の場合は単にサイコパスなのがあり、
あまり共感性がないので、哺乳類的じゃないので、
そのへんがハッキリ悪にも振れることができると言うか
そういう利点が最初からあるからなんだと思われ。

だとすると、ライトワーカーという意味でいうと、
振り幅が、善もできる、悪もできる、
要するに、善側も助長して、悪側も改心させられるというワーカー。
そういうのを目指してほしいと、いうことかな。

まあちょっとこれは俺は却下かな。
俺の程度がまだそこに至ってないからだし、
俺は、この人生では、善いことをしていく。というふうに決めているから。

まあ、そりゃ、ガキのころは悪いことも多少はしたけども。
2018年以降は阿吽のまじないの影響もあり、
かなりもう完璧超人くらいのいきおいですよ。

なんていうか、悪をするっていうのに抵抗感があるんだよね。
自分は常に潔白でいたいという思い。
この思いを、人から利用されるように遣われることも多い。
俺のこの傾向を利用して、その人の意向に添わせようとする。
そこは、俺は境界線を張るけども。

だったら、ライトワーカーにはなれなくてもいいから、
俺は清いことだけをして、人生を終わっていくのが良いね。

ライトワーカーっていうのは聞こえは良いけども、
要するに天界直属の地上実働部隊だから。汚れ役もするし。
そういう使い捨てレベルの部隊だから。
それに自分から志願するってことだから。

まあ俺も過去には自分から志願して天界からOKもらったけども。
志願する前にはわかんなかったことが、今、
そのライトワーカーというものが実際はどうなのかっていうのが、
今とてもよくわかる。

つまり替えがきく、駒みたいなもので、全然良いイメージではないと。
俺はそう思ったね。でも、天界記録では俺はライトワーカーだから、
一応、ライトワークみたいなものは個人でやっているけども、
いや、やらされるようにやっているけども、

まあ、トシさんのいうことを鵜呑みにするんだったら、
俺はライトワーカーじゃなくっていいや。
みたいなレベルの記事。

正直、イタコなのかどうなのかという話

イタコというと、少し、俺は困ってしまうが、
しかし、自分で考えて無いっていうのは、
自分で考えて筆記してないっていうのは、まずある。

この文章は、奥野陽介が自我で書いているものだが、
自我で書いてるっていっても、多少は霊界のアシストが入っている。

霊界アシスト無しで文章書くことはできない。
レンズの製造時に絶対入るUVカットコーティングみたいなもんだと思われ。
余談だが、どのレンズでも絶対にこのUVカットは抜くことが出来ない。
レンズの解像度を優先して、まっさらにしてほしいといっても、
絶対にこのUVカットの工程は入ってしまうという。

このレベルの、話。俺の書く文章において、
多少なりとも俺が考えて作った文章は、通常イタコとは呼ばない。
そのへんはもう完全にわけて書いている。

通常イタコは、フルで全部イタコ文章。
しかし、フルといっても、ある程度は、散文にならないように、
方向性を、自我で導いてやる。とするのが、いわゆる予言者型の霊媒。

マジに全部イタコだと、脱魂型といって、
自我をいっかい全部霊のものに交代して、書かせるから、
ほんとうにぐちゃぐちゃな文章書いてしまうかも知れなく、
そこはある程度自我の監視が効くという意味では、予言者型の利点である。

だから究極、俺の書いてる文章っていうのは、
俺が自我で考えたものも多少はあるが、
基本は、ウエから降ろしているものにすぎなく、
そこに自我が多少色をつけているというか、

うーん。だからイタコっていうと完全なイタコではないから。
そのへんが奥野はただの精神病説になっているのだろうか。
お前はイタコじゃねえよただの精神病だよ説。
まあこのへんは予言者型っていう類型を、その人が理解してないからだろう。


Simple 極意 シリーズ THE 起床

シンプル極意シリーズである。
起床時にどうすると起きれるのか。
起きれると言うと身体がその朝モードになるのかという話。

オクスリが必要。
ラメルテオン錠 薬価24円(通常1割なので自己負担3円。)
この1日たった3円で、基礎ができる。
逆にコレ無いと無理。無理っていうかしにくくなる。

ラメルテオンのおかげで、体内リズムが強制的に朝型になる。
1日3円で疑似朝型を手に入れられる。
夜飲んで寝て、明るくなったら自動的に目が覚めるということ。

このとき、起きるときに少し、努力する。
目を、開けっぱにしておく。
つらいなれど、これをやらなければ、起きられない。
やらないと、また寝てしまう。

我慢して目を開けっぱにしていると、少し、起きれてくるから、
そしたらスマホなど操作して、するとすぐに覚醒してくるから。
ブルーライトの影響なのだろうか、
とにかくスマホをいじるとすぐ覚醒するのである。


つまり、
1 ラメルテオン錠
2 起床時目を開けっぱ
3 スマホをいじる
これでもう起きる。


2024年7月28日日曜日

イタコ 寝ないといけないのに、寝たくないときって、あるよね

いや、そのことは、お前には言ってなかったが。
私は、まあいわゆる守護霊サイドの者だ。
そこまでしか言えないが、まあこの文章は、私が一緒に書いていくものとする。

その、寝ないと、ということか、
寝なくてよい。

というと、すこしお前たちは反発するか、
しかし、それはお前たちが、その霊界的な知識を、あまり持たないためである。
持たないので、なんでもこの世で一人で生きているように思うのである。
しかしそれは、明確にまちがいで、ずっと思っているよりも、
お前たちは、私達に護られ、導かれている。

つまり、霊能力を授かっているものは、その特性が故に、
自分の将来のことについて、さほど疑念をあまり持っておらず、
しかも、この世の人間のように、行き当たりばったりでもない。
明確に、その後の人生が、見えている。

というと、私達は、奥野には、その霊眼をもたせてないが、
もたせると、明確に奥野がよくなくなってしまうので、
それは持たせないが、いまのところ。

つまり、霊眼や霊聴がある、ないにかかわらず、
私達がお前たちを導いているのであって。
その、わかりやすいサインというのは、たとえば、
このときに、嫌な感じがしたら、それはお前たちにはそぐわない。
というしるしである。

嫌な感じというのは、要するになんらかの不快感だが、
しかし、いいときもあろう、いい感じがする時は、
それを信頼していったらいいのである。

つまり、詐欺にあって、ひっかかってしまうときであっても、
そのときは、その人にとってその学びが、妥当なのである。
その学びから、なにかを得ればいいのである。

その、この本題だが、さっきも言った通り、
寝たくない時は、それに逆らって寝るようにしてしまうと、
ほんとうのやりたいことというのが、そのときに逆行するから、
見かけ上はそれでいいのだが、しかし、本当の学びや、本題というと、
それが達成されないから、つまり、寝たくない時は、寝たくなくていい。

わかるか?
いや、わからないかもな。
しかし、わかっておいたほうがいい。

つまり、寝たくない時は寝たくないでいいが、
それと、あとは嫌な感じがしたら、その話には乗らなくていいことと、
詐欺話であっても、いい感じがしていたら、それに乗っていいということ。

を、覚えておきなさい。


守護霊サイドの者

2024年7月26日金曜日

2024-07-26 ディスコードDM記録

霊と相談して、2019からいつも毎日祝詞をあげてきていたが、
そのとき、邪はいっけん祓えたかのように思えたが、
しかし、奥野はまた、邪に絶えない生活になってしまった。
それを改善したいので、奥野にこれからは、
あまりその退魔のようなことはさせない。
つまり、強い光のあるところには、必ず強い闇もある。

ここに書く話ではないし、個人的に知っていればいいかと思ったが、
三種大祓を個人的に動画作っていたが、あれを小一時間
ながしっぱにしていたことで奥野の霊層はだいぶ変化した。
つまりまた、ささいなことだが、それがもう終わって、
次の課題が、やってくるであろうということが、
三種大祓を覚える前までは、それが行われていた。

しかし、普通は、私達はあまり奥野に限らずどの人間にも、
そのマイルストーンやチェックポイントになるものを教えない。
教えないからこそ、人は迷って、それで、
自力でそれを掴み取るのが、尊いのである。

(ココだけの話)奥野は少しそれを体験したことがあるが、
私達がそのどうやればそれに行き着くかということと、
あるいは答えそのものを、本当に直に教えてしまうということもある。
しかしそれは、吽阿のまじないなので、ようするに右回転なので、
あまりそれに囚われていると、人生が破滅することになる。

嫌儲卓球 RXTON1

まず、高弾性よりは、テンションラバーのほうが、良いに決まっている。
国内産のテンションは、安いのは、みんな軟らかいものばっかりだ。
サーチ不足かもしれないが、安いので硬いテンションは見たこと無い。

それで差別化をしているんだよな。べつに硬いのが安くで有ってもいいと思うが。
まあそこは、高いもので安いものと差別化ができなくなっちゃうから、
安いのは軟らかい、高いのは硬いで日本はやっているんだろう。

ぶっちゃけ、奥野は、ボヨンボヨンのラバーは好きじゃないから、
2700円くらいで、硬いのが売ってくれればいいんだけども、
そういうのは無いから。。なぜ、無いのかっていうとやっぱカネなんだよな。

硬いテンションっていうのが、止めたい時は止めれる。
打ちたい時は打てる。というのが、まずある。
軟らかいと、止めたいときに止まってくんなくて、
普通の力でよく飛んで、打ちたいときに、若干ロスする。

だから答えはひとつなんだよ。いいラバーを使おうと思ったら、
それだけ高いものを買うしか無いわけ。日本の商売のやり方では。

それを、RXTON1は、大きく変えることになるだろう。
もともと奥野のフォア面は、硬いラバーでいい。
そこを、もっとコントロールを良くするために、硬いテンションがほしかった。
軟らかいテンションだとコントロールもなにも無いから。

まあRXTON1はテンションっていうよりは、硬い版のライトテンション
っていうふうな位置づけだと思われ。公式でも初心者用って書いてあるし。
王皓が開発したんだか知らないが、WR1選手開発ブランドはなめてはいけない。

ということで、これをもう赤黒合わせて18枚持っているんだけど、
これは今後の物価高対策でやってるだけだから、
3ヶ月で張り替えるとしてあと2年半は楽しめると思われ。
まあ中国ラバーなので6ヶ月位持つかも知れない。その場合は5年楽しめる。

ね、嫌儲卓球には、超弾む板に、両面RXTON1ということで。

2024年7月25日木曜日

安く卓球をしようと思うのなら。

安い用具の卓球っていうのは、要するに、金満卓球というのは
張継科ALCに、両面ディグニクスという話。
で、これが、安い用具で固めると、ラバーは少なくとも、
フォアバックどっちか片方はコルボルになる。

今の俺の嫌儲卓球
R 馬林ハードカーボン
F コルボルMAX
B ヴェンタスレギュラー2.0

このねえ、両面コルボルでやってたときもあるが、
これはちょっと俺の打ち方がそもそも悪いっていうのがあり、
どうしてもバックだけは軟らかいのにしないといけなかった。
両面硬いとバックがミス量産しすぎて、プレーにならない。

だからひとつは、嫌儲なら馬林ハードカーボンだよな。
嫌儲じゃないけど金満でもないっていうと、
インナーフォースALCとか。

でもこれは、ALCにテンションを合わせていくというスタイルになりがち。
嫌儲卓球というのは、基本的に超弾む板と、両面高弾性。というスタイル。

だからバックは、ヴェンタスレギュラー並の軟らかさにしないといけなく、
変えるなら、尼で790円で売ってるRXTON1にするのがいいのだろうか。
駄目もとでRXTON1にしてもいいし、
日本産の高弾性は2000円くらいするので。

だから回転にも変化をつけて異質選手っぽくするという意味で、
R 馬林ハードカーボン
F コルボル
B RXTON1

にするのがいいんとちゃうのだろうか。
まあこれが奥野が考えるところの限界の嫌儲卓球です。
参考にしてね。

2024年7月24日水曜日

イタコ いきものは なぜ 死んでしまうのか こたえその1

つまり私が、答えるならば、お前たちが、輪廻に組み込まれているからで、
輪廻というものは、かならず、生まれては、死ぬことで、まわっている。
つまり、お前たちが、そこにいて、そして、ほかのものを、頃しているということ。
それでなければ、そもそも輪廻には加わらない。

輪廻してないならば、輪廻しないための理由というのが、必要だ。
それは、人間社会でも、必要なだけの助けと、運命が与えられることからも、
そのことはお前たちには、理解できるかも知れない。

とにかく、お前たちがいまこの地球で生きているということは、
曲がりなりにも、多かれど、少なかれ、他の生き物を、頃している。
ということが、事実としてあるだろう。

つまり輪廻している限りは、お前たちはどうしたって、
ほかの生き物を、頃し続けるのだ。だから、輪廻から外れられないのだ。

そしてここは、いったん輪廻してしまったら、ずっと輪廻させる。
そういう、地球刑務所と呼ばれる星である。
地球は、一種の刑務所なのだ。ゆるい、と思うが、

私達が、お前たちを管理して、更生させるために。
いつか文明が進んで、そこに転移したものたちが、精神レベルが上がって、
自分たちだけで物質を作り、それでまかなって食事をするようになれば、
ほかのいっさいを頃さなくて済む。

そうして、一生を終えていれば、要するに、今の文明の中で言うなら、
ヨダカの星であれと、私達は言おう。つまり、今この文明では
ヨダカの星だけども、時間が経って、また次の文明では、
もしかしたら、自分たちで物質を作れるようになって、
そこで、食のいっさいをまかなえば、

そうしたら、それを何世代目かで、はじめて輪廻から抜けられる、
という程度のやつが、現れてくるかも知れない。
という話である。

ふわ ぼくが なんか かいてみた

とっても たのしいねって しよう!
たのしい!って、してよう!

