>人の人生に対する問題点を見出し、修正ポイントを示唆すること。
>心を対峙して、人々の意識に新しい視点を与えること。
>それは人生を効率的に生きる指針を与えているようなものであり、さらには使命でもあることから、あなた以上にこうした分野に適している人もまたいないといえます。
っていうのが、最近、自分でもよりよくわかってきて、自覚できてきた。
要するに、俺は、表舞台で輝く人生ではなく、
全体のある大きな部分の、補酵素的な立場で、
でも補酵素は無くてはいけないっていう部類でもあり、
彼らの人生のサブというか、軌道修正てきな部分を、担当しているということ。
それは要するに大きな人生であり、たとえば表舞台に立って輝く人生の人は、
死にたいと思えば、死ぬことも可能かもしれないが、
奥野は、より大きな人生であり、他の人々に介在する役目があり、
だからこそ、自分で自分の命を断つとか、って言う判断を、
自分の力で、できない。というか、そこは霊界ありきだから。
っていうのがまずあるよね。
だから奥野と関わっていただいているのは、ひとつは、
その相手が、奥野のことを気にしていただいて、
そしたら、ひとつひとつ取り入れていくごとに、
彼らの人生は、効率よくなっていくという話。
な?つまり金遣いが変なやつは、それを正されるように動いて、
知識過剰や行動過剰になっている人は、
またそれが意味ないって知るってことだよな?
行動しまくりや、知識溜め込みに意味はないと。
どんなことでも、たのしいを、実践していこうと。
たのしいと思えなければ、それは足枷だから、しなくっていいということ。
つまりそこに、奥野は介在して、自分たちで気づけない範囲を、
奥野が教えてあげたり、彼らが自分で気づいていったりするのではないか。
余談だが、教えてあげる、とか、導いてあげるっていうのが、
自尊心的に受け入れられないという方々がいらっしゃるが、
そこはねえ~別にあんたらは汲んでくれなくってもいいからさと、
それは俺があんたらに対して課してる自分の心の制御とかあり方なわけで、
目の前に提供されてくるブツだけ持ってってくれれば良いんじゃねっと。
おもうのであります。(´ω`)
ようするに奥野はひたすらこうべを垂れてればいいと、
そうおっしゃっているのですね。
しかしなーお前らは俺に導かれるっていうのがそもそもあり、
しかし、俺もお前らを、同じだけを受け取っていくのだから、
あまりこう、態度や姿勢のウエシタに、あまりこだわってはいけないぞ。
それにこだわることで、目の前のパンと水を、損ねる場合がある。
俺も、お前たちと同様に学びがあり、お前たちの言葉から学んでいるということ。
相互に学びがあるというか、まあ、そこはちょっとわからないが、
とにかく俺と組んでいれば、ある程度は、かなり大きな
人生における高効率に生きれるってことが、わかるのではないか、
それは具体的な商品を通しても、そうかもしれないし、
あるいは概念を通しても、可能かもしれないし。
という意味でぇ↓