2024年8月29日木曜日

ひとは結局、霊が好きなものを食わされているだけ

固定の食事術っていうのあるけども、なんか違うんだよな、まあ俺が気分屋なのがまずある、気分屋さんはくるくる変わるから、これは脳機能的にそうなっているのでなく、早い話が霊によって気分が変わっていて、霊界の駒になっているのである。それがない人っていうのは基本的に人格も1つであるが、そういう人は、固定の食事術ってのをしがち。

ちゃんと自分で考えて食事を組んで、それをずっと何年も続けられるということが、それが霊に影響されてない人間ってことの一つの現われである。まあ霊に影響されない人間ってのはありえないが、なんかの霊にみんな影響を受けており、それで趣味趣向も考え方もある程度決まってしまう。守護霊が交代して、その新任の守護霊の考え方いかんによって今まで出来てたことが急にできなくなったり、興味なくなったりして、新しい生活スタイルに移行して、それが、自分が変わっていったとか、成長していったという誤解をしているだけである。

つまり霊の、好きなものとか、食わしたいもの、食ってほしいものを、ある程度守護霊が許可したものを、食わされているのである。なんでも自分の考えでやっているという人、自分がその考えを生み出しているという人は、ちょっとまだ推敲が足りてない。じゃあその、考え自体を、そもそも生み出しているのは自分なのかというところまで、考えを深めて欲しい。ずっと考え込んでパッとでてきた答えっていうのは、要するに誰かそのへんの霊がくれた答えなのだ。そういうもんを自分で考え出した答えだと勘違いして、それでなにもかも自分の手柄にしているのである。違うのだ、霊の功績なのである。霊はその人をとおして、自己主張なり食いたいものを食ったりなどしているだけである。いかにこの辺の領域を霊によってコントロールさせられている、いわば木偶人形に近い人生ということを、理解していけばいいのである。