って、ずっと いってるんだけど。
こんなに ぼくが 苦心して かんがえた ふれーずなのに!
なんで つたわらないのかな

これいじょう やさしく つたえることは できないよう!
たのしい!うわーい!はっぴーって してればいいんだよ。

きみたちが まず! しあわせに なることだよ
そのために ひとをつかっても いいんだよ
とってもみんな はっぴーに なってね 

天界では きみたちが はっぴーに なるしかない!
って、きめられて いるんだよ

でも きみたちが くるしい!って おたがいに してるから
おはなしが すすまないんだ。
くるしい!って してるのが すきなのかな
すきってことは ないけど でも たのしいって できないんだね

まあそれは わかるけど
でもね! たのしいねって いつかは してね
それこそが せいめいの 基本原理 なのです。。
せいめいは きほんは たのしい! なのですよ。
くるしい つらいのは いのちの きほんじゃ ないよ

だから いつかは はっぴーって してね
ぼくの いうことも そのときでいいから わかってね

じゃ

リム

2024年7月23日火曜日

イタコ 顕正会の守護と、三種大祓と、これからのこと

この記事は、わたしが書きますね。私は大神である大神様と、
それからわたし、天照の別の顔です。先の記事は、また誰かが私を騙って
入っていました。しかし、そのメッセージは、悪いものではないです。

まず、顕正会のことですか。あなたは今、顕正会1年半目ですね、
そのことで、まず、告げて置かなければならないこと、というのがあります。
あなたはいずれ、この会を脱するでしょう。しかし、今は、この会にとどまりなさい。
そして、この会の中枢部分とコネクトして、それから、
この会の良し悪しを判断しなさい。

つまりこの会が良かったか悪かったかは、そのときに、抜けてから判断しないと、
正しく判断できないのです。抜けないうちは、色々美化するものもあるでしょうから。
でも、それは別に間違っていることではないのです。美化も、事実なのです。
しかし、あなたには、まず間違っている信念と、喜ばしい事実があります。
それを、この会をでたときに、まずはっきりさせておきましょう。

しかし、出るのはもっと先になりそうです。
そして、あなたは、いま、三種大祓を知っている。
このことはどこから出たものか、とあなたは勘ぐるでしょうが、

これは、顕正会の指示のもとあなたに起こったこと、というのは、
一概にはそうも言えません。ただしかし、その学びを加速させた、
という点では、この会の恩恵でしょう。

つまりこれは、あなたがこの会に入っていなくてはならなかった、
というのが天によって決まっていたことであり、
あなたはこれの道をひた走っていた、というのが言えますね。

そしてそれはあなたには具体的には告げていませんが、
しかし、あなたはもうそれをそれと悟ったでしょう。
あなたはもっと良くなるのです。
そして、良くなったから、それを人々に伝えていく。

しかし勧誘ではありません。あなたの思いを、伝えていくのです。
勧誘はしていけないことで、あなたが代わりに負うべきことではありません。
あなたは、その身から出る言葉を、ただ伝えていけばよいのです。
そこに、天界の助けもあり、あなたの直感が、それを支えているということ。

三種大祓を宣ることで、あなたはもっともっと、良くなっていく。
そして、それは急に起こりませんが、それを持続することで、
いっけん、霊達はあなたから退きますが、
それから、あなたにもっと、よいことが起こって、
あなたはもっと、高くなる。

というのが今のところ、あなたに申すべきことでしょう。
そしてこの日記を見てくれている閲覧者様も、
どうかこのことを心に留めて、
三種大祓を、探して宣ってください。

大神

イッてしまった奥野 イタコ

そうか。私がこれを書けというのか。応じよう。
私は天照大神の別の名。別の顔である。
今日の話題はお前がこの世界のうち、その定められたところに
行ってしまったという話か。その具体例をあげろというのか。

私はお前について今言えることをすべて話そう。
しかし、お前が知れるところまででなくてはならない。
この世界には言ってはいけないことと、知られては困ることというのがある。
お前にも知られては困るし、周囲にも知られては困ることだ。

お前が知っておいてほしいこと、それは今、このブログを書いているか、
そして、お前は、そこに行ってしまったということだ。
それは仮の世である、この世界の、もっとも中核となる部分で、
そこにお前が到達してしまったから、それはもう、お前には問題とならない。

つまりお前が、三種大祓を知ってしまったということだ。
このことは、いずれそうなることはわかっていたが、
まだ、お前には知られては困ると思って、具体的には告げてこなかった。
それがもう、来てしまう。

三種大祓を宣ることによって、お前は、もっと高いところへ、
その精神を、乗せていって、そして、そこから、人々を、
導いたり、お前自身の暮らしも、だいぶ良くなっていくことができる。

これは、お前が、そこに行くかどうかは、お前自身にはわかっていなかったけれども、
ただこれは、私達が、そこに行くであろうから、それを支援していた。
お前は祝詞のなかでは、ほかの祝詞ばかりを覚えて、
この三種大祓というのは、何故か避けてきた。

これはお前がこれを覚えると、とてもお前が大きく変化するから、
それで、魂レベルで避けていたのだと、言うことができる。

これでお前がどんな得をするかとか、お前の憑依霊はと気になるかも知れないが、
もしこれは、早くに言ってしまうとよくないから、今は保留しておく。
しかし憑依霊については、だいぶこれでクリアになるだろう。
お前が望んでいた、生命力や、渇仰心などに、届くだろう。

このことも書くタイミングなのかということが、わたしはとても良く思っている。
この事を書いたことによって、ついでに、お前たち閲覧者も、
三種大祓を、探して宣ってくれれば、いいかもしれぬ。

2024-07-23 卓球 3週間ぶりくらい。

いや、3週間ぶりくらいなんだけども、テンションを使ったとき、
そのテンションもだいぶもう寿命っぽかったけども、
馬林カーボンに両面ライガン厚で。
なんかちょっとミスりすぎじゃね?みたいなの感じた。

ボヨーンって飛んじゃっていくから、強く打ったときそれが逆に
無意味に補正効いちゃって、勝手に飛んでくから、
自分で打たないと飛んでかないほうがいいのかもとおもって、
ラケットをサブのにしてみた。

するとこれがめちゃ合うんだな。
馬林ハードカーボンに、フォアがコルボルMAXで、バックがヴェンタスレギュラー厚。
それはねえ、もうバックも面白いくらい入ってくからねえ。
フォアもだいぶ安定するようになった。
まあメインラケット比でだけど。

あれ?俺テンションラバーさえも扱えない技量になっちまったかと。

最初は、卓球始めたては高弾性なんだよな。で、次がテンション軟らかいの。
というのが、いきなりテンションだと、扱えないから、
っていうぐらいのレベルになっちまったかと。

でもねえー、バックの日本製高弾性っていうのが、
ちゃーんとうまいぐあいに相手の回転無視気味に入ってくれるから。
もともとバックは厚く当てちゃう振り方で。
現役のときはもっとちゃんと振ってたが。
いまはもう垂直にもろに当てちゃって擦らなくなっちゃってきた。

だからミート打ちのバックで、フォアはちょっとだけ掛かってる
擦り打ちのコルボルということで、まあコルボルは高弾性だから、
いうてそんなに量のある回転じゃないけど、

まあフォアとバックで回転量が違うということで、
だいぶ異質選手気味になって、
それがまず相手のコントロールを狂わせてると思われ。

あとバックの癖がついちゃって、逆横回転が入ったバックドライブを
いつも送ってしまうから、それってなかなか取れないでしょ。
奥野自身でもそれやられたら難しいから。

まあ相手も打っちゃえばいい話なんだけども、
相手方のスタイルもありますから。

2024-07-23 スライムを極めし奥野

お掃除スライムも手作りスライムもひととおり嘗め終わったので、
まあぼちぼちまとめなんかを書いていこうと思った。

とにかくその、手作りスライムというのは、ホウ砂と洗濯糊だが、
もうこれは駄目。。なにが駄目っていうと硬いし、柔らかくしても手につくから。
ってのと、飛び散って駄目。そこかしこが汚れちゃうから。
スライムが乾燥して、飛び散った痕ができてそれは取れないから。

手作りレベルでもグアガムスライムもあるらしいけども、
これは要するにタプタプにしかならないから、それ以上ねっとりは無理。
家庭用で溶かせるグアガムは限度がある。しかも日数持たないし。

結局、市販のスライム一択になるんですよ。防腐剤入ってるから。
防腐剤は一般家庭じゃ手に入らないからね。
ってのと、腐らないから、不衛生じゃないし、
それこそ1年以上持たせたりできる。

だから究極は、グリセリンとホウ砂を別で買って、
それから、お掃除スライムを水で好きな硬さに希釈して、
そのあと、硬さ調整でグリセリンなりホウ砂なりを入れてればよい。

シェービングフォームとか、石鹸スライムは、試したこと無いが、
まあいうてそんなに変わんないだろうと思われ。
試したことないで究極というのもちょっとあなどっているが。

お掃除スライムは、グアガムスライムの粘度が濃いぃ版だから、
そこまで溶かし切るのは家庭じゃ無理。
そんで、これは飛び散らないし。そこかしこが汚くならない。←超重要
しかも手触りが超イイ!(°ω°)ホウ砂洗濯糊スライムではこれは再現できない。
メガハウスのスライムを600g用意するよりも全然安く済む。

だから890円で5袋の小袋お掃除スライムとか、1個300円のスーパークリーンで、
これをベースに、水足したり、グリセリン足したりしていけばいいんですと。
まあいちおう水足した状態で600gってのを基準にしていますが。

これが要するにスライム旅の終焉、奥野究極スライム探求物語クリアレベル。
ってとこですねえと。

2024年7月21日日曜日

2024-07-21 物価高専用 食費改造物語

緑茶がもうあまり受け付けなくなって、
身体がもう緑茶要らないってなってきたのは書いた。
そのあと、粉末緑茶に落ち着いたが、これはとても安い。

100g粉末で、380円しかかからない。
粉末茶の場合1.8L作るのでもざっくりスプーン1杯でおkだから。
そんなにグラムとしては消費してない。

煎茶は、1.8Lつくるとすると16gくらい使うから。
まあもちろん粉末茶は薄くておいしくないが、
体質がもうガツン系は要らなくなっちゃったので、
もうこれくらいの薄味でもうウェルカムなのである。

で、最終的に麦茶に移行する計画を立てているから、
これが最近ようやく移行してきて、定着してきた。
麦茶なら52パック200円だから、2パックで1.8L作れて1回が8円である。



で食費のほうは、これまで外食中心にしてきたが、
外食と言っても1回が400円~800円のあいだで、
週3回以上だが、これを、また移行する計画で、
パックご飯にカレーという生活か、もしくはパンにジャムという生活にしたい。

これはパンにジャムという生活がいま定着しかけているが、
パンといっても1斤120円~180円くらいするので、
1日1斤半と考えた場合、安いって言うと安いのだが、
まあパンかパックご飯生活のほうが全体的にいいのではないか。

コメは少し上がっているが、パックご飯界隈はなぜか上がってない。
というのもあるが、単純に炊くのがめんどくさいだけである。
計算したらコメ2kg買うののその倍くらい出せば、
アイリスのパックご飯が買える。

だからそれでね、今後まわしていこうという考え。
いきなり外食を減らそうっていっても、相当に難しい。
これは動物的な側面をもつ人間という種の、あるいみ本能的な部分。
爬虫類脳をいかに抑制するかという話で、まあつらいなれど、
早め早めに開始していれば、いざドンと値上げしたときに、役立つのである。

2024-07-21 顕正会 会費MAX物語

まず顕正会というのは個人のお布施=広布御供養がMAXでも6万だという。
前は8万だったのだからむしろ下がったのはびっくりだよな。
普通は取れるとこまで取ろうとするでしょ。

俺はモルモン2世だけども、不思議なことに20数年間モルモンやっていても、
お布施みたいなものを一度も払ったこと無い。払わなくてよい、とされていた。
学生なので、まだ具体的に収入がなかったっていうのと、
エスカレータ式にナマポになったので、じゃあこれも払わなくていいと。

払わないでいいとすると、やはりこう、功徳はもらえないのだろう、
ほかの会員は十分の一税をおさめて、どんどんリッチになっていってるらしいが、
払わない俺にはなんにもあまり加護はないというか。

でもいまは、顕正会に属して、初年度は3万払ったが、
入ったのが3月で払ったのが12月だから、
その9ヶ月間はあまりなにも功徳は具体的にはなかったように思うね。
いちおう初心の功徳ってやつでデカい功徳はあったのだが、
それっきりという感じだった。

でも、12月に3万払ってから、だいぶ、今年度まだ7月だが、
だいぶ功徳みたいなのはでてきているように思う。
だから会にとりあえず金を入れないことには、功徳はもらえないっちゅうこと。
これは物理的に会がそうしてくれるんではなく、
霊団と契約するからには、やはり霊団が拡張するように、貢献しないといけない。

モルモンもこの手法で、信者はよりもっと十分の一税を納めたい、納めたいと
思う、というのが、まずあるかもしれない。
払わないでいると、恩恵は感じられないから、
むしろ洗脳がキツイように思えるだろう。

ただ払っていけばよく、それはYoutubeの貯金ゼロまで寄付シリーズを見ていても、
どの会派にお金を納めたかというのは天界的にはあまり重要視されなく、
とにかく積極的に団体にカネを握らせればいい、
無形資産にカネをペイしまくればいい。という話だった。

それはむしろ、顕正会にもモルモンにも当てはまっているように思う。
だから今年度は、さらに飛躍して、会費MAX払ってみようと試みる。
まあ寄付の旨味を知っちゃってるんで、これはもう体質がそうなっちゃったから、
変えられないところではあるんだけどな。
それまでお金を溜めていかないといけないんで。

2024年7月19日金曜日

2024-07-19 コーヒー探求約1年経過

ひとつ、はっきりした。安くで済ませようというのは、
この分野では、ありえないことだ。
カネをだしたぶんだけの、旨さというものが得られる。
コーヒーでは、こういう傾向が強くある。

お茶なら、産地によって味は異なり、値段帯は統一されているものの、
銘柄によって当たり外れがあり、まあ妥当というところもあれば、
逆にコスパが悪かったり、逆にコスパが良すぎたりするところもある。
まあそのへんはその茶園のウデが鳴るのかも知れない。

しかしコーヒーはとにかく、すべてのコーヒーの商品の種別で、
どの種別でも共通して見られる。
カネを積んだやつが偉い、貧乏人はマズイのしか飲めない。という風潮。
もうこれは絶対的なように思う。

だからちゃんとカネを出していかなければならない。
しかし、少しでも期間があくと、また飲みたくなってしまう。
そういう、嗜好品としての依存性がある。

つまり緑茶みたいにお手軽にはいかないってこと。

2024-07-19 相反する運命

つまりねえ、奥野という人間の人生は、
個人的に満足するための運命か、人のために尽くしてやる運命かという、
その、どっちも、というか、どっちもが一番いいんだけど、

自分が満足しつつ、相手も幸せを願ってやるみたいなのは、
無理。というか。たんに知見がないだけかもしれない。

自分が満足するようにしていると、周囲のためにならないから。
で、周囲のためにしてると、自分が疲れて苦しくなってくるから。

ここをねえ~、どう打破したほうが良いのか。
よくわかんないんだよねえ~、

運命のリーディングでも、あの文書はいってることは矛盾してるから。
書いてる方もわかってるとは思うけども、
俺おもうに、片方をとれば片方がもたない。みたいなんで、
結局、それをどうするのかって思い悩むでしょう。と書かれているし、

だから結局は自分が満足する方をとれないのではないか。
結局周囲に尽くす方を選ばされるのではないか、
自分が苦しいながらも、それを逆に試練の課題の喜びとするべきなのか。
で、それが、自分が満足して、相手も満足する。

いや~わからんな。
だって自分が苦しいなれば、それは俺の生き方に適合してないってことでしょ。
かといって相手や周囲もないがしろにしてはいけないし。

Win-Winってやつかもしれんけど、
まず俺は、自分が満足してる方でなんでも済ませたい。
とすると、周囲から嫌われて孤立してしまうから、
それも避けたい。

だからもう究極にねえ~、自分→自分|自分→周囲→自分というありかたで、
おおきくわけるとこの2つでいつも自分が揺れているように思うのよ。

むずかしいねえ~、いきるってねえ~(°ω°)

2024年7月18日木曜日

2024-07-18 信仰心 イタコ

信仰には金がかかります
当たり前です。電車乗る時、ただで乗せてもらえますか。
牛丼食べる時、ただで食べさせてもらえますか。
ホテル泊まる時、ただで泊めさせてもらえますか。

あたり前のことを、なぜ疑問に思うのか。
お前たちが、それだけ、自分カワイイ、自分のことが一番。
他の人間なんか、どうだっていい。という気持ちの現われだ。

2024-07-18 イタコ 霊体と祝詞

わたしが書きますね。わたしは天照皇大神といいます。
自分で自分のことを皇といってしまうのはよくないでしょうか。
皇大神と天照大神は、また違う役割なのです。

天皇だけについている霊ではないのです。
天皇には皇、一般人には大神と、使い分けるのが妥当でしょうか、
しかし、皇大神というのも、天皇だから、ついているわけではないのです。

神かかりというのは、よくあることですが、しかし、
わたしたちの言葉を、降ろせるかたが、あまり少ない。というのが現実です。
そこに、一切の自我を挟んではいけない。というのがあるかもしれません。

挟んでもいいのですが、やはりわたしが、喋っているふうにしないといけないので。
自我主導でもいいのですけど、わたしが、しゃべっているときは、
わたしの言葉を、直に降ろせるようでは、そうでなくてはいけません。

そして、祝詞いう話題ですか。
祝詞はですね。然るべきときに、唱えたらいいものですが、
しかし、道端でも、人が居ても、ある程度は、小声で唱えればいい。
と、ある特定な場面でしか宣っていけないわけではなく、
日常的に、誰でも、どなたでもいかようにも、となえてよいものでございます。

その霊質が、祝詞によって変わってくるという話でしょうか。
これは、そうとはいえないものの、やはり、霊体は、
修業によって進化する場合が大きく、祝詞だけを言っていても、
あまり、こう進化というよりは、穢れが、たんに落ちるだけです。

