語彙もわざと知ってないし。
語彙を知っていかないっていうのは、今の社会の美徳と逆行してるけど。
ある程度、霊託で信託するときに、概念まみれにならないように、
自分をピュアーに、純粋に保ちたい。というのがあるわけやな。
霊からしてみれば、言葉を知ってることで多少のアドバンテージはあるけども。
それは、その受信者が、そういう概念まみれやって言う事の、裏返しなんだわな。
だからものを知ってれば、それだけ反論の言葉も多いわけ。
そういう霊媒には、あまり霊は好んで神託をおろしたりしないでしょ。
どうせ反論されるわけやから。何こいつクソ生意気な霊媒やなと、思われるだけ。
だからわしに学はないわけよ。
でも学がないならでわの、利点もあるわけよ。
世間的にはわしのような奴は、馬鹿の筆頭だけども、
わしは、学がないことで、自分の人生にまた、違う視点で
なにかもたらされることを知っているわけよ。
それは、知らないことによる幸福であると。
そう、定義づけることもできる。
目の前に運ばれてくる料理や無料宅配の品物が、
ほんとに無料なんか知らないけども、宅配の兄ちゃんがニコニコして低い姿勢で。
それの裏側を、あえて知ろうとはしてないわけよ。
そこで、表面的に俺に見せてくる、その態度で終わっちゃってええの。
わしは、闇の部分をあえて知ろうとはしてこなかったし、
これからも全然、知らなくっていいやと思っている。
むしろそれは、知ることで悩みが多くなったりして、
そこでわしの純粋な心の部分が、穢されてしまうと良くないので。
わしが純粋な心を保つ努力をしていることで、
それが要するに霊界の者たちと、よりよく交流できる。
つまりわしの人生は、一端は霊界重視の物語でもあるわけだ。
物質文明寄り、知識重視寄りの生活ではないと。
ある種の巫女さんのような役割をもって、それから得た叡智を、
自分や周囲におろしていく。
つまりわしは、物質文明のそのちょうどいい部分だけを享受しようとしているし、
逆にそれは、物質文明からは測れないところの、精神文明のお志事。
というのがあると。
わしがパイプになることで、霊界から目の前の相手にわしを通して
チョクで言葉が降ろせる。それが相手の役に立つ。俺はそういうふうに生きる。
そのように、心がけているんだわな、
つまり相手に奉仕するというのは、霊的には、知識であると。
肉体的な労働による奉仕や、モノをあげるとかっていうのは、
その、知識を与えることによる奉仕の、だいぶミニマム版なんだと。
しかもこの1記事でさえも、わたしは霊界に懸かって、
パイプ役として、言葉をおろしている。というか、
正しい結末をなぞるように、記事を矯正される。といったほうが正しいか。
つまりわしが、入りはどんなにバグった言葉を並べても良いんだけど、
それが、かならず正しい着地をするように、強制矯正される。
それがつまり、わしの人生全体の生き方であり、
ひどい労働の人の生き方もあれば、
わしのようにピュアーな心を保つことで、得られるお志事もある。
いわば役割であり、労働を担当する人々、
わしのように霊界から人間界をつなぐ役割の人々。
みんな役割なんだ、どっちがどうとかではなく。
自分に適した役割のところに、自動的に誘導されているだけなんだ。
だからどっちが偉いとか、どっちがラクとかではないよ。
この地上は、いまはとても、みんなして苦労しているんだ。
みんなしてツラいんだ。それは、依然としてある。
そのなかで、決められた配役を、おろしていく。という意味。
それが今の地球なんだ。