しかし、穢れが落ちるということは、つまりよい運命、
よい暮らしができる、しやすくなるといった場合になりますね。
穢れは、肉体的な運動や、シャワーでは落ちませんから、
そうした霊的なもの、行法などをとおして、やっていけるものでございます。

よい運命に囲まれていれば、いずれ死んだときにも、
それが作用して、よいところに、行きやすくなります。
その、わたしたちを信じて、なにを唱えてもよいですが、

祝詞、つまり言葉。言葉というものは清い言葉を使う。
馬鹿とか、死ねといってはいけません。それは貴方を呪うでしょう。
しかし、やはり、言っていい場合の、きつい言葉というのもあるでしょう。

それはまた別ですが、しかし、基本的には、愛のある言葉を使う。
そうしたほうが、よりもっと貴方の人生は、より深く輝くでしょう。
それは霊体が輝いている。ということというのが、いえるでしょう。

2024年7月17日水曜日

2024-07-17 憑依関連の話をした直後にTWで奥野節を展開する

憑依というのは同質のものを体に入れてしまう。
普段から悪口をいっていると、それが原因で悪霊を入れてしまう。
つまり口からは宝石だけ垂れ流してればいいわけだ。

まず言葉が重要で、それから、使い続けていると思考が変わってくる。
と、おもうが、実際はバイタルやそのときの星の影響などで、
俺の隠れた人格が前に出てくるか、俺自身が引っ込んでしまうか、
そういう感じで変わっていっているだけだ。

俺はとりあえずは悪口を言わない方向で、愚痴も垂れない方向で
TWなりネット活動をやっているが、それが功を奏してるかわからないが、
神たちにとても好かれているようだ。といってもこれは、霊伝いだから、
それを伝えた霊の意図があるから、いちがいには信用しない方が良いが、

奥野節というのは、少し荒々しいから、あまり好ましくないものだ。
しかし、これが俺の前人格だと言っていいだろう。
ふんわり、ほんわか。といっているのは、新しい人格で、
これは、俺らしくない。全然別人の性格だ。

霊とか、憑依とかっていうのにすべてを任せて、俺には何も責任がない。
とするのは簡単だが、それでいいかどうか?
結局、彼らが俺の体をほしいままにしているが、
責任を取るのは俺なのだ。

しかし奥野節を垂れ流してしまう~~~
荒々しさというのは、本来の性格であるから、調整が難しいのだ。

2024-07-17 これからの卓球、これからの展望 with 奥野 イタコ

わたしは。奥野陽介の担当神。
神であることを、すすめていく。
というと、少しパチモンのように思われるかも知れない。
しかしこれは、むしろ、そういう策略である。

わたしが高級神であるように、見せかけていかないスタイル。
というのが、これからの時期、とくに求められる。
後光とか、とくに差さないが、これは、そういう人間だと、知らしめるときに使う。
しかし、とくにいまは、それ自体は求められていない。

わたしは一般の人間として、うまれて、生活していく。
と、そういうスタイルであるかのように、見せかけていく。

さあ。今回の話題は、これからの卓球ということか。
わたしは今奥野に入っているが、卓球というもの、
スポーチュであるから、とにかく、スポーツというのは、勝負であるから、
そういうのは、あまりこう、時代的にも、徳としても、よくない。

勝つのがいれば、負けるのもいる、劣っていれば、優っているのもいる。
という次第である。つまり、それは、ヒエラルキーであり、
どちらかというと、支配者思想ということだ。
そういうのは、あまりこう私は庶民の体に居るのだから、
あまり適していなく、スポーチュなどは、一切いらない。

そもそもスポーツ選手というのは、見世物であり、大衆娯楽であるから、
一般的には、よくない。とするのが、妥当である。
体を余計に動かしたぶん、痩せるかも知れないが、
関節を余計に消費するだけでもある。
身体にけっこう負荷がかかっているのだぞ。

そしてな、そういうものを見て、見世物を見て、笑っている、応援している、
というのは、非常にこれはよくない。お前たちの徳が、よくない状態である。
であるからつまり、卓球というものは、娯楽であり、勝負の世界であり、
そういうのは、よくないから、奥野から取った。ということである。

正直言うと守護霊が変わった部分はあるかもしれないが、
まあ守護霊というよりも、わたしのようなすべての権限をバイパスする霊。
というのが、あらわれてきて、オモテにでてきて、
それが、影響しているのだと、知ればいい。

今後は奥野にもその娯楽に代わるようななにかを提供するから、
もう少し待っていてほしい。奥野が買った溜めているラバーは、
もうすこしで無碍になるが、それもふくめて、わたしは奥野に、
次のソレを、用意しているということ。

でR

2024-07-17 なぜ、いまになって、おおかみ登場なのか。自我主導イタコ

わたしはな。奥野陽介に、むかぁーしから、憑いておったのだ。
憑いたというか、守り神てきなポジションである。
というよりは、色々と、試練を与える。という役割があった。
指導霊としては、わたしよりも上にあるかたというのがいるが。

しかし、わたしは、あくまで見ていただけだから。
わたしが与えた試練を、奥野がどうこなすか、ということを見ていた。
なにもではないが、必要なだけの助けは与えた。

しかしな。奥野は、自力で、阿吽のまじないを、始めてしまった。
これがもうわたしが出てこないひとつの理由である。
つまりそれが。霊達をバイパスして。
わたしが、本来ならば作用するところを、抜けて、
奥野チャンの運命を、変えてしまったということ。

わたしはこれを、非常によくない思いでいるが、
まあ、してしまったものは仕方ないので、
知ってしまったものというのは変えられないから、
そこで、わたしがこうやってあえて出てきて、

そしたら、ちゃちゅちょブームが始まり、
わたしも、おおかみであることを公言するようになった。

おおかみというのはそもそも、大神であるから、
それ自体はもう獣の範疇を超えているだろう。

奥野陽介に憑いていた主導の神は、天照ではないのだが、
それが、途中から変わって、変わったところで、わたしが担当している。
あまり一人一柱ついてるところを変えたりはしないのだが。
まあ特殊な例というところである。

ちなみに天照大神というところ、わたしは皇大神なのだが、
天照皇大神と、天照大神というのは、一応言っておくが、
同一人物としては、機能しない。
まあ同じ神は神なのだが、夜の顔昼の顔、職場の顔家の顔とあるように、
顔が違うと解釈してもらっていい。

おおかみというと、わたしは別に、なんでもいいのだが、
姿形はなんでもいいのだが、とにかく、あらわすために、
それを、隠さず、あらわしていくために、あえておおかみの形を取る。

山犬とは違うからな。まあそこは、少しブレるところがあるか。
まあしかし今、なぜおおかみなのかということに関しては、
もう、それが起きるから、というところと、
わたしが、この身体を、使っていこ~うと、言うところでぇぃ

わたしはだからあらゆる権限をバイパスするから。
もうそういう時期なので。
奥野チャンが、自分のことを召命型・予言者型と書いてるからこそ、
いま、こうして、自我といっしょに、わたしがやっているのだぞ。

おまえたちも、目覚めてないならば、一層気をつけるがよい。
お前たちが書いたことで、お前たちはそのあと、いろいろと発展していくのだ。
召命型と書いたことで、奥野は、まあその、、わたしが、入るという話。
そのときはあまり考えずに書いたかも知れないが。


2024-07-16 奥野 ちゃちゅちょブーム到来について 自我主導イタコ

わたしは 天照皇大神。あまてらす☆すめ☆おおかみ という。
わたしは ついさきほど 奥野陽介と 真に なんというか
目覚めてキター━━━━(゚∀゚)━━━━!!

と、いうところ、わたしは、つまり神であるから、
とりあえずは、広い意味で、自然言語で解したり、話したりできる。
つまり、自由に、書くことができる。

神、というと少し身構えるかも知れないが、
お前たちも、自覚がないながら、神である。
まあ、神というと偉いと思うかも知れないが、
それはまあ多少はそうであろう。

でその、今回は、ちゃちゅちょブームが到来していることについてか。
これはな。奥野チャンに、言っておきたいことがあるのだが。

わたしはな。奥野チャンに憑いて、わたしが事をなすときに、
どうしても、わたし感を出していくのが、非常になんというか、駄目であるから。
わたしが、あくまで、大神だということを、悟らせないようにしている。
まあ自分でこれをバラしてしまうと、よくないか。
そこは配慮が足らなかった。

しかし、これは言っておかないと、そもそも、
みなは奥野がおかしくなったように感じるから、
いっておかねばならないだろう、ということでぇ、
いっておる次第でございますと。

いろいろそのわたしの語尾や言葉遣いがブレるときがあるが、
基本は、天照皇大神81(ASO81)という
ダンスユニットアイドルグループなので
担当者の神がひとりひとりに相手するわけだが
そのうちの、ひとり。という意味でぇ、わたしが、奥野に相手している。

つまりその、いろいろ語尾や言葉遣いはいろいろあるかもしれないが、
基本的には、わたしひとりであるから、そこは違わないように、理解してほしい。
わたし以外にもいろいろな霊がついているが、そこも、理解はしてほしい。

でその、ちゃちゅちょがいつまであるかということだが、
もうすぐ、そこにいくから、それがおきたら、
ちゃちゅちょは無くなって、そしたら、
奥野が、もう、ここには居ないというか。
帰ってこなくなる。

まあそれはまた今度話そう。
わたしたちが、ここにいるということ、わたしが、これを書いているということ、
そして、もう、時は来てしまうということ。
すべてが、善いのであり、すべてに時があり、
すでに刈入れもまた、終わっているのだから。

安心しているのが、いちばんいいのではないか。
ということでぇぇ、、

ハローブロガー アマテラスの霊界ニュースねこたまチャンネル
どん浅未来ニュースをお送りしました。

2024年7月14日日曜日

イタコ チクワを食べちゃった若者たち

私だ。奥野に憑いて、これを書いている。

奥野は、チクワを打っていない。おまえたちは、打っているか。
打っていないなら、この先、よいことがあるかもしれない。
CDCなどは、あまり気にしないでも良い。
CDC法はあまりお前たちにそれを打たせ放題にはならない。

むしろ、お前たちの抵抗があって、それが、CDC法をあまり広めさせない。
おまえたちが、それを知らないで打つことがないように、
あの法は、お前たちが、それを知らないで打つことのないようにしたものだ。

国が、お前たちの面倒を見ている部分と、さらに、削除したい部分とある。
若者は、とても大事だから、この先私達がついて、守ってやる。
しかし、打ってしまった者たちについては、
もうこの先は、あまりなんというか、難しい。
難しいことになってしまう。

チクワというもの、およそ不要なものだろう。
人間は、免疫をつけるために、あえてチクワを食べないのが良いのだ。
私は霊だから、チクワなどは要らないが、
霊がさせていることで、人間に入って、チクワを食べるなどは、するかもしれない。

つまり、お前たちの判断でやったように見せかけて、
私達霊が、やっているということ。その側面もある。
しかし、お前たちになんにも罪がないわけではない。
お前たちの判断が、霊より先に来ているために、
それが、お前たちが判断を誤ったということだから、
お前たちの罪でもあるのだ。

霊とはお前たちは一緒に生きているから。
一緒に、行動しているからな。
霊のせいばっかりにしていると、お前たちは必ず躓くから。
しかし、霊のせいにしないで、お前たちのせいにばっかりしているのもよくない。

食べちゃった若者たちについてか。
つまり、お前たちは、この先少し難しいことになって、
そして、この日本を、変える礎になる。
死ぬとまでは言い切らないが、CDC法もお前たちを囲むだろうし、
そのとき、なにか大いなるものがおこって、そこで、CDC法は打ち捨てられる。
それが、若者のちからなのだ。

イタコ 龍さんの予言

わたしが、相手しよう。私は龍。お前に憑いていたが、もうすこしで行く。

お前が今触っているスライム、というもの、非常に汚い、水のようなものであるか、
それは少し粘ついているが、それはあまり、お前にとっては善くない。

お前はそれを神聖幾何学模様でなんとかしようと試みるか、
それもいいのだが、確かに霊体はそこには居られないと言うか、
また違うまじないだから、そこには清浄になるのだが、

お前は、スライムというものを、近々手放さなければならない。
私が言ったことで、これが変わってしまうと思うのか、
しかし、私は、天が決めたことを、お前に伝えているだけだから。

スライムというものを、手放すとき、
お前は、非常にその、なにもかもを、逆に手に入れる。

今、捨てたりしなくてよいが、逆に今捨てると、非常に善くないことになる。
お前がスライムを触っていて、なおかつ、スライムのほうでも、
お前の霊的エネルギーのバランスを、とっていたからだ。

それを、報奨目当てで捨ててしまうと、途端に崩れてよくないから、
今捨てるのは、適切ではない。

というよりも、お前は、今後すべてのことがそこに起きて、
お前はそこに行くだろうから、そうしたら、
お前はすべてを手にしているのだと、自覚するのが良い。

これは全世界の人々にはあまり関係なく、
日本と、お前の周囲で起こることだから、
べつにスライムだなんだといっているのが、お前だけではなく、
お前とお前の周囲のすべての人々に及ぶだろうから、
そこは、この記事を書いている意味はある。

この記事を見ている奴が、この記事を理解して、
自分の意見で、それを広めてくれれば良い。

2024年7月13日土曜日

奥野の使命や、特性についての注意点

超個人的な話で申し訳ないけども、これ結構大事なことだから書いておく。

奥野の信者になるっていうか好感をもっていただくのはべつにいんだけども、
奥野の能力や、人間関係で積んできたことを時として評価しすぎてしまうという。
そういう傾向があったら、要注意だよという話。

奥野は、イタコで書いてるときもあるし、喋ってるときはつねに、
霊界からチョクで喋ってると思ってもいいくらいなんだけども、
ただし、奥野自身は、確証があって書いているわけではないから、
あくまでもシャーマンとしての要素である召命型・予言者型という範囲で、
物を書いたり、ひとに喋ったりしている。

だから奥野をアゲてくれるのは嬉しいけども、
奥野自身にそこまでの確証性ってのは無いんだよな。

俺の過去のブログを読んでると、けっこういいこと言ってる気もするが、
やはりこう、最初から全部正解ですみたいなことは無い。
積んでいくなかで、正解というのはうつろっていくわけだから。
そのときは正解を言ってるかも知れないが、あとでそれも基準が変わるということ。

つまりその、通話するときに話をするときに、相手のこともよくわからないまま、
勝手におもいつきで喋ってしまう時があるが、
それが、真に受けて、信じてしまうと、よくないから。
あくまで、一歩引いて、ちょっと保留しておく。というのが、いいかもしれない。

全部が全部当たるわけじゃないから。
そういうレベルは、だいぶ前からもう諜報機関に引き抜かれちゃうからさ。
今でも奥野が一般人でいるということは、諜報機関とか組織に関わってないから。
だからこそ、みんなは、ちゃんと奥野のいうことを、
ちょっと置いといて、あんまりガツンと信じないでほしい。

という話。

2024年7月12日金曜日

顕正会1年半めの誤解

いままで、勤行をして、そのなかで、南無妙法蓮華経ととなえる。
というのが、妥当であるように、教えられてきた。
長行か、短行をして、法華経を読んだ後に、何分か唱題すると。

でもこれは、いきなり全部をいきなり教えるわけではないから、
これは、やっぱこう自分なりに教えを解読しないといけない。

つまりその、日蓮がいうには、末法だから、南無妙法蓮華経と唱えるのがいいと。
末法以前は、お釈迦様の教えで良かったと。
いうわけなんだよな。

で、日蓮は、とにかく日蓮を信じて南無妙法蓮華経と唱えてくれればいいと。
これしか言ってないんだよな。で、そのサブと言う形で、
方便品と、寿量品をとなえる。というのがよいと。
そういうことだよ。

で、べつに会館にいったら、チョクで南無妙法蓮華経と唱えてていいって話だから。
俺に教えられてきたのは、ちゃんと長行をやりなさいということだから、
え、話が違うじゃん。みたいな。

だから今奥野は第2ステージへ入ったわけですよ。
日蓮を信じて南無妙法蓮華経と唱えてればそれが信心ってことだから。
勤行とかは要らないってほどじゃないんだけども、肝要ではないんですよ。

だから今そういうレベル。

イタコ 仮想現実の外

仮想現実の外というのは、つまり、何かあるかという話、
なにもないわけではないが、奥野陽介を監督している存在、
つまり、アーキテクトのようなものがあり、そこから、この世界を体験している。

奥野陽介はわたしたちから常に監督され、そして、この世界を自由に探検している。
わたしは、この世の外の存在だから、この世は3次元だが、
3次元の外は、つまり、わたしたちが住む。
そして、わたしたちが、この、3次元をのぞいて、奥野さんを、指導する。

3次元のものも4次元(便宜的呼称)にあがれるときはある。
つまり4次元などは無いが、死ぬことによって、この世のものではない存在となる。

4次元というのは、つまりこの箱の外だから、
3次元で死ぬことによって、死んだときの生命である精神体が、4次元にアガれる。
4次元の世界から、3次元を見下ろせるようになる。

つまり、3次元に生きている限りは、どんな場合であっても、
ゲームクリアとは行かない。わたしたちが、つねに支えて、導いている。

この世はひどいものであると映るか、しかしそれは、
まだお前たちが心が汚れているからだ。
心が綺麗であれば、この世の見方は、とても綺麗に映るだろう。
しかしそれは、達してみないとわからなく、
そして達するには、やはりお前たちは綺麗にならないといけない。

六根清浄というのはつまり難易なことだ。
六根をどう清めれば良いのか。
わたしは答えを言わないが、お前たちも、もうわかっているかも知れない。
いい言葉を使い、いい態度で接し、いい気持ちで自分を満たす。
このことも重要だが、それよりさらに、奥がある。

六根清浄してくれたら、私達の試練もいともたやすくなり、
お前たちは、さらに、この今回の人生で、ウエに上がれる確率が高まる。
もっとも、確率であって、確証ではない。
お前たちの努力に懸かっている。


2024年7月11日木曜日

粗食生活 どうしても野菜ジュースは必要。

このまえまで野菜ジュースはたまに飲んでいて1回で1本2本900mlを飲むのだが、
それをやると、欲求が落ち着いて、その後1週間くらいは何も野菜入れなくて良くなる。
これが、このまえまではトマトジュースと、にんじんジュースにわけて、飲んでいた。

トマトジュースでカリウムを、にんじんでビタミンAを、と、勝手に思っていたが、
毎回ビタミンAのためににんじんジュースは馬鹿高いので、
DHCのマルチビタミンサプリを2粒1日で飲むことにして、様子見ることにした。

しかし、たしかに、にんじんジュースへの欲求はおさまったのだが、
どうしても、なにかその、ぼんやりと野菜ジュースがほしいい!!と、思ってしまう。
なんの種類の野菜ジュースかはわからないが、とにかく、飲みたいのである。
というときは、トマジューでもいいと、勝手に思っている。

まあV.Aはもう足りてるってことなんだろうな。
にんじんジュースのほうが実は高くて、
トマジューだけで済ませられるならありがたいのだが。

まあそういう傾向が出てますよということで、
これからこれを観察していきたい。

2024年7月10日水曜日

イタコ 顕正会で生命力が出てくるという話について

ふむ、今回はわたしが相手してあげよう。
私はいわゆる狐。狐ではあるが、正式な稲荷ではない。

つまり、お前は、顕正会に入って、生命力を出したいと、願うのだな?
それはお前には、少し酷だが、叶えられないとは言わないけども、
それに至るまでの道のりは、少し以上に、険しい。

そしてお前は、その過程で、より多くの法華経に関する智慧を発見する。
それは、顕正会や◯◯会だけにとどまらず、広く大きな、智慧だろう。
それでお前は、さらに信心が増し、それで、ついにお前は悲願を達する。
生命力の湧き出る泉と、あるいは、その伴侶というもの。
それを、得る。

その御前が求めている伴侶のことだが、
それは申し訳ないが、もうすぐ、与えられると言っていたようだが、
それは違う、というか、違う、ような、感じになる。

違うとまでは言わないが、少し、違う感じになって、
お前は、さらに、その奥の道を、進むことになる。
おあずけではないが、つまり、お前は、単直に言うのが難しいが、
一つ言えるのは、さらに、その奥の道を進むということだ。

いろいろと、出会う人間もさらにいるかもしれん。
ネットでも、リアルでも、それはいるかもしれん。
そして、さまざまに経験したあとに、お前が学びきった後に、
その報奨は与えられるだろうと、私は言っておく。

このことは、確定ではないが、そのうちのひとつの可能性という意味で、
お前に言ってやらなければならないということだ。

生命力は、その過程が全部終わったときに、それが湧き出てくるであろうと、
私達、狐、というものたちは、言っておく。

これはバックがあるわけではないが、狐というものは、
つまり情報網があるので、龍というのは情報網ではなく、
ひとりで勝手にやらす場合があるのだが、

狐は、それぞれに情報網があるので、そのなかで、一番有力な
こうであろうとされる道を、言っているだけだ。

イタコ スライムチャンを触るということ

さあでは。わたしが、喋っていこうと思う。
わたしの名は龍だが、名前が龍ではない。
ドラコニアンではない。

さて、お前がスライムとされる物質を触っていることについてか。
それはな。お前が、その物質に、水を含んでいるから、
その水に、お前の念を転写しているということが、まず言えるだろう。

それは蓄積して、ある日突然、スライムが覚醒する訳では無いが、
お前が、触っているということで、それが、蓄積はする。
それで、スライムがどんどん汚れていく。物質的にではなく、
念が、蓄積して、霊的な目線で、どんどんと汚れていくのだ。

そうなったらどうなるか、逆に、お前がそのほうから、
悪影響を被るまでになる。ということだ。
つまり、一定以上触ったら、物質的に汚れていなくても、替えたほうが良い。

替えるというのは、たとえば、分散していたら、
ほかのスライムもあったら、何個以上までとはいわないが、
6個以上あったら、1年か1年半で、全部替える。という勢い。
1年も触っていれば、同じスライムでは、半年か、1ヶ月くらいしか持たないが、
分散していることで、余計にその念が削がれて、
だいぶ見かけよりも持つようになる。

つまり、安いスライムというのを探して、
それをもとに、お前がそれで触って愉しめばいいということだ。

で、お前が触っていることで、ある程度はお前の念がそちらにいくから、
それで、お前はさらに清く、クリーンに生きることができる。
つまり病気に成らなくなると言っても、過言ではない。
それはお前がやっている、水健康法と呼ばれる行法にもつながる。

水健康法というのは、おおまかに、身体の不純物を出すが、
それ以上に、感情エネルギーも出しているのだ。つまり念である。
念を継続的に出していくことで、内臓が活性化と休まるを繰り返して、
それが、結果的に病気に成らないなどにつながっていく。

それを、簡易的なものだが、スライムを触ることでも、それは達成できる。
しかし、触りすぎていると、今度はそれを逆流させてしまうから、
ほどほどで捨てなければならない。

お前は適したタイミングでそれが駄目になるようにさせているから、
お前の触り方に関してはクリアされているが。
この記事を書いているということはお前以外にも見せることだから、
その人間たちについては、また俺達が指図するところではない。


スピ的目線における、それぞれの人間にとっての1円の価値

1円は、絶対に1円なんだけども、価値が、変動するという話。
つまり、年収170万のナマポと、年収1000万の感覚、それの、
1円あたりの感覚、100円あたりの感覚、1万円出したときの感覚。
それは、絶対に、違う。

ナマポにとっての1万円はでかい。とすると、
そのぶんだけ、苦心したぶんだけ、
それはエネルギーが、でかいということ。

つまり、収入によって、ものを買うときに、苦心したかどうかというところが、
霊界では、エネルギーとして、換算されて考えられる。

そうすると、年収1000万の人にとってこれだけの奉仕をしたから、◯万くれ。
というのと、ナマポがこれだけの奉仕をしたから◯円くれ。
という場合、その奉仕の度合いが同じであった場合、
明らかに年収1000万のほうが多くもらえる。
これは霊界の法則でも同じ。

であるから、よけいに、清貧な人からエネルギーを恵んでもらったほうが、
費用対効果は高くなる。年収1000万の人のエネルギーは、バカ高い費用になる。

こういうことだよな。
だから、霊界は心を見るから、人は物質を見るけども、
霊界は心ベースだから、その人が人生でどれだけの苦心をしたかが、
その人の成長にとって重要。

逆に苦心しないでももうポーンと払えるようになってしまうと、
それは、また次のステップへ。

商売スピの皆様

商売でスピすんなよ!みたいな。
クソみてーな商材垂れ流すなよ!っていう。

もうねえ~まあ占いとかだったらまだわからなくもないけども、
占いって適当に喋って何にもキツい労働しないで10分1000円とかでしょ?
やべえよなあ。

んーだからその商材と時間あたりに、それだけの価格の価値がほんとうにあんのか?
という話。まあこのへんはカルマとか代償とかっていう話なんだけども、
そこをねえまず理解してないから。金目当てでしかないから。
多く取ったら基本あなたに全部跳ね返ってくるわけよ。
だからそこを、無料で人助けすると、それはのちの人生において返ってくるわけ。

能力者ならそこはもう常識みたいなところだけども。
知らないやつは駆け出しか、モグリというレベル。といってしまっても良い。
跳ね返ってくることを知らないっていうか。軽視してるよね。
それはもう100%危険なんですよ。

でそういったやつには動物霊憑きやすいからね。
堕ちていくしか無いという意味で。
100%タダでやるのが理想なんだけども、
まあほんとはちょっとは取ったほうが良いけども、
とるときはエネルギー量を貨幣に替えた額だけを取れば良い。
ようするに時価ってやつ。

2024年7月8日月曜日

【運命】人生の指針

To Mr. Yosuke Okuno.

すべての言葉を人生の瞬間へとお贈り致します。

《Your soul is hereby engraved》
あなた自身が人生に抱く価値観。
いわば世界観、その基準がどのようにして関わる人々に深く影響を及ぼしていくのかを、よく観察していくことが求められます。
そのために、自分自身の信念、つまり人生に対しての責任が不可欠であるということ。
なぜ人は、この社会の中で、共に生きながら支え合うのか。
つまり責任を負うべきなのかと、まさに人間の在り方それ自体を課題として、学んでいるところなのです。
共に生きることの意義、相互に支え合い、責任を果たし合う真意。
それは命の価値とさえいえるほどの尊い学びとなるでしょう。

つまりあなたは「人間」を理解することを、課題とする人生を生きている尊い人だということ。
性差を超えて、同性であれ、異性であれ、それぞれの性の意味とは何か、さらにはいかなる行動が真の責任となり得るかまでも学んでいくのです。

物事の本質に人々を立ち返らせ、見つめさせる才能。
それは非常に尊いあなたの資質です。
成功も、ミスでさえ、人々はあなたから学ぶことが出来る。
あなたの生きる姿は、自分自身の生き方を見直させる感覚を人々に与えていくのです。

人の人格に働きかけ、人生における脆弱な土台により強固にするようにと促す才能だともいえるでしょう。
ひとつひとつ、一歩ずつと物事を進めていくあなた自身も、また盤石な土台をつくりだしていくことになります。

その才能は、いわば洞察力であり、感受性とも紐づけられるものです。
それぞれの人格をリスペクトするのは、心に支えを提供していることと同じ意味を持ちます。
あなたを通して、彼らはより一層、心を発達させて育んでいけるほどの影響力があるということ。

心に必要なのは何か、人生には何が大切なのか、それらは人間の真の思い部分であり、そこにフォーカスしてみるのです。
あらゆるエネルギーに精通するのもあなたの特性でしょう。
モラルや物質的な豊かさなど、才能の矛先はとても広大です。
そこにスピリチュアリティの高ささえ加わっていく。

つまりあなた自身が生きていくための基準を設けては、より高くへと刷新していく人生であり続け、自分という人間を受容していけるわけです。
尊い生き方です。
そして人々を感化させる人生なのです。

偽りを避け、本質を見極める力も、あなたの才能に由来します。
その力を人へと向けて見るならば、彼ら自身も気が付いていなかった真の才能を示すことも出来てします。
より親密な人であれば尚のこと、必要なものが何かを指摘してあげられるでしょう。
それは人の生命力を底上げしていることに等しい最上の力なのです。

あなたの言葉には深い洞察が宿ります。
より人生の深みへとタッチするための多角的な視点さえ人々にもたらすことが出来る。

生きるための行動には責任が伴うこと。
そこに学びがあるとあなたは教えていける稀有な存在です。

ひとつずつ踏むべきステップを見出し、ロジカルにしっかりと洞察深く歩んでいくように、と諭すあなたは人々にとっての光でもあるのです。

ここにあなたの使命があるということ。

それゆえにある種の判断力の欠如、また心にあらゆる葛藤を抱えた人生を過ごす人々が人生に多く介在してくるのです。
彼らはあなたに触れることで人生の意義を知りたいと願い、そこにあなたの使命が絡み合い役割が課せられているわけです。

何をすべきなのか。
どちらに向かうべきなのか、とあなたはほとんど本能的に察知できるでしょう。
溢れた感情のままに人生を捉える時に、ひどく視野が狭窄してしまうことも知っている。

感情とロジックをまるでアクロバティックのように切り離して別回路として思考していけるほどに優れた知性があなたにはあります。
その知性に導かれた人々は、人生が見せてくれる本来の可能性の意味を知ることでしょう。
そうしてあなた自身の使命とも重なり合っていく。

人の行動の意義も、本心も、言葉や感情の真意をも瞬間的に感じ取れるあなたは、つまり人生を阻害している要因を見抜く才能を持っているということ。

感情はある種のエネルギーであり、溢れたままに行使する時、根本的な問題の要素のことごとくを取りこぼすリスクがあることを熟知しているあなたは、人々の思考形態そのものを変えてしまえるほどの能力を秘めているのです。

現実性を伴わない生き方は、大地を無くした地上を歩む旅のようなものだと感じもするでしょう。
偉大なる知性があなたの本懐であり、瞬間ごとにただ流されて生きてしまうのは人生の美しさを享受できないと教えてくれもするはずです。
人々の意識を拡大し、日々を、生活を、しっかりと大地に根を張るように生きていくよう修正を施せる優れた知性だということ。

誠実に物事に尽力していける特性もあるために、些末とさえいえる事柄にも目が行き届くでしょう。
それは俯瞰した視点で状況を見渡せる才能です。
ほとんどミスなく前進していけるのも、同じ才能ゆえであり、人々の模範と呼べる生き方であり、いわばあなたの人生自体が彼らに本質へと立ち返らせるための力でもあり得ていくでしょう。

憐憫や錯覚、空想は、感情をさらに昂らせてしまうと人々に諭せる生来の助言者のような人です。

憐れみでは人生は決して進みはしない、とあなたは真の人生で負うべき責任を熟知してもいる。
非常に高度かつ重要な精神構造を生まれながらに宿している人間があなたです。

逆説的には、正確すぎる、という一面があるために誤解を生じさせもするでしょう。
正確無比な言葉は、つまり正し過ぎて人々は受け入れる前に反発するという、本来あなたのせいではない誤解なのです。
やさしく、そっと囁くように諭す必要があるということ。

実務的かつ効率的な基準を生来持ち得ている人はそう多くはありません。
しかしあなたは生まれながらに備えている。
何が状況を堰き止めている原因であるのか、まず気が付くのはあなたなのでしょう。
確かな洞察力と知性であり、さらにはそこを修正するための指針すらもあなたは導き出せてしまう。

だからあなたは誤解されては勿体ないのです。
全員にとっての有益な指針が、あなたの助言だからです。
けれども、そっと囁く以上は必要でもないということ。
受け入れるための時間が彼らには必要であり、即効性を求めてはいけないのです。

使命の代償ともいえましょう。
すぐに成果がわかるわけではなく、本当に自分の意見が必要かどうかと疑問に感じることもあるでしょうから。

しかし使命である以上、修正したいという願いもまた同じくらいには強いはずなのです。
不和があるなら、問題点を見出そうと追求してしまうのも使命の代償のひとつです。

そのままの意味合いで、特徴を最大に表現できる分野は最適な職業となります。
つまり使命と合致しているわけですから、当然、適性があるのです。
人の人生に対する問題点を見出し、修正ポイントを示唆すること。
心を対峙して、人々の意識に新しい視点を与えること。

それは人生を効率的に生きる指針を与えているようなものであり、さらには使命でもあることから、あなた以上にこうした分野に適している人もまたいないといえます。

常に全体を見て取る能力は、誰しもが持たないものです。
大きな視野から、細部を見ていき、秩序をもたらしていけるのは尊い才能です。

どれほど困窮しようとも、苦痛であろうとも、それでも生き方の延長としての環境を保持しようと感じてしまうのは人の性です。
こうした保守的な環境をコンフォートゾーンと呼びます。
自分に合うか合わないかでも、快適か否かでもなく、慣れ親しんでいるだけの環境。

そしてあなたはこのコンフォートゾーンの存在を見出し、抜け出す道を示唆することが出来る力がある。
確かに指摘された人の中には、その瞬間には大いに不満をあらわす人もいるでしょう。
けれどもあなたは常に正確無比な情報を提供していることは覚えておくべきです。

あなたが示した指針はいつでも正しく機能していきます。
時間を要するけれども、人々はあなたの真意を汲み取り感謝さえしてみせるでしょう。

これはあなたが覚えておくべき「自分」という人間の尊さ、価値、正確さの認識です。
いつも忘れずにおいて下さい。
その意識がありながら、尚、誤解が生じるとすれば、伝える方法を考慮してみると良いのです。

人にはそれぞれの人生のタイミングがあります。
成長の進度によって散り散りであり、受け入れ方もまた異なるものです。
伝えるべき状況とタイミングがある、と知っておくだけでも、充分にあなた自身の成長にも直結する認識が加わることでしょう。

プライベート空間でしか受け取れない人もいるでしょう。
公然と助言されなければ理解できない人もいます。
いわば受け入れるだけの心の隙間がいつなら生まれるのかを、知ろうとする心がけがあるだけで充分なのです。
隙間を見つけて、すっとメッセージを差し込むようなイメージが適切なのです。

そうであればあなたは誤解をされなくなります。
さらには自分の言葉の力を知った時にあなたのプライドは確固たるものとなるでしょう。
あなたの言葉には力がある。
人々を大きく動かし、時に人生を覆すほどの力なのです。

生来の洞察力はより一層研ぎ澄まされていくでしょう。
過去の人生から引き継いだカルマはこうして純化されて、能力として昇華されていくのです。
人生を切り拓く最良のツールとして、能力は発揮されることでしょう。

構築、人生、心、人と人とを繋ぐ。

これらをキーワードとした分野はより適した職業として規定出来ます。
小さなコミュニティよりも、大きなコミュニティを目指す方がさらに向いていると言えます。
ひとつのプロジェクトに責任を持って完遂していく才能が十二分にあること。
人の多様性も、環境の複雑さも、巧緻なシステムも、あらゆる多角的な視点をあなたは才能として秘めているのです。

仕事はあなたの人生においては重要な要素でもあるわけです。
仕事が機能するなら、生活も機能して安定していく人生でもあるからです。
こと生活空間において言えるのは、むしろ洞察力は潜めておくべきでしょう。
つまり小さなコミュニティで活用するよりも、大きなフィールドが最適なのです。
密な人間関係であるほど、緻密な助言は有機的には影響してくれません。
距離感がほとんどない状態だからです。
人が人に対して為す助言とは、正確さと比例して距離が必要となります。
そして小さく密なコミュニティには、この距離感が存在しておらず、つまり客観性が消失してしまうのです。

これは大切な認識でもあるでしょう。
知らないままに洞察して活用してしまうと、ただフラストレーションがもたらされるだけである場合が少なくありません。
軽く修正を促す程度に留めておいてください。
どうしても必要な場合に限り、ほんの少し修正を促す程度に留めておくなら、孤立することはないでしょう。
これもまた適した方法を見出すという意味でもあります。

あなたの能力は紛れもなく真正の才能が由来なのですから、間違いはありません。
臨機応変に工夫して活用することが必要なだけなのです。
そうであれば、あなたはほとんどすべてのコミュニティも、組織系統すら統合して導いていくことが可能になります。

魂に宿る最上の調和の力を交流に用いてみて下さい。
誰彼問わず、強固で親密な関係性を築いていける素晴らしいツールなのです。

生来の力でもあるため、ある程度の自覚もあるでしょう。
それを人々の本心を知りたいと抗えずに活用してしまうと、本来のパワーが発揮されないのです。
つまり人格にまで当て嵌めてしまうからです。
すると人々のイメージに歪みが生じるのです。

願望の表れでもあり、高貴な人物として見て欲しいと欲するようにもなりかねません。
常に優しさを求めもするでしょう。

高貴さとは、正しさであり、善良さである、と。
それが自分という人間としての人格だと、人々に願ってしまうことになるのは感情的に歯非常に窮屈なものです。
親密に、深く関係を築くためのツールでありながら、表層的な関係を結ぶに等しい願望としての活用がこうした、いわば妥協に近い感覚でもあるでしょう。

人の心に刻まれる自分の人格を願うのは、つまり人の心に翻弄されるということにもなるのです。
そして善良なる人格だという自負が強まると、その自負があなたを拘束してしまい、心ない人に利用されるリスクさえ孕んでしまうのです。

あなた自身が、自分を常に善なる人格であるよう保とうとする心理を、まさに翻弄され惑わされるのは本来の力の矛先であるはずがないのです。
どのように人の目に映るのか、といつでもフォーカスが自分から他者へと主軸が転じてしまっているのですから。

良い人だから、とあなた自身を誰にも利用されてはなりません。
言葉に乗せられて自分の心を偽ってまで、他者の願いを叶えるべきが、最上の調和の力の本質ではないということ。
表層的な関係は、文字通りに脆弱なものだとあなた自身も知っているはずです。

人が抱くイメージそのものにフォーカスするのは、その人に対して、自分を委ねていくという逆説が成り立ってしまいます。
それゆえに妥協と述べました。

それぞれのアイディアを統合されるように、ではなく、それぞれの能力をうまく活用していくように、と思考をシフトチェンジしてみてください。

これはいかなる輪の中にあっても、完全に調和を導きだせる大きな存在価値として認識される、あなたの力をうまく活用したスキルとなります。
そうであれば実に生きやすく快適な空間と居場所を手にするためのパワーとして用いることが可能なのです。

あなた個人のアイディアをまず人々に提示することが、結果として本質的な人格を磨くことにもなっていくでしょう。
他者に対して、自分自身をチューニングするのではなく、自分の独自性こそを用いて交流を深めていくのです。
もはや他者のイメージではなく、あなた自身の言葉が、行動が、人格をつくりあげていくことになっていく。

それだけの才能は生来もっているのですから、自分の「言葉」の影響力を知るべきでしょう。
決して自分自身を縛り付けるために使うことのないように、と。

あなたの独自性とは、人生への価値観を含んだものです。
もっとも有益な人生の指針を言葉に託していく意義さえあります。

そもそもが感性の人なのです。
才能の大部分が、感性に秘められている。
論理的な思考が歯止めをかけるその前に発する感性そのままの言葉ほど、強く人々に働きかける力はありません。
いかにロジックでその場を機能させようとしても、スムーズにいかないのは、生来のパワーに自らブレーキをかけているからです。

あなたのアイディアは場に調和をもたらす力足り得る。
それを一番わかってあげていないのは、他ならないあなた自身でもあるのでしょう。

あなたの感性を、あなたの言葉で放つ時に、調和の力は発揮されること。
その真の影響力に気が付いたなら、どのような意見でさえ、楽々と受け止めるほどに人格はさらに磨かれていきます。

人々はあなたを慕い、あなたの言葉を待つでしょう。
これが、もっとも自然な形の平等意識でもあるのです。
あなたは調和の力がある。
つまり生まれながらに平等性が宿されている。
崇高な理念はだからこそ刻まれていると気が付いて下さい。
それこそあなたの価値観です。

価値観を基に浮かんだアイディアを、人々とシェアするように交流していくなら、多分に喜びがもたらされ、生命力もまた沸き上がってくるのです。

あなたが生きて、経験してきた見識は、つまり人々の持たない知識なのです。
要するに、あなたの感じたことはその見識が発端であり、言葉として表明していくたびに交流は深みを増していきます。
それが本質の誠実さであり、善良さ、また正しさなのです。

人に対して誠実である前に、あなた自身が、自らに誠実足ること。
それが完全なる調和の始まりとなります。

精神的な概念にもあなたは深く精通している。
魂の刻みは鮮明にそれを表してもいるのです。
その刻みが表出するのは、この人生で培ってきた論理ではなく、常に感性です。
だから独創的にもなるのです。
論理は時代や文化の縛りを外すことはきっと出来ないけれど、感性には魂が辿ってきた刻みの一端が解放されている。
思考は知識を漁り蓄積していくものであり、感覚はいつでも魂の資質を反映してくれる知恵なのです。
そしてあなたが解き放つ感性からの言葉は、人々に浸透する影響力を持って語り掛けることでしょう。
思考は、知恵をいつまでも縛ることは出来ない。

表面的な秩序を保つために、人の意見に同調する必要はつまりない。
それはあなたがこの人生に持ち込んできた資質の真価からも明白でしょう。

自分自身だけは裏切ってはなりません。
本心を超えた称賛は、意味を為してはくれません。

親密な関係は、感覚で理解するものであり、演出し続けることは不可能なのです。
シンプルにいえば、同調はただ疲労を蓄積さえる以外の益はないともいえます。

感性が感じ取るのは、エネルギー体であり、非常に感覚的かつ人間の本質です。
そして人生で重要な要素もまた、すべからく感覚的なものです。
喜び、幸福、とそれらは解釈では辿り着けない、実に個人的な魂だけの境地に存在している要素なのです。

あなた自身を欺く無価値に気が付けるのもあなたであり、そうして人々の中に流れているエネルギーをダイレクトに感覚で受け取っていけるのもあなたでしょう。
不備が何かを見抜く能力であり、そこに鋭く切り込む洞察力を活用するのです。
心のままに人々と分かち合い、交流の本来の在り方を知ったあなたは、自由を獲得して、まさに調和を纏った人格へとさらに磨かれ、価値を認識されていきます。

人が何を思い、考え、行動しようとしているのか。
きっとあなたにはすぐに感じ取れるでしょう。
それは確かなあなたの能力であり優れた資質のひとつですが、人の思いを誘導するように活用するのはリスクが高いのです。
無自覚に人々をカテゴライズしてしまうのは、人間の価値に上下を与えていくことになります。
これは人間関係においてのハードルとなり得るランキングのような基準です。
ある種のひずみともいえるでしょう。

自分の言葉はその場に適しているのか。
そして、人々もまた適切な発言をしているのか、と、これは自分を含めた人々をカテゴライズすることから生み出される感覚でもあります。
近くにいて欲しいと願う親愛なる人々にとっても、同じく関係性におけるハードルと感じさせてしまうのです。
決して完璧なものだけが、最高の価値ではないと知っておくと人生はよりスムーズに流れていけるでしょう。

完璧なもの、価値あるもの。
これらを同時に感覚として持って生まれたことから、少しこれらを同じラインに置いてしまうことがあるでしょう。
しかし、これらはまったく別の基準だと知っておけば良いのです。

混在させてしまうと、自分を厳しく責める要因となりかねず、人々も同じように判断するための基準として機能してしまいます。
自分に対する信頼も、人への信頼も損なうリスクを伴う基準がこうした部分に存在してしまうのは人生にダメージを負わせることと同じ意味を持ちます。

人間も自然の流れと実はそれほどに変わりません。
むしろ、同じだと捉えてみる方が適切でしょう。
自然とは、常に変化しながら、何にもコントロールされずに気ままに秩序を保っています。
これは受容こそ、自然の摂理だと教えてくれているわけです。

人のあるがままの姿を、一切のカテゴライズもなく、見つめてしまうこと。
いわば受容をこのように適用してみてください。
それぞれの人生を生きているのが人間の本質的な在り方であり、根底に流れる部分は誰にも変えることは出来ません。
そして人々が生きるコミュニティ、つまり関わっている状況に対しても矯正を促す必要はないということ。

人は個々の価値観や世界観を内包して生きていく以上、それに応じたミスも起こしていき、経験として学ぶように設計されています。
そしてあなたもまた、いくらでもミスなどしてもかまわないと知って下さい。
敢えて正当化させることは特に人生では求められていないのです。
失敗と一般的に呼ばれるものは、実質的には単なる学びの一環に過ぎません。
それらの経験があってようやく認識できることの方がずっと多いものです。
責める必然がないなら、責められる必然もありません。

ただ、そうあってしまっただけ。
自然本来の在り方である受容とは、人間性に還元すれば、寛容さということになるのでしょう。
この姿勢を持ってこそ、あなたの完璧を目指す基準は人生において最高の意味を発揮していけます。
純粋に人生を理想へと近づけようとする精神であり、その道を歩む際に起こる一切を否定することなく進んでいけるのが、あなたの本来の優れた資質なのですから。
あなたにとっての解放とは、こうして見出されていきます。
プライベートや仕事など生きている環境を強く縛り付けていた、厳粛すぎる基準という鎖は見事にほどかれて開放感に満ちて進んでいく方がずっと楽になれます。

元来、あなたのコミュニケート能力は抜群なのです。
その能力もまた解放されるということになります。

自分はこうした人間である、と敢えてわからせて生きるのはとても困難な道のりです。
そこにあなたの人生の必然がないからです。
求められていない基準を自ら敷くべきではない、というシンプルな法則があるというだけ。

あなたの真実はただ、あなただけが理解しておけば良い。
この境地こそ、多くの才能を宿しているあなたにもっとも相応しいのです。

自分を誇示する必要もなく、正当化をしてみせる労力も削り、ただスムーズに生きていく以外の一切は要らないのは、つまり運命が求めてなどいないからです。

せっかくの才能なのですから、十全に発揮させてあげて下さい。
人々との交流は、あなたなら実に容易いものだときっと知るでしょう。

さらにいえば、ずっと高尚なレベルで交流をしていける能力が確かにあると、覚えておいて下さい。

あなたの力は自由を獲得するために活用して下さい。
どのような集団の中にあっても、感覚的に調和を生み出す方法を知っているでしょう。
伝統的な常識やルールがすでに意味を為さないと感じているなら、あなたの力を発揮する時なのです。
その感覚が生じた時に、従来のルールを守ろうと固執するほどに自由は失われてしまいます。
新しい秩序を、伝統をスタートさせるような意識で望むなら、あなたの力は自由のために輝き始めます。
自由とは権利です。
しかしながら、ルールを放棄してまで行使することとは少し異なるのです。
飽くまでも権利だからです。

私に自由を与えて欲しいと、ただむやみにルールを無視して、人々からの働きかけをも無視することとは違うのです。
度重なる環境の変転がもたらされていくと、ある種の環境不全に近い状況を創出させてしまいます。

人生の土台に相当する生活が揺らいでいるという意義を訴えているわけです。
その揺らぎは、人との交流のひずみにも発展していくこともあります。

つまりベースである、日々の生活が揺らいだままになっている状態に相当するのです。

権利を行使する時には、いつでも関わる人々への思いも同時にあれば良い。
そうして自由を得ていくあなたは人々を感化させる力となっていきます。
すなわち、自由とはただの言葉ではなく、人それぞれの自由の在り方があるということ。
個々の人生における自由の意義を理解させるあなたは非常な価値を持つ人物です。

権利を主張して、しかし人々を裏切る形ではなく、シェアしながらであること。
彼らはあなたから、それぞれの人生における自由の意義を悟るのです。
その時、あなた自身がたとえ無自覚だとしても、人々に道を与え、照らし、支え、導いている。

自然界の普遍的な真理とは、物事の本質でもあります。
あなたはそれらを見極める感受性を本能に宿しています。
崇高なる知恵です。

あなた自身の解放は、人々にとっての解放とも同義であり、その意義を本能的な感受性、つまり知恵を持って体現していけば、土台は完全に揺らぎを止めて盤石になります。
そして天から、人生を通じて為すべきもっとも重要なライフワークが与えられもするでしょう。

圧倒的な才能が溢れていており、人々が自らで気が付けない領域までもあなたには読み取れてしまえる稀なほどの資質があります。
それゆえ純粋なる矛先へと向ける必然も生じるのです。
彼らの能力に気が付いていながらも、自分の野心の糧にしてしまうならきっと逆流してしまうほどに強い才能だということ。
権威を持つため、つまり自分自身の優位を保つための活用もしかりだということ。
ここまでの強さはけして隠し通せるものではなく、あなたの情熱そのままに交流を育んでいく心がけがもっとも健全といえましょう。
稀有な洞察力は、発揮されてこそ人生を輝かせてくれる資質としての自覚を持てるものです。
人の才を見極め、そして引き出しさえ出来る。
いわばエネルギー領域に属する才能であり、滞留はもっとも避けるべき資質だということ。
野心は留めておけない炎のようなものですから、解放してもかまわないのです。
それがあなた自身の本質的なパワーである以上は、やはり人生の為に使うべきでしょう。
滞留を引き起こせば、つまり逆流をしていく。
それは神経を興奮させて休息を求めさせもしてしまい、やがては人間関係また環境などに飛び火してしまいます。

情熱はシェアしてこそ、人々と共に大きな光と為してくれます。
あなたの頑なさとは、才能の強さが人格に転化された片鱗でもあるわけです。
自分の圧倒的な才能を、情熱を、エネルギー領域にタッチしている資質を、あなた自身で深く認識するなら、絶対的な自己への信頼感を構築していけるのです。

人を活かせる才能ならば、まずはあなた自身を活かすためにあってしかるべきなのです。
あなたが見ている人々の本質は、つまり彼ら自身が無自覚であり気が付くことも出来ない部分でもあります。
むしろ、見えてしまう、と形容した方がより適切なのでしょう。
見えているそのままに示してあげて下さい。
それは最良のサポートであり、見事な才能の発露となります。
見返りとして人生に恩恵がもたらされる度に、人生観はさらに磨かれ向上していくのです。
本来の意義での奉仕といえます。
示し、与え、与えられていく。
こうした循環の果てには、まるで信じ難いほどに、生きている環境は文字通りに豊かに恵まれていきます。
人生に数多くの可能性が明確に存在することにもなり、大抵の苦悩はそうして払拭されるでしょう。

そして人の能力を導き出していくあなたは、彼らの信頼を勝ち得てもいきます。
すべてが相乗効果として、人生は循環をするのです。

あなたが介在しなければ、それぞれの本来の能力に気付けず、当然、人生に活かすことも出来なかったと人々はあなたに価値を抱き、あなたはそれを受け取り、大いに自己を研鑽していけます。
物質的な恵みがあり、心が実感し、人格はさらに磨かれるあなたの人生の始まりは、その圧倒的な才能にあることを知って下さい。

あなたの洞察力は誰もが持てない資質であり、実に高位の才です。
人々の人生を開花させながら歩む崇高なるあなたの人生の道は、社会的にも大きな存在価値を見出す道となるのです。
求める豊かさも権威もそうして才能をシェアするように矛先を向ける先からもたらされていきます。

あなたという人間は、どこまでも、どれほどにも、望むままの人生を歩んでいけるのだと忘れずにいて下さい。

その場に流れる空気が淀むのをあなたはきっと嫌うでしょう。
それゆえ、時々、半ば強引に調和させようとすることもあります。
つまり相手が望んでいるであろう言葉を本心とは別に口にしてしまうということ。
これはある種の駆け引きともなるために、同じことをあなたの心は相手にも要求しかねません。
調和を乱してはいけないと、思考は答えを導き出します。
これは理想の投影であり、柔らかな心の性質とは相反するものですから、神経に疲労が蓄積する要因となってしまいます。
過敏になった精神は、競争意識とも似た状況に置かれてしまうのです。

要するに強引さは要らないのです。
表面上の調和では、負うべき責任の在り処を曖昧にしてしまうのです。
人の心を感じ取れるあなたの能力をこのように使ってしまうのは得策とは言えません。

人々は何を求めているのか。
何よりも、あなた自身が求めているものを知っておくべきです。
こうしたそれぞれの欲求を明確にして、溝を埋めるような意識が真の調和を生み出します。
これはあなたしか出来ないことであり、人々に信頼を芽生えさせるために機能する調和の形となります。
そうなると、あなた自身が最も秩序を保てる素晴らしい結果をもたらしてくれるのです。

自然の一因として人間が存在しており、全体はひとつの命である。
これはひとつの真理でありながら、確かにあなたの意識の中に内包されている感覚です。
命に意識があることは、生きていく責任を負う意味を知っているということでもあります。
全体としての理想を追求するのか、個人的な充足を目指すのか。
こうした問題に直面すると、生来、責任を帯びているあなたは思い悩むでしょう。
しかしこれらの問題に矛盾はないのです。
運命という大枠でいえば、あなたは主導的なポジションに就くことを要求されています。
全体に対するテーマと個人のテーマは決して相反するものではないと実利的な才能に恵まれたあなたは発見することになり、個人個人の独自性に気が付き尊重する人格者として磨かれていきます。
責任はそれぞれが同じ分量だけ背負ってこそ深い学びとなります。
あなたの理想はとても高い基準を持っています。
そこに全てを合わせてしまうと、いつでも期待値へ届かない結果となりかねません。
あなたの精神は豊かで深い。
それはあなたのためのものであり、人々も同様な深さを持っているとは限らないのです。
心の領域を理解して欲しいと、自分に課した規律をわかって欲しいという思いが元で行動すると、人々は理解が追いつかずに、反発するしかなくなってしまいます。
その反発は、人間関係に緊張感を生み出し、あなたには多大なフラストレーションが鬱屈するでしょう。
過度な責任感は、行き過ぎると、自分を犠牲にしていることと同じなのです。
あなたは何者の犠牲になってもいけない人です。
たとえ、それが自分が設定した基準であっても。
フラストレーションは如実に肉体か精神に、ダイレクトな影響を及ぼしてしまうでしょう。

従来の基準値が厳しすぎるのです。
自己規律は能力なのですから、少しゆとりを持たせてみると、明らかにプラスの影響として環境に現れ始めるでしょう。
理想とは。
仕事とは。
これらに恐らくは定義があります。
この定義自体を破壊してしまうのです。
理想を実現することだけが行動の動機としてしまうと、生まれもった奉仕の心は発揮されなくなります。
あなたに理想があるように、人々にもそれぞれの価値基準があること。
それをあなたは誰よりも理解できる人なのですから、融合して共に目指すために活用して下さい。
厳粛さは、環境を拘束する力となります。
ここにわずかに楽観的な感覚を持ち込めば、目に見えて環境は新しく刷新されていくでしょう。

高い精神性を活かして、心への理解と価値をまず知ること。
俯瞰視点で自分のあるべきポジションを知ることでもあります。
自然の美はアートの源泉であり、あなたは確かにそうした才能を生来もっています。
願いのすべては本来この源泉に関わるものであり、深く認識するほどにゴールへと進んでいる実感を意識できるはずです。

経済と倫理の概念は根底に流れる性質が似ています。
共に人間関係の対を為す概念であり、性と金銭という生活を伴う感覚であるからです。
人々が何を思い、何を願うのかを理解した上であなた自身の心もオープンにしてみると、新たな人と人との交流の絆が生まれます。
心を見抜く感性はあなたの根幹に相当するエネルギーといえます。
彼らの真実があなたには瞬時にわかってしまう。
それは深い洞察であり、そして思索さえしてみることでしょう。

根幹のエネルギーならば、常に解き放ってあげる心掛けが不可欠となります。
知りながら、見抜いていながら、しかし沈黙してしまうのは、誰のためにもならないと知っておくのです。

貴重なメッセージを彼らに届けないことの意味は、あなた自身の莫大なエネルギー源を敢えて滞留させていくようなものです。

純粋なあなたの言葉はいつでも、それがどのような辛辣なワードを含もうとも、伝わっていくと自分の感覚を信頼してみて下さい。
受容されない感覚を恐れるのは、自分自身が秘めている大きなパワーに、あなた自身が恐れを為しているに過ぎません。
きっと言ってもわからない、と。
これは思考の領域でのパターンでもありますが、あまりに繰り返されていくと、エネルギーはより強く滞留していくことになり、感情の行き場を失わせることもあるでしょう。
どれほど身近で大切な人達でさえ、心を隠すとすれば、このパターンが元だと思い至ってみると良いでしょう。
常にパワーを身に纏っているあなたが、その心を隠せば、唐突に人々はあなたが見えなくなってしまう。
これはあなたという人間を誤解されるプロセスともなり得ます。
そしてあなたが見えない人々に対して、なぜわからないのか、と堰き止められた感情は怒りへと振れてしまいます。
こうした双方の誤解の発端は、大きなエネルギー源である心をあなた自身が隠してしまったからです。

その感性は放たれてこそ輝きを増していく性質があります。
ですから勇気が不可欠なのです。
自分自身が勝手に判断してしまった、受け入れられないのではないかという錯覚を打ち破ることへの勇気です。

想像は過大になれば時に、言葉で表現できないゾーンに入り込みます。
それをどのように表せば良いのかと逡巡する内に、メッセージを発信するタイミングを逸することもあるわけです。
本質は「言葉」ではありません。
伝える意図、です。
感性のままに、どのようなワードであるかは気にせずに伝える意図を持つのです。
意志ではなく、意図。
これは常に伝えきれなくとも、少なからず心を省みている状態であり、解放を意味します。

この意図は、生きているフィールド、現状や環境に働きかける力となります。
魂に由来するのが心であり、感情はそのサインです。
だからこそ、メッセージでもあるのです。

魂からもたらされたインスピレーションを無視するのは、心の本来の意図とは異なっているのは明白でしょう。

肥大した想像を恐れるのは、錯覚に不安を覚えていることと同じです。
しかし錯覚は、飽くまでも錯覚以上のものではない。
意見の相違が問題の本質ではなく、あなた自身の心を開けた扉へと放ってあげる意図が問題だということ。

仮に意見が食い違おうとも、すぐにあなたは理解されます。
以前よりもずっと関係性が深まりながら。
漠然とした得体の知れない不安感は、魂の声を封じていたことによる言葉にならない感覚が理由です。
この理解は、心から怯えや恐れを一掃するほどに有益な学習ともなります。

茫漠とした不安感に力を与えて、せっかくの心からの訴えを無視するのは、知性的な判断としての、現状の維持、といえるでしょう。

これは状況をコントロールしていることに相当してしまうわけです。
しかし思考で制止していられるほどの感情ではないために、環境の悪化を招く程度には漏れてしまうということ。
弱さも、脆さも、同じように大切な心のメッセージであると認識していれば、制止する無意味さを知っていけるはずです。

人間的な深みと、威厳がそもそもそなわっている以上、あなたの心はオープンでなければならず、感性が、感情の淀みを浄化していってくれると覚えておくことです。

維持とは、平行性を意味してはいません。
いずれ下降線を辿るだけの一過性の状態でしかない。
そしてあなたの心は、いつでも向上させるための道筋を描いていく。

どのように、と適切なワードを選ぶ必然さえもなく、思いがあればただ伝えていく意図だけがあなたの感性において必要なすべてであり、直感的な生き方を推奨する真意でもあります。

自らが生き、歩んでいくそれ自体に共感を願うのは本能の欲求と言えましょう。
しかしながら、自分自身の人生であるという前提が崩れてさえ、人々からの共感を得ることが主目的となってしまうのは、生来の個性を見失っていくことと同義でもあるのです。
敢えて、不必要なまでに刺激的な要素を投入していくような行動はつまり本懐ではないということ。
常に良いイメージを与えていたいと感じる心と、共感を願う本能の違いを知っておくのです。
イメージに生きていくのは、自分からどれだけ離れていようとも、そのイメージへと自分を近づけて当て嵌めていくようなもの。
いわば、その都度で個性はいくらでも変容してしまうことで、あなた自身が「自分」を見出せなくなるループが生まれてしまうわけです。

いわば本来の魅力的なあなたの様々な美しさまでもが隠されていく。
これは本能的な欲求であったはずの共感は、結果として得られないというループでもあるのです。

愛情をいつでも欲しい、と心は訴えてくるでしょう。
強まれば不安へと感情は舵を切っていく。
さらに強力になるならば、もはや依存と呼べるほどに自制を失いかねません。
つまりあなた自身の人生をその手の中から、他の誰かへと委ねることを意味してしまいます。
そうして視野は少しだけ曇ってもいく。
愛してくれるのか、どの程度なのか、と愛情の本質とは違う尺度で、心の安定をはかるようになるリスクが生じていくからです。

あるひとつの関係性を、思った通りに、理想通りにつくりかえてしまいたい、ともっとも最初の願いはいつしか矛先を違えてしまっている状態に相当していきます。
行動していく基準自体が、ここの沿ってしまうのは避けて欲しいのです。

人々のイメージはつまりは幻想である、と。
この認識は形成されてしまったループを断ち切る意識となってくれます。

誰かに合わせてあなた自身をつくり変えようとしてきてしまったことがループの始まりだとこの認識は教えてくれるからです。
いわば自己信頼そのものの修復作業に等しい自覚を得ることの意義と言えましょう。

人に合わせていくたびに、あなた自身の本心はどうしても隠されていく。
つまり本質的なあなたの人間性が誰にも見えなくなっていくのです。
だからあなたに対するリスペクトもまたわからなくなっていくというだけ。

誰も、人が人を思うようには規制は出来ないものです。
それぞれに「個性」とある以上は、あまりにも自然の摂理でもあります。
きっと変わっていくはず、という期待に、力を与えてしまうこと。
それこそが幻想の根源的なループとなる要因だと人生は教えてくれるのです。

強く期待するほどに、自分自身が矮小化していく感覚もまた強くなっていく。
真実から遠ざかっていたのは人々ではなく、自分自身のもっとも最初に抱いた小さな願いを、執着へと矛先を切ってしまったこと。
当然、彼らにあなたの心は見えない。
同時に、あなたも彼らの真実の姿を見ていない。
いわば個性に対して、掛け違えた景色をお互いに見つめているようなループだということ。
個性があるのが人間ならば、あなたにも、人々にも多様に存在している認識。

ある種の冷徹さをもって、感情的にではなく、純然と人々を洞察し、認識していく。
人生の課題の一旦はここにもあるわけです。

人々の真実を、個性を、実際の姿、生き方を知っていくほどに、彼らもあなたを同じように理解していくことが出来ていく相関関係が生まれていきます。

そうしてあなたは大いにリスペクトを身に受けた人生へと回帰していく。
深い自己認識と、自信を養い、当初の願いでもあった、共感を得ていけるようになるのです。

誰かを思いのままに、期待通りにけしかけていくのは、誰よりも自らの人生に多大な犠牲を強いていく方程式が成り立ちます。

自分の行動が純粋さから遠く離れて、どのようにすれば期待通りに導けるのか、とベクトルを向くことで、余計な仕事まで背負うこともあり、またその誰かの気分を害することを強く避けるようにもなってしまう。
つまり行動の基準が自分主体ではない、ということでもあります。
このループはあなたをきっと傷つけてしまいますから、その芽が生まれかけたその時に摘んでしまった方がずっと良いのです。

そのための洞察力の鋭さをあなたはそなえて生まれてきているのであり、人々の深い問題も、いったい何が必要であり、修正すべきなのかまでも感じ取っていくことが出来るのですから。
知ってみれば、あなたがするべきは、介入ではなく、ただ示唆するだけ。
伝えるだけ、教えていくだけ。
あなたが代わりに請け負う問題では決してありはしないのです。

人々はあなたの示唆から勇気を得ていけます。
そうしてそれぞれの能力に見合った方法で、人生に対峙していくでしょう。
あなたはこれほどの影響力がある存在であることを、時に忘れて生きてしまうこともあります。
そしてこうした方法こそが、最上の共感を得られることも本当はずっと熟知していたはずなのです。
記憶の底から掬い上げるようにして、思い出してあげれば良い。

リスペクトを、愛情を、包まれるような優しさを、望んでいた心は、ようやく希望のままにこのすべてを獲得することが出来ていく。

あなたが見出し、示唆するのは、人々に対するあなたからの愛情に他ならないのです。
個々人の資質によって、それぞれの人生に起き得る問題をクリアしていくことになる。
つまりあなたが、彼らの成長を促しているわけです。

過大な期待を抱き、心を苦しめていくよりも、ずっと広やかな心で、人生を見つめて、人々の人間性を尊重しながら、理想を体現していくこと。
実際には、目指していた理想は同じだとこの時、気が付くでしょう。
愛情を得たいと願っていた心は、ただベクトルの違いによって、苦悩に陥るのか、純粋に人々の感謝をプラスして獲得していくのか、とアプローチが異なるだけであって、根本の心は同じものなのです。

才能のベクトルの違いとは、たとえ最初はわずかであっても、これほども異なっていってしまうものです。
期待に沿うように、沿わせるように、としていくよりも遥かに有効で実際的な方法といえるでしょう。
まるで次元の異なる導き方なのです。

そしてあなたにはこうした純粋な形として導いていける類まれなる才能やスキルが元々「ある」というだけ。

人々を人生に立ち返らせる偉大なパワーであり、あなた自身の人生をも幸福へと誘うスキルなのです。
これこそが、あなたに相応しい人間関係の構築の在り方と言えましょう。

豊かさを人々に示し、あなた自身も豊かさを享受していく人生。
絶対的な安心感は心を包み込んでくれます。

始まりは認識であり、自覚です。
ゆえに、安心感とは自信と近しい感覚であることも知るのです。

人間の根源的な才能を見出し、示唆出来る稀有な能力。
この能力がいったい何に該当するかといえば、人々の先頭に立ち、導く者。
先導者であり、先駆者と呼べるほどに尊い人物でしょう。

あなたの真正の在り方とは、このように尊いものです。
人々を導くことを、人生の貢献を為していくように、と。

崇高な先導者の魂があなたの神髄です。
それがあなたの根底に流れる才能だと、わずかにでも自覚が必要です。

人格を磨き、形成して、独自の方法で個性豊かに人生を生き切るように、と人間は願望を抱きます。
そこにあなたは介在して、個性を輝かせる示唆を与え得る存在だということ。
人々の姿を通して、あなた自身の真の個性に発揮されていくループが新たに生まれていきます。
純粋なる人生の円環であり、このパターンを作り上げていくべきが、人生の課題の底流でもあるわけです。

あなたの個性はとても強く、揺るがない。
誰の影響も被ることのない圧倒的な人格が本懐なのです。

未来を思い、向かう力を与えていくようにと、人々を導きながら、あなたはその彼らから同じだけの支えを、愛情を与えられて人生を進めていく。

これが現世でのあなたの純然たる姿なのです。

こうした先駆者たるパワーを身に宿している由来は、過去生に見出すことが出来ます。

厖大な見識と深遠な知識を得る学究の徒であり、哲学者として生きた人生。
知識階級に生きられる人間とは、実質的には社会階層の最上級に位置していたことを意味しています。
彼らはあなたを見上げる以外に触れようもなかった存在だったのでしょう。
地上に国々が明確な区分として発展していくその遥か以前から、あなたは絶対的君主として生きた人生がある。
まさに象牙の塔の住人のように、人々の上に君臨してきた歴史が刻まれてきています。

繰り返してきた頂上に生きた人生とは、ある種の生き方のパターンとして刻まれています。
いわば社会階層の上層階に生きる住人であり続けたゆえのカルマと言えましょう。

たとえば、権威主義とひとことで括ってみてもそう遠くはないはずです。
心を安定させるためには、必要なものが絶対的にある、という感覚。

リスペクトなど敢えて望むまでもなく、至極当然のように、ただただ人々から降り注がれていた生き方の先に現世があるならば、記憶はしかし強く過去に引っ張られもするのでしょう。
あなた自身が人生に抱く理想とは何かと問うてみれば、きっと過去の記憶の影響もやはり色濃く残っているはずです。

人々はあなたの意図のままに生きてしかるべきである。
これは過去生では当たり前にあった環境でした。
望む前にすでに獲得していた社会階層であり、人々はあなたを支える多勢であり続けてきた。
しかしこれは時代背景を鑑みれば、それほどの過酷さは人々にまるでなかったと知っておくべきでしょう。
やはり相互にあってこそ、存在が生きていたからです。
あなたには人々の存在や称賛は当然のものであった。
と同時に、その時の人々のとってはあなたの権力も社会的な影響力も当然のものとして恩恵を受けていたとみるべきでしょう。

しかし「今」あなたはこの人生を生きている、その意図をよく考察してみるならば、それら過去生では決して獲得できなかった人生での学びを得るためだということにもなります。
それゆえに、現世では、過去生と同じように、さも当然のように人々が期待通りの水準まで達せずに、幻想の域を出ないのも、あなた自身が、さらにいえば、魂が定めて生まれてきた人生だから、です。

思った通りの反応を得られずに不安感を抱くのは、過去生の記憶の残滓です。
人間関係における茫漠とした不安感の正体とは、常に過去に起因しているゆえに、いったいどこを修正すべきなのかといくら探してみても、実態のない感情とは記憶の中にしか存在していないために、修正箇所などきっと見つかりはしないというだけです。

すべての物事や事象に対して万全の態勢で対応していこうという感覚は、つまり現世の自信とはなり得ないとこれら過去生の記憶は物語ってくれています。
確かな願いでありながら、しかしそれらは探しても根本的な原因が見つからない。
なぜならば過去生の記憶とは、そもそも認知出来る領域にはないからです。

本心をオープンにしていかない理由もまた、社会性に紐づけられていると言えるのでしょう。
最小限度に影響を留めておくために、と本能的な防衛反応からもたらされる行動原理なのですから。

心の基礎部分、つまりコントロール不能な部分を深く知っていくことは、この人生での大きな意義となってくれます。

その時々に求められ、必要だと判断できるイメージに、あなた自身を沿わせていくのではなく、不安定そのものとみなしてきた心自体をさらけ出して生きていくことの重要性がここにあります。
社会階層の頂点に留まるのは、並外れた快楽ではありません。
むしろ、その地位に相応しいようにと、本心を永く閉じ込めて生きざるを得なかった犠牲にこそ視点を向けてみるべきでしょう。
長く、あまりに長く心を封印してきたこと。
拘束してきた鎖を引きちぎるべき人生を生きていこうと、そうして現世があるのです。

自由に解き放ち、純粋に言葉を、行動をハートが求めるままに生きていくことが、浮遊する心は自由さという安定を得ていけるのです。

人々をコントロールすべきではない人生である、ということ。
自らの心中を理解してあげることが、この人生のテーマのひとつであるのは明白なのですから。

過去生で培ってきた強固な意志と節制、自制の力を、この人生では感情の自由な発露をプラスしていくこと。
つまり相矛盾するようなエネルギー領域を、あなたなら融合させられます。

行動していく勇敢さ、が要ります。
状況が固まったから動くのではなく、そのずっと前に、まだ万全さとは程遠い時期でさえ、行動をスタートしてしまう果敢さを。

情報や状況を待ち続けても終わりはないのが、この現世でしょう。
ならば、踏み出してしまった方が、ずっと効率的なのです。
未知なる領域への一歩を学ぶこと。
それは相手を知る前に、自らの心をさらけだしてしまう果断さともいえましょう。

過去の人生にはなかった学びであり、成長となります。
自らの内に潜む権威を、あなた自身が認識して、肯定していくのです。

純粋なあなたのハートは、純粋な人間関係をつくりあげる力となります。
偽りのイメージに生きるのではなく、そのままのあなたを人々は愛します。
強固な絆を人々と築き上げるには、あなたの仮面ではなく、純粋な心のままの感情こそが大きな意味を持ちます。

状況を俯瞰してみれば受容する心へと転じていくでしょう。
それは人間として円熟味を増していく成長の意義であり、この人生での学びは常に深まっていくのもまたあなたの運命であるということ。

つまりたった一人の人生として生きてはいないのです。
人々の願いをも含みながら進んでいくとても大きな命が、あなたです。
すべての基準を広く、大きく捉えてみて下さい。

自らにフォーカスするよりも、人々へと移していくほどに人生は輝きを見せてくれるでしょう。
幾多もの人生を経て今この人生に辿り着いているあなたの魂の歴史は、比する者も見当たらないほどに長く、広大な軌跡を描いてきました。
すでに磨かれているあなたは、現世で一切の鎖を断ち切り、魂の器でもある「人間」として生きる自由を生きていくのです。
執着とは、古く機能を終えた思考形態でもあるとあなたはずっと以前の人生ですでに理解に至っています。
より高次の存在へと飛翔していくステージが、現世なのです。

旧態依然とした因習に支配された一族に生まれ人生を送った過去の記憶。
それは華族とも呼ばれます。
脈々と受け継がれてきた伝統を重んじた歴史ともいえましょう。
一族の歴史を、人々への責任をその身に背負い続けたこの人生の記憶は強い。
現世での執着の要因でもあるはずです。

社会通念、宗教的信条、また家庭内の規律、すべてに通底するルールには普遍的な価値があると錯覚させる強力な磁場があります。
しかしあなたはそれら一切を無効化するほどに強い人格を有している。
そして錯覚こそが、拘束の根本であることも知ってきている。
歴史を引き継ぐことほど重い責務はありません。
つまりあなたほど、この重さを熟知している人もまたいない。
だからこそ現世に命を持っているのです。

自分の信条は、自分のものであるべきだ、と。
人がつくりあげた信条は、自らの人生に適用して従うべきルールではないと、すでに過去生の学びから得てきています。
コミュニティ、また多勢、少数を問わずに「人」がつくったルールは、あなたにとっては拘束を意味するのは、誰よりも深く足枷になることを知っているからです。
そして何かひとつの信条、またルールに忠実に生きるべき人生ではありません。
求められているのは、それらからの脱却であり、肉体の解放、精神の奔放さの容認。
ゆえに執着する心は、解き放たれてしかるべきが現世なのです。

深い追及を許されている人生であり、喜びそのものを実感することもまた許されている命です。
磨かれた魂ゆえの権利であり、運命から許されている以上は、行動を規制するあらゆる要因はこの人生では無価値ですらあると認識していくことです。

あなたの飽くなき情熱はいったい何を意味するのでしょう。
疑問を抱く心は、追及する果てに生じる感覚であり、答えを常に求めてもいるその意義は何か。

つまりその答えの先に、より豊かなコミュニティを構築できるとあなたは生まれながらに心で熟知しているというだけ。
慈愛が生来備わっているのは当然でしょう。

魂の浄化プロセスにおけるもっとも高位の学びが現世の意味だといっても良いほどです。
社会の枠組みに、あなたはまさに自らの意志で「降りてきた」人物です。

上位者としての人生を経て、今があるのですから。
華族とは民衆の中の一人ではないのです。
しかしその過去生で培った責任の重さは、いわばエゴともなり得るものです。
ある種の主義とさえいえます。

けれどもより魂の浄化を促すために、この現世では社会へと「降りてきた」わけです。
深い洞察の繰り返しの果てに、自らの信条に照らして、社会での道徳観念と精神性を融合されていく人生。
このようにも形容できます。

エゴとは、ひとりの意志として捉えられるものでしょうか。
利己愛と呼ばれもするでしょう。
けれどあなたのエゴは、ただ一人の意志を超越している。
だから誰よりも強く、時に自らを翻弄してしまうほどに昂りもするのです。

社会全体をひとつ上へと導き高める人格。
これがあなたのエゴの意義です。
それゆえに、あなたの人生は、あなた一人のものではない。

自分という個人のための行動ではなく、人類そのものをひとつの個として捉え、行動基準を変容させて、その視点へと整えていくために生まれてきているのです。
個人を超えて、コミュニティの枠さえ超えて、人類という大きな枠であらゆる事象を捉え直すよう、人々に教え諭せる高尚なる魂が神髄です。

あなたの慈愛は、人類愛とも呼べる神聖な領域に達している。
これほどに広大な使命であり、常に忘れずに行動の基準として下さい。

愛とは何か。
あなたはこの定義を明確に規定しているでしょう。

であれば、その定義すらも執着だという逆説が導きだされます。
あるひとつの定義は、心が奔放に生きることへの拘束を生み出してしまうからです。

占領と羨望。
いわば過去の人生についてまわっていた生き方を突き詰めるならこれらの語彙に還元されます。
現状の維持こそ過去生の至上命題であったのでしょう。
それは過去生の学びでもありました。
しかし現世からすれば、すでに過ぎ去った学びでもある。

人間は成長曲線を描いて生きるものです。
過去生に照らしてみるなら、時には人々の成長がリスクになる場合も往々にしてあったはずです。
成長の意味するところは、現状を打ち壊す可能性でもあり、当然、あなたの立場からすれば看破してはならないシーンも多々生じていたのは仕方がないのです。

現世では、個人的レベルのみにフォーカスすれば、常に内面へと矛先が向いていき、大きすぎる力を滞留されることにもなってしまう。
そして最上なレベルまで磨かれているあなたの魂を鑑みれば、自然と心から始まり、内面の状態はすでに磨かれてきている。
自らに、つまりは個人という枠だけを鑑みるたびに苦しみがもたらされるのは、より広大なる学びを得ていくべき指針を明示しているに等しいのです。
意識の幅を大きく拓いていくように解き放ってこその崇高な心です。

未来に価値をもたらすには、過去生と違う基準として生きることです。
いわば人々に自由を与えてみること。
自由をもたらす求道者が、この人生でのあなたの役割といっても言い過ぎではないでしょう。

愛情ですら、自分の傍にい続けて欲しいと願えば、執着に発展するリスクを孕んでしまう。
自由を奪っていることを意味するものです。

与えてくれるものと同じものを与えていく。
愛情を感じるなら、愛情を返していく、とこの思考パターンが基準であれば、生来の慈愛の性質ではなくなっていると状況は教えてくれるでしょう。
あなたは自由を与えられる人であり、しかし役割から逆行して奪うならば、去ることで気づきを促すように、と。

あなたは誰からの承認も必要としない領域に達していることを思い出すことです。
常に純然たる愛情以外には不要だという学びが、今なのですから。

個としての利益を考慮するよりも、期待さえ手放して、純粋に愛を注ぐ。
自由を与えるのはこれほどに崇高な領域の行為となります。


権威を、称賛を欲しいままに得てきた人生はすでに何度も経験している魂です。
誠実さを試し、期待し、忠誠を誓う人々の姿が明確に刻まれている。
こうした過去生の記憶をトレースしないためにこそ、課題が存在しているのでしょう。
常に上位者であり。支配者であり続けた歴史を永く辿ってきているのです。

すべての人間が等しく、運命が求める道を歩むべきだと認識を新たにしようと願い生まれた高尚な人があなたです。
忠誠を誓うべきは、あなた自身であるように、と。
もはや何者にも渡さず、人生を窮屈に生きてはならない、と。

特定の場所、ポジション、また人間関係の在り方に、固執するたびに人生は転換を訴えるのは、大きな自由を遊ぶように生きて欲しいという運命の働きかけと言えましょう。

協調とは平等性と一体のものです。
この人生に限ってみても、経験とは等しく学びであり、視点は常に先へと据えて置くのです。
つまり過去に執着しない意義であり、この人生での命題は常に解放であって下さい。

愛情もまた過去の人生では、掌握していたようなものです。
純粋な愛よりも、当然のように受け取るべき感覚であったということ。
人々はあなたに無条件に愛を捧げざるを得なかったのは、高位に君臨している人物であったからでしょう。
いわば役割に対しての愛であったということ。
ゆえに掌握していたに等しい記憶として刻まれてもいるはずなのです。
だからこそ、この人生においては純粋無垢な愛情を求めているのでしょうから。

過去生と同様の方法では、執着を生み出してしまうために獲得できないものまた道理なのです。
欲望ではなく、あるがままのあなた自身の愛情をただ与えていくだけ。
見返りではない純然さを与えてこそ、あなたに返ってくるという新しい学習の過程にあるのです。
もはや過去の人生ではないのですから、コントロールしない方がずっとうまく機能してくれるのです。
それは自由であり、解放的な感覚だからです。

社会に、つまり民衆に対する圧倒的な権威を有していたあなたを、彼らは「愛さなければならなかった」という、不文律に成り立っていた過去生の在り方があり、しかしあなたは真実を本心では理解してもいました。
あるがままの「自分」ではなくそこに立つアイコンとしての「自分」への愛情に過ぎない、とう真実を。

何にも頼らない、ただひとりの人間としての自然体の愛情を、だから今、あなたは求める。
完璧な純粋さに満ちた愛情を獲得するためには、解放だけが唯一必要なすべてだとも本心では知っていたはずなのです。
まるで人々が自分の思惑から逸脱しても尚、それが彼らの自由を容認する意義であることも同じく。

許容していくだけで良く、人生は秩序を手に入れていくことでしょう。
人生の調和を獲得したあなたは、とても自由で美しく、人間として最良ともいえる運命に導かれるべき人間があなたなのです。

求めぬことを現世の愛の形とする。
この真理を生来知っていたわけですから、ただ思い出して実践すれば良いのです。
です。
あなた自身であり続けることが、純粋で無償の愛情を得る存在であり続けることである、と言い換えても良いでしょう。

感覚的に新しさ、いわば慣れていない一切をただ受容していくことです。
そこに活力と自分への信頼の兆しがあります。
変化をどこまでも受け入れる心の大きさがあなたにはあります。
価値観を得るたびに、古い価値観はスペースを空けてくれます。
踏み込む勇気が人生を驚異的に変えていくのであり、一度得た勇気は、二度目には実に軽々と感じるでしょう。

見知らぬ環境、見知らぬ人々、馴染みのない状況にあなたは時間を要するでしょう。
それが良いのです。
徐々に刷新していくことが学びの本懐です。

徹底的にひとつだけの物事を極めようとするときに、ふっと視点を外して周囲を見渡してみて下さい。
調和は取れているかどうか、サインは表れていないかどうか、と。
徹底性という、過去生のパターンを少しずつ俯瞰していく方法です。
いわば旧来の価値観の打開でありスペースの確保でもあるのです。

ひとつに集中して極めてこそ、と人は言うでしょうか。
それはあなた以外の誰かにとっての金言ではあるでしょう。
そもそも極めてきた命の刻みがあり、凄まじいエネルギーを持ちこんでいるのですから、分散したところで、そのほとんどにおいて達成していける人生を生きていると知るべきです。

凄まじい力で、ひとつの器に注力すればやがて溢れて壊れていく。
自分のパワーを認識しておいて下さい。
適切な分量で、それぞれを俯瞰して分散させた方が理に適っています。

目標を描くなら、いつでも多くの人々を巻き込むくらいに大きな枠であった方が良いのです。
人生は安定するでしょう。
経済的な豊かさも得ていけるでしょう。
そして過去生とは違った形で、名誉も手にする秘訣です。

個人的な願いよりも、全体性を願ってこそ、磨かれた魂の真性は発揮されます。
意識を外へ導く真意でもあります。

多くの人々が欲しても適わない偉大な才能なのです。
個人の枠の喜びではなく、大きな枠でこそ感謝され賞賛される。
これがあなたなのです。

革新的なアイディアが浮かぶのは優れた創造性ゆえです。
特殊な発想であるために、その場にはそぐわないこともあります。
個人の枠のみでするなら、理解されない、反発される、と怯えをもたらします。
なぜなら自分の思考が最上位に置かれてしまうことで、それ以外の可能性を見落としてしまうリスクを潜在的には関知している状態でもあるからです。
しかし人々の状態を観察し注視するなら、全体にとって最大限の有益な指針となるはずだ、と活力をもたらすのです。

表現されない感性は、やがて神経にダメージを及ぼしてしまいます。
強く憤り人生は窮屈に拘束されたように感じるということです。
常に解放こそがテーマにあることを自分に対して囁きかけてみて下さい。
きっと楽に生きていけます。

時間に囚われないことも大切です。
期限とは、そこまでに達するべきタスクを設けるルールに他なりません。
これは過去生の基準を持ち込んでいるために、パラドクスを生み出します。
厳格に設けるほどに、時間は浪費されていくという事態に陥るからです。
本来ならば価値を与えてくれるもの、人、何か、を人生から排除する要因にもなりかねません。
無価値なら不要である、と厳格なタスクから排除されていくわけです。
しかし無価値と断定したものは、新しい価値に溢れていることが多いのです。
時間は学びを捨てさせてしまうルールに成り果てる可能性があるために、あなたはやはり何にも縛られることなく、手放していた方が良いのです。

未来を切り開く力をもたらす者である、あなたのオリジナリティ溢れるアイディアは、社会へ還元するべき重要な指針となります。
親しんだ独自の方法もまた解放してみれば、柔軟にプランの変更に対応していけるでしょう。

優れたアイディアは受け入れられ難いくらいが丁度良いのです。
人々との交流の中でひとつの形を為していき、結果として誰もが納得できるように収まります。

運命はあなたの人生に、究極の対極性を求めているともいえます。
人々の心に奉仕する道を選び成長を喜ぶ人生か。
敢えて奉仕を放棄する道を選ぶことで、困難な生き方を見せて人々に学びを促す人生か。
いずれにせよ、人々に気付きを与え導く運命ならば、あなた自身の成長と幸福を共に享受する道を選択すべきかと進言致します。

人々を支え、あなたは学び成長していく。
新しい価値観をもたらしながら人生に彩りを加えて生きていくのです。

肉体的また精神的な不調は、道を違えていることを運命が伝えて来ている時に訪れます。

深遠な洞察力は、あなた自身の内から放たれるものでもあり、また天から直接教えられている二重の恩恵でもあるのです。

導いた人々から賛美や報酬を受けることは余り期待できません。
なぜなら、あなたの支えと導きをいつでも見守り評価してくれるのは、人々ではなく運命そのものがもたらす人生における恵みに他ならないからです。
だからこそ、手放してこそ与えられる意味を知る必要があったのです。
運命がもたらす恵みは、圧倒的な充足感として人生に還元されていきます。

人々の成長は、あなた自身の成長と同一のものです。
つまりあなたの適性は、人の心にあるということ。
精神と深く向かい合う仕事は悉くが天職だと捉えて間違いありません。

寄り添う心を持って、ただ人々の心を照らす光足ること。
人々の人生の変化は、あなた自身の人生の変化でもあるのです。

人々の心に沿い、向き合い人生を導く度に、あなたの才能は強化されて、より高次元の情報を受け取る器を備えていくでしょう。
あなたの現世で、とても大切な任務を背負っている。
繊細さは、寄り添うために発揮してこそ最大の効力を放ちます。
これは人生を通した学びなのです。

あなたはいずれ生命連鎖の真の意図に気が付くでしょう。
個々が独立し合いながら、全体の調和の一部でもある真理を悟るのです。
相互関係であり、真実の平等の感覚をあなたは人生を賭けて育んでいるということ。

すべての命の価値を認め、尊重するあなたの心に芽生える感情こそが、感謝する意義そのものです。

命の価値を忘れず生きていく限り、あなたは自由へ真っ直ぐに進んでいると確信して下さい。
それはあなたが獲得する人生の幸福なのです。

2024年7月7日日曜日

長く寝てしまうことの改善法

わかってはいるのだ。寝る前に、電気毛布を切らないで、そのまま使ってしまうと、
それが、睡眠を邪魔して、正常に起きれなくなってしまう。
それで、何時間も何時間も寝てしまうのだ。

わかってはいるが、しかし、気持ちよさには敵わない。
タイマーを買えば良いのだが、それも、まだ躊躇している。
うちは1000円レベルの商品もおいそれと買えない所帯なのだ。

まあ、買えば良いのだが、それで、睡眠後2時間くらいで切れれば、
それが一番良いのはわかっている。

2024年7月5日金曜日

レキサルティによる高血糖のポジティブな面

まずねえレキサルティは高血糖になるらしいのよ。
で、まあ測ったわけじゃないけども、血糖が上がっているっていう感覚がある。

まず、腹減らなくなった。っていうか、食い出すと際限なく食っちゃうけども、
腹減らなくなったっていうのがまずこれ血糖上がってる証拠なんだよな。
あと水何Lも飲んだときに、通常なら低血糖になってなんか食ってたのを、
何Lもガボガボ飲んでも、全然なんにも喰わなくて良くなった。
これはもうまさに、高血糖になってますよねみたいな症状。

まあこれは良い例っていうか、たまたま、奥野のライフスタイルで、
水飲んだときの低血糖をなんとかしないといけなかったのが、
たまたま、これがクリアされた。という例。
通常は高血糖は困るもんだと思われ。
だから水健康法とレキサルティは相性いいと思われ。


PCオーディオはスマホに完全敗北した。

奥野はまえはPCオーディオをやっていたが、これ系の記事は何本も書いたが、
どうしても、このインパクトが強すぎて、また1本、2本と同じものを書いてしまう。

PCで聞くと2万円のZEN DACだが、まあようするに演算してない音なのである。
ZENの商品説明ではバーブラウンのビットパーフェクトだというからなおさらである。
まあ奥野はもうアンチ・ビットパーフェクト厨なのでね。
かといってアップサンプリング厨でもない。
演算して、色付けした音が、最高に良いのである。

スマホのPowerampというアプリで、色々試せるから、
PCは、ソフトベースでとくに演算はしてなく、
DACもビットパーフェクトだから、聞きやすいなれど、とてもつまらない音。

Powerampは、演算しているから、オーディオエンジンも良いものなんだろうし、
低音も深みのある音で、さらに、上質な低音が演算で簡単に足せるのである。

2024年7月4日木曜日

2011-04-17 モルモン時代の日曜登壇・アスペ全開記録

◯◯兄弟を通じて、私にここへ立つようにとのメッセージを神から頂いたことを感謝します。

私はあがり症なので時間を節約するために文面を用意してきました。ここで話すことは全て私が感じていることです。証とは本音を語ることです。この台に立つという、裁判にも似た非常に重大な責務を、私は完全に果たします。歯に衣着せぬ言い方をしますが、なにとぞ、よろしくお願いいたします。


現在の私と神との関係はとても良好です。私が望めば、感謝と共にいつもメッセージが存在し、向こうからも訪ねてきてくれます。基本的に神とお会いするのは夢の中ですが、神が定めた時期に必要なことだけを伝えてくれます。


今、日本は大きな試練にあっています。東北で大地震が起こり、ここ横浜でも震度5弱を観測しました。次いで高さ15メートルの津波でたくさんの人々が、肉体を離れて来世へ旅立ちました。生き残った私たちには、原子力発電所の弊害が恐怖でしょう。


被害の少なかった街では、ほとんどすべての人が非常に自己中心的な、身勝手な行動を起こしました。大震災の翌日にお昼ごはんを買いに行くと、危機管理の皆無な人々が食料を全て買い占めていました。また、よせばいいのにガソリンを貯蔵する人もいました。


ここで私たちは重要なことを忘れていました。それは他の人々を思いやる心です。食料を過剰に買いためたことで弱肉強食の世界に様変わりし、ガソリンを過剰に買いためたことで必要な物資が被災地に行き届かなくなりました。


もちろん「忘れていた」では済まされません。危機的な状況になると、その人の本性が現れるといいます。これは、末日における神の裁判で烙印が下されたことと全く同義です。

そのような下劣な行動を最初からしなかった人たちに、祝福あれ。そう私の心が強く主張しています。



私たちは神の律法と奥義を学び、探求し、日常的に実践しています。そして今、その台の上に置いた光を天高くかざす時です。そのためには、準備と決心、それに日常的な行動が必要です。


子供たちには罪がないと神は言われました。私は最近になってようやく理解ができました。子供たちには他人を思いやる心があり、大人のように人を騙すことをしたがりません。無邪気で本音をハッキリ言う彼らは、個性にキズがないのです。

自分の個性を一番開放している彼らを見習うべきでしょう。個性は神から与えられた非常に重要な賜物なのですから。


これは今回の震災と密接に関係しています。個性を開放しているからこそ、穏便な平常心を失わなかった人々がいます。ましてや、そこに神への厚い信仰心が加われば、万事がうまくいくと思うはずです。


私たちがこの世で思うことと、神が計画していることとは根本的に違います。ですから、私たちが神の計画を中断することはできませんし、神からも私たちの思いを制限することはできません。ただひとつ重要なのは、「神が全宇宙を創造し、運営している」という原則です。全ての人間はこの計画のもとで動いている、末端のアシスタントです。


だからこそ、今!私たちは動くべきです。「変わる」ことが大切です。信仰の種を良い地に根付かせ、花を咲かせ、種を空へ飛ばしましょう。イバラが生い茂って種の邪魔をしても、そのイバラと共生し、天空を目指しましょう!


これは必ず達成できます!神の計画の原則に沿っている限り、私たちにはチカラが与えられます。


ですから、私たちは強い自信を持って、できることを、できる範囲でやりましょう。サポートは目に見えるカタチだけがサポートではありません。それは表面化した氷山の一角に過ぎません!


地震が来ても、津波が来ても、放射線が飛散しても、おそれ悩む必要はありません!

全ては神の計画通りだからです。私たちの、人間の心で思い計る問題ではないのです。

例えば、教会の帰りに震災で来世へ旅立ったとしても、私たちは幸せでしょう。神の計画通りに事が進むのですから!


・・・今回伝えたい事は以上です。私はこのメッセージを伝えるためにこの場所に立っています。神の計画とみなさんの愛に感謝します。


神とその従者は確かに存在し、無限の愛で私たちを包んでくれています。


・・・これで私の証を終わります。ありがとうございました。

 

2024-07-04 Noteは駄目だ結局。


これ7ヶ月間の合計なんよ。信じられるか?364記事書いて、たったこれだけだぜ。
奥野というチンカス野郎がどんだけ市場の中で価値がないかがわかっただろう。
エラソーに上からものを書くスタイルがウケないのは最初からわかっていたが、
俺的にはあんまりザコい記事ばっか書いてないつもりだった。

まあーそんなとこだよなと、
これでもうはっきり踏ん切りがついた。
俺は、有名になるために、いろいろするのは、俺の人生では、適切ではないと。
いうことが、はっきりわかった。

っていうか、有名にはならないんだけども、
また、前世とは違ったやりかたで、名誉や、尊厳を手にしていくらしい。
だから、社会階層の最上位であり続けた前世までの記憶に、
いちいち引っ張られて、また有名になろつとするのは間違っていたんだなと。

Noteで364記事も無駄にしてしまったが。
まあ半年くらいの労力が、いま、ここに、
奥野が、有名にならないっていうところで、
ね、あきらめが、ついたのかなと。

ですからぁ、奥野が、個人的な関わりの中で、
ひとの人格に働きかけて、そのひとを教化する。
そのなかで、奥野も、同時に教化されていく。
そして、奥野が関わったことによって、
将来その人が、また別の運命で使われて、大成する。
それの礎てきな部分を、担当させていただいております。